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だれか、来る
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だれか、来る

ヨン・フォッセ(著者), 河合純枝(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 白水社
発売年月日 2023/12/24
JAN 9784560093979

だれか、来る

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商品レビュー

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2025/03/01

ノルウェーでのビジネスを始めた2023年に、ハウゲスンで生まれたヨン・フォッセがノーベル文学賞を獲得。必読となり、やっと読む機会が出来た。シンプルな構成ながら全編に潜む不安感がノルウェーの景色とオーバーラップしてくる感覚。でも、日本語訳では真意を伝えきれていないのであろう。 解...

ノルウェーでのビジネスを始めた2023年に、ハウゲスンで生まれたヨン・フォッセがノーベル文学賞を獲得。必読となり、やっと読む機会が出来た。シンプルな構成ながら全編に潜む不安感がノルウェーの景色とオーバーラップしてくる感覚。でも、日本語訳では真意を伝えきれていないのであろう。 解説が素晴らしい。特に以下: まず、フォッセが執筆に使う特殊な言語“ニーノルシュク"について触れておきたい。ノルウエーには、オスローを中心とした現住民九〇%が話す”ボクモール”(Bokmal)と西海岸で使われる"ニーノルシュク"(Aynorsk)の二つの公用語がある。なぜ二つ?ノルウェーは、一八ー四年までデンマークの勢力下に置かれ、デンマーク語が使われていた。イプセンの全作品は、デンマーク語で執筆されている。そして独立後、国家意識の高揚とともに、独自の国語への要請が強くなり、言語学者たちの活動が顕著になる。まったく新しい言語ではなく従来の日常語だったデンマーク語を保存し、それに独特のノルウェー語の単語を導入し、書き方、発音をノルウェー化して出来たのが”ボクモール"である。西海岸では、状況がかなり違っていた。国の周縁に位置し多くのフィヨルドや峻険な山々に囲まれ孤立した谷間の村落では、昔からの個々の独自の方言が確立していた。言語学者イヴァー・オーセンIvar Aasen は、この種々の古い方言の中にこそ真なる自分たちの国語があると肩じ、西海岸の僻地を周り、方言収集を行った。その集められた多くの方言と旧ノルウェー語を合わせた西海岸共通の"ニーノルシュク"(新ノルウェー語の意味。古くからの方言と旧ノルウェー語を合わせてできたこの言語は、精密には旧の匂いが強い)ができあがったのは、十九世紀中葉だった。しかしこの言語は、あくまで「書き言葉」であり、西海岸の人々の話し言葉は、依然として方言である。公用語となっても、都市の住民やインテリは、ボクモールを使い、ニーノルシュクは、辺境の言葉、農民や労働者の言語と見なされがちであった。フォッセは、作品で取り上げる「西海岸の周縁に生きる平凡な市井の人々のあるがままの姿」を描くのに、意図してこの言語を選んでいる。ただ書き言葉ゆえ舞台で話す難しさがあり、彼の戯曲を演じる役者は、簡単に見えるセリフを覚えるのに相当の労力と時間を費やすと言われ、文体とともに翻訳も至難の技である。作品に、ローカル性を失うことなく、登場人物や状況にある種距離を置き俯瞰できる客観性を生み出すために、フォッセはこの言語を使うのかもしれない。 また、「人工語の“善き言葉"を、セリフで"話し言葉”として使うととによって、自分は、新しい”言語"を生み出そうとしている。これは僕の文学への貢献だとも思っている」と言っていた。作品は、言語学上からもユニークであり、一地方の書き言葉を芸術の域に昇華させ、世界に紹介したのは、注目に値する。 「メランコリー」も、全作品の底辺に流れている要素の一つである。「死」の非回避性や「生」の不条理、無常への認識、不安は、人を病に落とし込むこともあれば、芸術の題材ともなる。カミュは人生について「生まれてそして死ぬ。その間にあるのは、メランコリーと美しさだけ」という言葉を残している。一人の天使が片肘を膝に乗せ頭を支え憂鬱そうに、周りの活動に目を向けているあの有名なアルブレヒト・デューラーの銅版画(メランコリア)、ドイツロマン主義絵画の巨匠カスパー"ダヴィッド・フリードリッヒの数々の傑作をはじめとする美術、文学、ひいては建築概念としてまで、メランコリーは、こころの擬人化、メタファーとなっている。代表的なのは、シェイクスピアの『ハムレット』かもしれない。父の死への怨念は、息子ハムレットをメランコリーに病む人間にしてしまい、ハムレットの人間観、世界観を変えてしまう。「死」は、それほど強い力をもっている。フォッセは、『ハムレット』を意識しているのだろう。 フォッセの長能小説デビュー作は『メランコリア』と題され、十九世紀中葉に生きたノルウェーの風景画家ラース・ヘルターヴィクの生涯をテーマとしている。

Posted by ブクログ

2024/10/21

表題作。シンプルなセリフで紡がれる、彼と彼女の心の揺れ動きが見事だと思う。二人だけの家に来たはずなのに、すべてが安定しているはずなのに、どこかかからやってくる不安。それは外からでもあり、また彼ら自身の内側からでもあることが、短い会話のやり取りから読み取れる。

Posted by ブクログ

2024/05/19

ほぼ同じ言葉だけで構成されて、いうなればとてもシンプル。だからこそなのかリズムをすごく感じる。解説を読んでヨン・フォッセ氏の母語で書かれた戯曲を読めないのは悔しいと思うほど。日本語に訳すのはとても大変だったのだろうと感じる。 ストーリーは、みんなから離れて二人だけでひっそりと暮...

ほぼ同じ言葉だけで構成されて、いうなればとてもシンプル。だからこそなのかリズムをすごく感じる。解説を読んでヨン・フォッセ氏の母語で書かれた戯曲を読めないのは悔しいと思うほど。日本語に訳すのはとても大変だったのだろうと感じる。 ストーリーは、みんなから離れて二人だけでひっそりと暮らそうと離れ小島の古い一軒家を購入した二人。しかし一人が「だれか、来る」と言い出す。そんなことはないと言うが不安をあらわに誰か来そうだと主張する。 案の定、一軒家の持ち主だったお婆さんの孫が登場する。この家を購入した人に会おうと思って、と。 ほぼ限られた言葉だけで構成されているのに、登場人物たちの不安な気持ち、揺れ動く気持ちが伝わってくるのがすごい。 最所にだれか来る気がすると不安だった人物が、どういう意図でもってお婆さんの孫から電話番号の紙をもらったのか。登場人物の気持ちが伝わる一方で分からない部分もあり、そのバランスが絶妙で心に残る。 あと解説が素晴らしいので、最後まできっちり読んでほしい。

Posted by ブクログ