商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 集英社 |
| 発売年月日 | 2023/02/28 |
| JAN | 9784797674255 |
- 書籍
- 書籍
ムラブリ
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
ムラブリ
¥1,980
在庫あり
商品レビュー
4.1
30件のお客様レビュー
ムラブリとはタイの少数民族のことだ。ムラブリとは、彼らの言葉で「森の人」という意味だ。その名の通り、森を生活の拠点の一つとしている。また、彼らが使う独自の言語は、ムラブリ語と呼ばれ、この先消滅する可能性の高い「危機言語」に登録されている。 本書は、作者がムラブリと共に生活した中...
ムラブリとはタイの少数民族のことだ。ムラブリとは、彼らの言葉で「森の人」という意味だ。その名の通り、森を生活の拠点の一つとしている。また、彼らが使う独自の言語は、ムラブリ語と呼ばれ、この先消滅する可能性の高い「危機言語」に登録されている。 本書は、作者がムラブリと共に生活した中で、手にしたムラブリ語の知見や、考え方の変化について、述べられている。 私がこの本を読みながら、意外とムラブリの人は日本人と似ているところがあると感じた。 一つ目はシャイなところである。ムラブリは外部からの人間に対して、シャイである。少数民族を取り上げた番組では、出演者や、スタッフに対して好意的な少数民族を見ることがたびたびある。しかし、ムラブリ達は全く歓迎しない、あまり他者と干渉したがらないのだ。日本人も初対面の人に積極的にフレンドリーなコミュニケーションを取る人は少ない。 二つ目は、あいさつである。彼らの挨拶を直訳すると「ご飯食べた?」である。一方日本の挨拶は「おはよう」だ。意味としては、早いですね、といったところだろう。どちらも文字通りの意味はないのだ。つまり中身のない会話だ。だがこれにも、れっきとした役割がある。このような会話は、自身と他者の関係性を表す役割があり、メタメッセージと呼ばれている。意味のない会話を繰り返すことで、人はその人と仲良くなれる、あるいはそう錯覚するのだ。 また、彼らは婉曲的表現をよく用いる。例 「私は怒っているわけではない、本当だよ。けれどあなた達が大声を出すと、村の子ども達が怖がるかもしれない、怖がらないかもしれない。私は怒っているわけではない、本当だよ。」 これは、実際に作者がムラブリの人に言われた言葉である。こういう、はっきりとしたことを言うのを避ける風潮は、日本にも同様のものを感じた。また、先述したシャイな面も同様に、ムラブリの人たちは、心が上がることをマイナスだと捉え、下がることをプラスだと考えていることに関係している。つまり、感情を表すことを避け、脱力することを望ましいと感じていると、この本では述べられている。この感情を全面に出そうとしない点も日本人と近い。 この本の中でも好きな話がある。「タシーとの駆けっこ」と言う話だ。この話では、いろいろあって疎遠になってしまったタシーというムラブリとの思い出が作者の目線で語られている。後にこの本で語られるが、ムラブリの言葉に過去という意味はない。過去と未来が同じ言葉なのだ。私たち現代人は、過去の失敗や気まずい経験を引きずってしまう。一方ムラブリには過去という概念がないのかもしれない。私たちは過去を大事なものだと認識しているが、その過去によって、現在の悩みが生まれ、しがらみに囚われるのなら、過去というものを手放すのも、決して悪いことではないのかなと思った。また、自分も高校生の時に、気まずい感じになってしまってから、疎遠になってしまった友人がいる。本当は話しかけたかったけど、かけれなかったことがある。自分の感情を表すのを避ける傾向と過去に囚われることで、このようなことが今の自分に傷を残している。だからこそ、このエピソードが一番印象に残ったのだろう。 この本を読んで、ムラブリは多様性の最前線にいると思った。彼らがよく使う言葉に「カラム ドゥ モイ」(そいつしだい)という言葉がある。先述した通り彼らは直接的な表現を避ける。これも、他者という存在を認めているからできることなのではないだろうか。また、彼らが余所者を歓迎しないのも、その人がその人であることを認めているからじゃないのだろか。 彼らは、タイ人から持たない者として、施しの対象となっている。だが、彼らは昨今の欧米や日本で議論を巻き起こしている多様性を受け入れている。欧米人が、何千年もかけて至った考えに、早い段階でたどり着いている。そんな彼らを未開の人と言うことができるだろうか。 優劣という考えかたそのものが一面的であり、新たな視点を持つことで、他者の認識を改められる。そんなことを思った。
Posted by 
文字を持たない。暦を持たない。スマホも、インターネットもきっとない。お腹がすいたら食べる。寝たい場所で寝る。寒かったら着る。暑かったら脱ぐ。 「そいつ次第だ」 明日のことは「わからない」 生活とはこういうものなんでしょう。いつの間にか人間は仕事に終われ、消費されて、気絶するよ...
文字を持たない。暦を持たない。スマホも、インターネットもきっとない。お腹がすいたら食べる。寝たい場所で寝る。寒かったら着る。暑かったら脱ぐ。 「そいつ次第だ」 明日のことは「わからない」 生活とはこういうものなんでしょう。いつの間にか人間は仕事に終われ、消費されて、気絶するように1日を終えるようになってしまった。言語学の話かと思ったら、生き方の話でした。 それでも、印象に残ったことをひとつだけ。わたしは英語が好きです。英語が話せれば、いろんな人とコミュニケーションを取ることができると信じていたし、それは間違いではないと思います。だけど英語を第二言語で学ぶと、それは「私」としてコミュニケーションを取っていると言えるのか。わたしの母語は日本語です。日本語で感じる世界と英語で感じる世界。同じことを伝えようとしても、違いは否めません。これは悪いことはないと思います。(良いこととも言いきれませんが。)だけど、そういったジレンマが語学に魅了される要因のひとつであることは間違いないんだろうな、とこの本を味わって感じました。
Posted by 
ピダハンと近いものを感じたけど確かにこっちの方が読みやすい たしかに他の文化の暮らしを見て、もっとシンプルに身軽に暮らしたいと思うようになる気持ちはわかる。私もタイの少数民族の村に行って、そこから自給自足の暮らしとかに興味を持っていろいろ読んだり調べていた時があるな。しかし最終章...
ピダハンと近いものを感じたけど確かにこっちの方が読みやすい たしかに他の文化の暮らしを見て、もっとシンプルに身軽に暮らしたいと思うようになる気持ちはわかる。私もタイの少数民族の村に行って、そこから自給自足の暮らしとかに興味を持っていろいろ読んだり調べていた時があるな。しかし最終章を見るとあーそっちの方にいっちゃったか…と思うのは何なんだろう。
Posted by 
