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九龍城寨の歴史
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九龍城寨の歴史

魯金(著者), 倉田明子(訳者)

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九龍城寨の歴史

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2022/10/19
JAN 9784622095163

九龍城寨の歴史

¥4,620

商品レビュー

3.5

3件のお客様レビュー

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2025/06/05

映画「トワイライト・ウォリアーズ」を見て九龍城寨について学びたくなった人間のひとりです。 元々存在は知っていたし、映画を観る前も「伝統あるスラムでHiGH&LOWか」と思っていたくらいだ。 しかし映画鑑賞後、九龍城寨についてこんなにも気になるとは思ってなかった。 Wi...

映画「トワイライト・ウォリアーズ」を見て九龍城寨について学びたくなった人間のひとりです。 元々存在は知っていたし、映画を観る前も「伝統あるスラムでHiGH&LOWか」と思っていたくらいだ。 しかし映画鑑賞後、九龍城寨についてこんなにも気になるとは思ってなかった。 Wikipediaで大体のことは分かる、でもこの本のいいところは過去の文献を参考にした解釈が読めるところ。そして何より著者が、実際の九龍城寨に足を運んでいるということ。 一番面白いと思ったのは、九龍城寨にあった通りの名前とその由来である。 その通りがどのように変革していったかも分かる上に、地図まで図解がついている。 九龍城寨のことを知りたいという欲はかなり満たされる。オススメです。

Posted by ブクログ

2025/04/10

香港、とりわけ九龍城寨の歴史に重点を置いた歴史書。これを執筆した魯金は歴史研究家ではないので、19世紀以前の記述に関しては事実誤認や誤解があると思われる、という訳者のあとがき。 九龍城寨がある九龍湾沿岸は北宋の初期、管制の塩場であった。それが塩取引の監督にあたる役所が設置され...

香港、とりわけ九龍城寨の歴史に重点を置いた歴史書。これを執筆した魯金は歴史研究家ではないので、19世紀以前の記述に関しては事実誤認や誤解があると思われる、という訳者のあとがき。 九龍城寨がある九龍湾沿岸は北宋の初期、管制の塩場であった。それが塩取引の監督にあたる役所が設置され、やがて倭寇からの侵略を防ぐために軍が駐留することになる。この頃すでに「九龍村」という村が存在していた。 その後、海外からの侵略や海賊からの主要な防衛地点として軍事要塞と化した九龍城寨。1842年に香港島、1861年に九龍半島の界隈街より南がイギリスの植民地と化した後、1899年の香港英新租界契約では中国側の強い要望により九龍城寨は英国の租借地の範囲から外れ、陸の孤島となる。 1941年に香港を占領した日本軍は啓徳空港を軍事空港にするための地盤として九龍城寨の城壁を撤去する。これにより城寨の境界線が曖昧になり、後に九龍城寨の管理権を巡る衝突「九龍城事件」が勃発した。 1950年代には中国からの移民が大量に香港に押し寄せ、大陸の都市部や農村にいたヤクザ「撈家(ロウガー)」も九龍城寨に集中して住み着いた。撈家たちはイギリス植民地の中にありながら中国の土地であるという特殊な「三不官(香港政庁、中国政府、英国政府が管轄できない場所)」の地を「遊ぶには安全な街」として宣伝し、ストリップショーや賭博場、ポルノ産業、麻薬、犬肉提供などで多大な収益を上げた。しかしそれも腐敗した警官への賄賂があって初めて成立するものであったので、反腐敗運動が盛り上がり廉政公署が設置されて以降は、これらの違法施設は急速に縮小していった。 1984年に中英共同声明が調印され、香港はイギリスから中国に返還。1987年に九龍城寨の取り壊しが発表され、1994年に取り壊しが完了した。 こうして読んでみると、話題になった映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』は1980年代の九龍城寨が舞台ではあるが、そこに描かれていたのは1960年代の暗黒時代のイメージだったことがわかる。 この本と、銭俊華著作の『香港と日本 ──記憶・表象・アイデンティティ』 (ちくま新書)を読むと、香港が抱える現在の問題や彼らのアイデンティティがどこから来ているのかが、当事者ではないので理解することは不可能だが、薄らわかるような気がする。 最近、香港映画や芸能界隈のニュースを見ることが多いのだが、彼らの中にも香港にアイデンティティを持ち香港での制作にこだわる人たちと、中国人としてのアイデンティティを持ち共産党寄りになる人たちがいて、立ち位置にグラデーションがあることがよく分かる。 国家安全維持法の下に置かれた香港が今後、香港のアイデンティティをどこまで維持できるか、それともこのまま中国と同化していくのか。香港映画に注目が集まっている今、非常に興味深いテーマだと思う。

Posted by ブクログ

2023/02/06

九龍城寨は香港にかつてあった城寨(城砦)であり、また、その後に発展したスラム街である。 過密かつ無秩序に多くの建物が建てられ、水道や電気などのインフラも秩序だった形では整えられなかった。街の中はまさにカオスで迷路のよう。麻薬売買や売春、賭博なども行われた。 都市のごく近くに、ある...

九龍城寨は香港にかつてあった城寨(城砦)であり、また、その後に発展したスラム街である。 過密かつ無秩序に多くの建物が建てられ、水道や電気などのインフラも秩序だった形では整えられなかった。街の中はまさにカオスで迷路のよう。麻薬売買や売春、賭博なども行われた。 都市のごく近くに、ある種、「異界」のような場所ができたのは、香港の複雑な歴史と深い関わりがある。 それをざっくりと紐解いてみようというのが本書の主題である。 「九龍」という印象的な地名の由来には、山脈を龍と見立てて九頭の龍がいるようであったからなどとする、いくつかの説がある。かつてこの地に九龍村という村があり、その名がもとになっていることは確かなようである。 香港島の対岸に位置する九龍は、地理的に重要な場所であった。 海賊や外敵が襲ってくるのを見張るため、のろし台が建てられたのが17世紀半ばの康熙帝の時代のこと。19世紀初頭には砲台が建てられた。 その後、1839年にアヘン戦争がはじまり、この地の軍事的地位はますます高まることになる。 アヘン戦争後、イギリスが香港島を占領。 イギリス側と中国側との協議の結果、密輸や海賊を取り締まる必要があるとされ、中国側が九龍に城砦を築くことになる。同時にここは、中国側がイギリス側を偵察する役割も果たすことになる。 1860年には九龍半島南部がイギリスに割譲、1898年には新界と称される深圳河以南や香港島周辺の島々等が租借されるが、九龍城砦は中国領として保留された。 ことがさらに面倒になったのは、太平洋戦争がはじまり、香港が日本に占領されたことによる。九龍城砦の領有をめぐる小競り合いは何度かあったが、はっきりと結論の出ない宙ぶらりんの形のまま推移していく。 戦後は、香港政庁(イギリスが設置していた香港統治機関)もイギリス政府も中国政府も管轄できない「三不管」の地となる。 1950年代には中国から大量の移民が香港に押し寄せ、九龍城砦の中に勝手に建物を建て住み着く。大陸から来たヤクザが香港のヤクザ組織と手を組んで違法な活動を始める。彼らはまずストリップショーで客を集め、さらに賭博場へと誘い込んだ。ポルノや麻薬、何でもござれである。 ヤクザたちは、「三不管の地だから取り締まられることもない」と客を呼び込み、荒稼ぎをした。 スラムのイメージはこの時代以降のもので、逆に言えばスラムとしての歴史はそれほど古くはないといえそうだ。 一方、周辺地域に比べて格段に安く住めたため、多くの貧しい住民が住み着いた。 大工場の下請けをする小規模工場や製作所も多く作られた。 おもしろいところでは、香港政庁のライセンスが得られなかった歯医者や西洋医がこの地に多く開業したという話がある。これらは住民たちに廉価な医療サービスを提供してくれた。 だが、増え続ける住民を背景に家は高層化し、住環境は劣悪化した。 1997年の香港返還を前に、九龍城砦を取り壊す計画が持ち上がった。住民からは反対意見も出て、すんなりとことが運んだわけではなかった。本書の著者は住民側に同情的で、「歴史的経緯を考えれば手厚い補償・保護があってしかるべき」としている。付録として付された「九龍城寨取り壊し関連資料」も興味深い。 本書の原著刊行は1988年だが、その後、1993年~94年、九龍城砦は取り壊された。現在では跡地に公園や資料館が設けられている。 在りし日の姿を写した写真集などもあるようなので、別途、機会があれば手に取ってみたい。

Posted by ブクログ