商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | KADOKAWA |
発売年月日 | 2021/09/18 |
JAN | 9784044006624 |
- 書籍
- 文庫
権記
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権記
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商品レビュー
3.7
7件のお客様レビュー
藤原行成の日記。苦労人で真面目な人なんだな、と感じた。有力な血縁や姻戚をもたないので、一条の側近でありながらも道長側に付き、一条に働きかけなければならないなど苦労されたのだろうな。そんな行成は、道長と同じ1027年12月4日没。小右記、御堂関白記、権記(完全版ではないです)と読み...
藤原行成の日記。苦労人で真面目な人なんだな、と感じた。有力な血縁や姻戚をもたないので、一条の側近でありながらも道長側に付き、一条に働きかけなければならないなど苦労されたのだろうな。そんな行成は、道長と同じ1027年12月4日没。小右記、御堂関白記、権記(完全版ではないです)と読みました。どうしても大河ドラマの役者さんが被ってきてしまう。
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- ネタバレ
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苦労人行成のお仕事日記。 『御堂関白記』とまた違ったかたちで、あの時代を記した日記である。自筆が残っている『御堂関白記』がレアとはいえ、あまり詳しく残っていないのは寂しい。なかなか出世が望めない状況で、道長に追従しながら頑張っていたことが感じられる日記だが、妻子の病や死について書いた部分も印象的。
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藤原行成 天禄3年(972)~万寿4年(1027)12.1・・なんと道長と同じ日に没。 日記はもともと「行成卿記」と呼ばれていたが、最高位の権大納言(寛仁4年1020 後一条天皇時の49才)により「権記」とよばれるようになった。20才の西暦2年(991)から寛弘8年(1011)...
藤原行成 天禄3年(972)~万寿4年(1027)12.1・・なんと道長と同じ日に没。 日記はもともと「行成卿記」と呼ばれていたが、最高位の権大納言(寛仁4年1020 後一条天皇時の49才)により「権記」とよばれるようになった。20才の西暦2年(991)から寛弘8年(1011)までが伝存し、これに55才の万寿3年(1026)までの逸文(諸書に引用された物)が残っている。特に蔵人頭在任中の活動が詳細に記されており、当時の政務運営の様相や権力中枢の深奥(宮廷の秘事)を把握するための第一級の史料である。 「権記」は日時記(ひなみき)、別記、部類記などが複雑に伝来して、現在の形にいたっていると考えられる。現存する「権記」の最古の写本は、鎌倉期の書写とされる伏見宮家旧蔵本22巻き(宮内庁書陵部蔵)である。一部は江戸期に書写された前田本(尊経文庫蔵)しか存在しない年もある。 日にちごとに、訳文、読み下し文、原文、解説の順。 「国際日本文化研究センター 摂関期古記録DB」に「権記」あり 読み下し文が日にち順に載っている。 https://www.nichibun.ac.jp/ja/db/category/heian-diaries/ 最初の記録は、 ・西暦2年(991)9月7日 大臣任命の儀式の様子。 太政大臣の官は、摂政正二位藤原道隆朝臣を任じるべきである、と宣したが謙譲の心が深くて、内大臣の官をも辞し申した。 ~ここらへん「光る君へ」でも描かれていたかも。 (行成は20才、従五位上→正五位下となった) ・長徳元年(995)8月29日 蔵人頭に抜擢される 巻末に年表 寛仁2年(1018) 3月、行成女(12才)、道長男長家(14才、母明子の末子)と結婚。行成は長家を自邸に迎えたことになる。長家は倫子の養子となっていて、明子所生の兄たちとは政治的立場が異なっていた。だが兄たちと同じく数々の濫行で名をはせていた。 だが、治安元年(1021)行成女は亡くなってしまう。・・この亡くなった日の記述は1行載っていた。・・ということは15才で亡くなった? 行成は両親や祖父、妻、子たちに先立たれている。 本文は読み下しがあるとはいえ、全部読むのはなかなか難行。とりあえずこういうものか、というのが分かった。 解説:倉本一宏 2021.9.25初版 2023.10.15第3版 図書館
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