商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2021/01/29 |
JAN | 9784000614481 |
- 書籍
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結核がつくる物語
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結核がつくる物語
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北川扶生子著『結核がつくる物語 : 感染と読者の近代』(岩波書店) 2021.1発行 2013.10.3読了 戦前、結核は「死の病」「亡国病」として人々に恐れられ、結核にかかった患者は差別の対象となったきた。 社会がまだ安定していた頃は、不衛生な職場環境や貧困など環境に起...
北川扶生子著『結核がつくる物語 : 感染と読者の近代』(岩波書店) 2021.1発行 2013.10.3読了 戦前、結核は「死の病」「亡国病」として人々に恐れられ、結核にかかった患者は差別の対象となったきた。 社会がまだ安定していた頃は、不衛生な職場環境や貧困など環境に起因するものとして説明されていたが、戦局が次第に悪化していくにつれ、結核に感染するのは本人の体質や血統によるものだと言われるようになり、優生学思想により断種さえ敢行されていたという。 現実世界で結核患者が激しく糾弾される一方で、文学の分野では結核をドラマに仕立て上げようという動きが活発した。結核に侵された女の純愛を描いた徳富蘆花著『不如帰』、立身出世を夢見る青年が志半ばにして結核に倒れる姿を描いた田山花袋著『田舎教師』、殉教者としての結核患者を描く葉山嘉樹著『淫売婦』など、いま目の前にある現実とは違う「もうひとつの世界」を創造することで、現実を反転する価値を結核に与えようとしたのである。しかし、そうした試みは現実の結核患者の姿を何重ものイメージによって覆い隠す結果にもつながっていく。 筆者は、結核に関する専門書や文学などのフィクションの世界から離れて、結核患者向けの月刊誌『療養生活』に投稿された結核患者の生の投稿文から、当時の結核患者の日常の姿を浮き彫りにしようとする。 その際、一つの判断枠組みとして筆者が用いたのが正岡子規の「写生文」である。 写生文とは、平易な言文一致体で平凡な個人の生活を眼に見えるように描くというもので、写実主義文学や自然主義文学、生活綴方運動など、日本のリアリズムの大きな水脈となった。 写生文には、自然主義とは違い、「自分の生活を笑うスタイル」や「共感しつつ距離をとって書く」特色があり、これが、結核患者に「病いを日常として描く表現法」を準備したのだという。 『療養生活』は田邊一雄が1923(大正12)年に創刊した雑誌で1965(昭和40)年まで40年あまりにわたって刊行された。田邊一雄は自身も結核患者であったが、自然静臥で結核が治った経験から、結核患者を啓蒙し助けたいと思い立ち、『療養生活』を創刊したという。『療養生活』には、田邊一雄が提唱する自然療法の実践を支えるメディアという側面を持ち、療養を「修行」と捉え、自然療法を神の導きであると説くなど、結核を自己責任の問題に片付けようとする系譜に連なるものがあり、この点、注意が必要だが、その一方で、結核患者同士で情報を交換し、交流を深める場としても機能していた。 例えば、『療養生活』には、詩・短歌・俳句・川柳・エッセイなどの投稿欄があり、ここには結核患者の肉声のこもった投稿が寄せられ、仲間である結核患者から共感のこもった感想が寄せられていた。また読者交流欄「まどゐ」には、苦難を明るく伝えるという暗黙のルールがあり、自分を戯画化して、笑いをとってみせるパフォーマンスが読者の支持を集めた。 ここでは、結核患者は〈患者〉というレッテルから解放されて個性を発揮し、彼らを責める言葉は笑いで換骨奪胎して無意味化されていた。 戦中期の国内の状況を考えるとき、結核患者向け専門誌の片隅に、仲間うちの共感の中で自分の感情を解放できるコミュニティがあったということは非常に興味深い。ここに筆者は、非日常化されていない、ありのままの結核患者の姿を見るのである。 ただし、結核患者たちがどのように生きたのかを研究するという目的を考えると、『療養生活』を取り上げるだけでは根拠に乏しいだろう。もっと他の資料も取り上げるべきであった。また、結核文学を結核患者自身がどのように受容していたのかの考察がないのも残念だった。さらなる研究を期待したい。 URL:https://id.ndl.go.jp/bib/031184364
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コロナ騒ぎが始まって以来、いわゆる感染症と社会のかかわりにふれた本がたくさん出ているようです。この本も、題名だけ見るとそういうご時世の、まあ、便乗本(?)のように見えますが、少し違います。 スーザン・ソンタグの「隠喩としての病」とか柄谷行人の「日本近代文学の起源」とかに触発さ...
コロナ騒ぎが始まって以来、いわゆる感染症と社会のかかわりにふれた本がたくさん出ているようです。この本も、題名だけ見るとそういうご時世の、まあ、便乗本(?)のように見えますが、少し違います。 スーザン・ソンタグの「隠喩としての病」とか柄谷行人の「日本近代文学の起源」とかに触発されての、何年にもわたる研究成果の書籍化で、流行にのって書ける本ではありません。近代日本文学を書き手と読み手という双方から考える上で、見逃すことができない結核とハンセン氏病という感染症の実像を解き明かした、読み応えのある労作でした。 ブログにも少し書きました。覗いてやってくださいね(笑)。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202303060000/
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主に戦前・戦中期の国内結核療養事情のレポート。 古典的な展開と描写。 一部、コロナ流行期の現代にダブル部分がある。 有効な治療法が無いことと、不治の病であった部分の非合理性。
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