商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 白水社 |
| 発売年月日 | 2020/11/07 |
| JAN | 9784560510407 |
- 書籍
- 新書
脱成長
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脱成長
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商品レビュー
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脱成長とは、何らかの選択肢を示しているのではない。「支配的な生産力至上主義に変わる様々なオルタナティブの母胎」である。 ということらしいが、それでもこの本を通読しても、資本主義の終わりを想像する方が容易い、と感じてしまった。少なくとも、私にはそのオルタナティブ足り得る考え方なの...
脱成長とは、何らかの選択肢を示しているのではない。「支配的な生産力至上主義に変わる様々なオルタナティブの母胎」である。 ということらしいが、それでもこの本を通読しても、資本主義の終わりを想像する方が容易い、と感じてしまった。少なくとも、私にはそのオルタナティブ足り得る考え方なのだろうか、と思ってしまった。なんとなく、ここに書かれていることが、綺麗事のように感じてしまい、一層この生産力至上主義社会への絶望が増した気がする。(この本を、本当に理解できていないだけなのかもしれないが) おそらく筆者は、「脱成長」という言葉が一人歩きして歪んだ解釈をされているのを正したいのだと思うし、この生産力至上主義社会の矛盾を露わにしたいのだと思う。 脱成長は、決して「マイナス成長」を意図しているわけではないし、なんらかの権力を握ろうとする運動でもない(政党を組んで政権を取ろうとするものではない)、文明の後退を意図しているわけではないし、人口減少を意図しているものでもない、雇用の減少を意図するものでもない。まず、我々の想念を「脱植民地化」するものである。つまり、成長至上主義という宗教から脱することが、まず「脱成長」の目的なのだと思う。そして筆者は、その「脱成長」に基づいた、地域のことは地域で行う、ボトムアップ型のような、「再ローカリゼーション」に期待を寄せている。そこまではいいが、筆者は、「脱成長は人間の創意工夫に賭けてもいる。人間の創意工夫は、しかるべき時が来たならば、必ずや解決策を発見するだろう。」とまで述べている。この発言は、あまりにも希望がないし、あまりにも無責任だと感じてしまった。結局のところ、私たちは、この生産至上主義社会の中で、「脱成長」という「宗教」を抱えて生きるしかないのだろうか。 生産至上主義社会の矛盾は、嫌というほど分かる。生産にの伴うコストは、自然破壊はもちろんだし、「現代的生活(労働条件、交通、環境など)が引き起こすストレスの増加に耐えるために、市民は薬を必要とし、それによって経済はさらに成長する。」「持続可能な開発」と言う言葉も欺瞞に過ぎない。そもそも地球資源は有限であり、持続可能たりえない。それは分かる。この本を通読したが、資本主義の欺瞞に対する言及が多く、肝心の「脱成長」を理解しきれなかったのかもしれない。
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- ネタバレ
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脱成長とは、昨今の持続可能な開発とは異なる概念。 持続可能な開発は、結局経済成長のワードでしかない。 経済成長が正しいとする概念からの脱却を意図し、生態系の再生産に見合う物質的生活水準に戻ることを目的としている。 資本主義は際限のない欲望と際限のないリソースを前提としている。しかしながら、実際のところ、もう必要なものは備わっている、少なくともある程度の水準はだれでも享受できているし、地球が一つである限り、物質的資源は有限。さらに経済成長によって、富の波及効果(トリクル・ダウン)は起きず、格差は広がり(それによりまた欲望が刺激される)、環境はエントロピーの増大という物理法則を踏まえると、どうやっても、破壊される。(エコロジカルフットプリント(生活様式が環境に与える影響)はすでに人間の再生産に利用される空間よりも大きいらしい、つまりこのままの人口で行っても、いずれ資源の枯渇が起き、人類の再生産ができなくなる。) こういうすでに崩壊している仕組みを維持するのではなく、新たな社会の構築が急務ではないか。そのアプローチとして、脱成長を掲げている。 この資本主義は囲い込み運動によって、もともと農民が暮らしていた土地を地主が取り上げたことに端を発する。生産手段を所有する資本家と労働力を売るしかなくなった労働階級とが誕生した。 その歴史を踏まえると、労働からの脱却、土地に根を張ることが脱成長のアプローチ。再ローカリゼーション。 単一機能化と極端な専門分化を資本主義とかグローバリゼーションの原理とすると、小規模、多機能な存在としての個人が脱成長における構成要員となる。 コミュニティや自然などのルーツから市場社会の構成員は脱却していて、広告の餌食で消費中毒者であるが、脱成長した社会においては、ルーツに根差して、贈与、互酬性に基づく交換を行う個人となる。 この反グローバリゼーション(=再ローカリゼーション)がこの本紙の主張だが、個人的には、ローカリゼーションはユートピアでもなくて、隣人付き合いや地域社会の小競り合いは発生する、むしろそういうねちっこい部分を嫌い、若者は地域を離れ、都市に移住してきた。従来の地域社会への懐古厨となるのではなく、新しい地域社会みたいなものを新たに構築していくことが理想なんだろうなと思う。例えば、IT、SNSなどでできたコミュニティを物質的な領域に根差させるとかかな。具体的なアプローチは読者にゆだねられている。
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