脱成長 の商品レビュー
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脱成長とは、昨今の持続可能な開発とは異なる概念。 持続可能な開発は、結局経済成長のワードでしかない。 経済成長が正しいとする概念からの脱却を意図し、生態系の再生産に見合う物質的生活水準に戻ることを目的としている。 資本主義は際限のない欲望と際限のないリソースを前提としている。しかしながら、実際のところ、もう必要なものは備わっている、少なくともある程度の水準はだれでも享受できているし、地球が一つである限り、物質的資源は有限。さらに経済成長によって、富の波及効果(トリクル・ダウン)は起きず、格差は広がり(それによりまた欲望が刺激される)、環境はエントロピーの増大という物理法則を踏まえると、どうやっても、破壊される。(エコロジカルフットプリント(生活様式が環境に与える影響)はすでに人間の再生産に利用される空間よりも大きいらしい、つまりこのままの人口で行っても、いずれ資源の枯渇が起き、人類の再生産ができなくなる。) こういうすでに崩壊している仕組みを維持するのではなく、新たな社会の構築が急務ではないか。そのアプローチとして、脱成長を掲げている。 この資本主義は囲い込み運動によって、もともと農民が暮らしていた土地を地主が取り上げたことに端を発する。生産手段を所有する資本家と労働力を売るしかなくなった労働階級とが誕生した。 その歴史を踏まえると、労働からの脱却、土地に根を張ることが脱成長のアプローチ。再ローカリゼーション。 単一機能化と極端な専門分化を資本主義とかグローバリゼーションの原理とすると、小規模、多機能な存在としての個人が脱成長における構成要員となる。 コミュニティや自然などのルーツから市場社会の構成員は脱却していて、広告の餌食で消費中毒者であるが、脱成長した社会においては、ルーツに根差して、贈与、互酬性に基づく交換を行う個人となる。 この反グローバリゼーション(=再ローカリゼーション)がこの本紙の主張だが、個人的には、ローカリゼーションはユートピアでもなくて、隣人付き合いや地域社会の小競り合いは発生する、むしろそういうねちっこい部分を嫌い、若者は地域を離れ、都市に移住してきた。従来の地域社会への懐古厨となるのではなく、新しい地域社会みたいなものを新たに構築していくことが理想なんだろうなと思う。例えば、IT、SNSなどでできたコミュニティを物質的な領域に根差させるとかかな。具体的なアプローチは読者にゆだねられている。
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セルジュ・ラトゥーシュ(1940年~)は、仏ブルターニュ地方生まれ、パリ第一大学経済学博士、仏政府の開発協力プロジェクト参加(ザイール、ラオスに滞在)、リール大学教授、パリ第一大学教授等を経て、パリ南大学(オルセー)名誉教授。キャリアの前半は、主に開発経済学の研究に力を注いだが、...
セルジュ・ラトゥーシュ(1940年~)は、仏ブルターニュ地方生まれ、パリ第一大学経済学博士、仏政府の開発協力プロジェクト参加(ザイール、ラオスに滞在)、リール大学教授、パリ第一大学教授等を経て、パリ南大学(オルセー)名誉教授。キャリアの前半は、主に開発経済学の研究に力を注いだが、21世紀に入ってから、エコロジー問題に関心を移し、現在ではフランスにおける脱成長運動の指導者的存在として世界的に認知されている。 本書は、2019年に発表された『La decroissance』の全訳で、2020年に日本語訳が出版された。 内容は、21世紀に入りフランスから世界へと普及した脱成長運動について、その歴史的背景、理論的射程、課題を最新の議論を踏まえながら解説したもので、著者のこれまでの学問的歩みの集大成とも位置付けられるものである。 私は以前から、世界中に広がる格差の元凶である資本主義に問題意識を持ち、ジョセフ・スティグリッツ、水野和夫、トマ・ピケティ、広井良典らの著作を読んでいたが、多分に漏れず、斎藤幸平が『人新世の「資本論」』の中で述べている「脱成長コミュニズム」というコンセプトに刺激を受けており、本書を手に取ったのもその流れによる。 重要なポイント(一部引用・抜粋)は概ね以下である。 ◆脱成長は、別の形の経済成長を企図するものでも、(持続可能な開発、社会開発、連帯的な開発など)別の形の開発を企図するものでもない。それは、これまでとは異なる社会―節度ある豊かな社会、「ポスト成長」社会、もしくは「経済成長なき繁栄」―を構築する企てである。言い換えると、脱成長は経済学的な企てでも別の経済を構築する企てでもなく、現実としての経済および帝国主義的言説としての経済から抜け出すことを意味する社会的企てである。 ◆脱成長プロジェクトは、人間の未来を複数の運命へと再び開く。生産力至上主義的な全体主義と経済帝国主義の重圧から解放されたら、人々は文化の多様性を再発見する。一次元的な合理的経済人を乗り越えて、諸社会は抑圧された希望と再びつながることで持続可能な未来を構築することができる。脱成長はある一つのオルタナティブな道でなく、むしろオルタナティブの様々な可能性の母体である。 ◆経済成長社会との断絶、すなわち脱生力産至上主義社会の構想は、簡素な生活の「好循環」の形をとる。それは、再評価、再概念化、再構造化、再ローカリゼーション、再分配、削減、再利用、リサイクルの8つで表現される。これら8つの目標は、生産力至上主義および消費主義の論理と対照を成す重要な点に触れており、相互に依存している。それらはまた、穏やかで、自律共生的で、持続可能な簡素化から成る自律社会へ向かう推進力となるだろう。 ◆脱成長は、マイナス成長や緊縮財政のことではない。脱成長は文明の後退ではない。生態学的危機を乗り越えるためには、(脱成長よりも)過剰な人口を削減する方が効果的であるという指摘は当たらない。脱成長は雇用を減少させ、失業問題が生じるという指摘は当たらない。 ◆求められているのは、過去になかったほど重要な新しい想念を想像することである。つまり、人間の生活の中心に生産・消費の拡大とは異なる意味を置く想念、人々に価値あるものと認められうる(経済成長とは異なる)生活目標を掲げる想念の想像である。そのような想念を想像するに際し、我々は大きな困難に直面しなければならない。我々は、経済的価値が中心的な(あるいは唯一の)価値ではなくなった社会、すなわち経済が人間の生活の単なる手段として位置づけられ、究極の目的ではなくなる社会、常に多くの消費へと向かうこの狂った道を手放す社会を欲しなければならない。 要するに、脱成長とは、経済(成長)を至上とする価値観、そうした価値観に基づいたシステムからの脱却という、壮大なプロジェクトなのだ。 そして、著者は他方で、「多くの著者が強調していることだが、我々の文明の崩壊を想像する方が、資本主義からの脱出を想像するよりもずっと簡単だ」と、このプロジェクトが極めて難しい試みであることも指摘している。 しかし、私はやはりこの道しかないと思うのだ。我々人類は、その進化の過程で、それまでは持っていなかった自然信仰を、更に普遍宗教を身に付けて来た。それと同じようにして、我々は今後、これまでとは異なる価値原理や思想を生み出し、身に付けることができる、そう信じたい。 (2022年3月了)
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数十冊思想書読んだけど、行き着くのは確かにここ。『脱成長』は言葉が悪いので、『改宗』くらいが良いと思う。 ラトゥーシュの主張は一つ、『成長教』から『アニミズム』になろう。仏教的。
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【脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治的スローガンである】(文中より引用) 環境問題や行き過ぎた格差の拡大を前に、近年その重要性が指摘されるようになった「脱成長」という考え方。賛否両面からの誤解を受けるこの語の意味するとこ...
【脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治的スローガンである】(文中より引用) 環境問題や行き過ぎた格差の拡大を前に、近年その重要性が指摘されるようになった「脱成長」という考え方。賛否両面からの誤解を受けるこの語の意味するところ丁寧に紹介しつつ、あり得べき社会システムとは何かについて思考の種を蒔いてくれる一冊です。最近この手の本が書店によく並ぶようになったなと思いながら手に取りました。著者は、「脱成長」の先駆者とも言えるセルジュ・ラトゥーシュ。訳者は、著者から直々に翻訳を頼まれたと語る中野佳裕。 『人新世の「資本論」』も読んでみようかな☆5つ
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本書のタイトルにもある「脱成長」社会の実現は、世界の「再魔術化」という問題を提起するそうです。例えば社会学の分野などで使われる魔術化とは異なり、聖なるものの意味を再発見し、人間の精神的次元に再び正当性を与え、さらには世界の美しさに驚嘆する能力を回復することを重視する社会だそう。そ...
本書のタイトルにもある「脱成長」社会の実現は、世界の「再魔術化」という問題を提起するそうです。例えば社会学の分野などで使われる魔術化とは異なり、聖なるものの意味を再発見し、人間の精神的次元に再び正当性を与え、さらには世界の美しさに驚嘆する能力を回復することを重視する社会だそう。そしてその社会において芸術(アート)がより良く生きるための技法として作用すると。 なるほど、芸術を軽視する今の日本社会が資本主義社会の成れの果てであることを考えるとよく納得できる結論です。 本書は全体的に具体的かつ簡潔な文章で書かれていますが、ただしフランスで書かれた本だけあって西欧では、すぐに浮かぶであろう人物の名前やエピソードが散りばめられています。日本に住んでいる多くの人々は、おそらくパッとその辺の名前などは思いつかないのではないでしょうか(それとも自分が知らないだけ?)。いまいち頭に入ってきませんでしたね。 個人的に一番に印象に残ったのは、第2章 脱成長の目的の国家と脱成長の節で、脱成長は、本来メタ政治プロジェクトであるべきという主張です。脱成長の政党の設立は必ずしも妥当ではなく、脱成長は、右や左といった政治イデオロギー対立や政治というゲームにも関わらないとのことです。今日ではなぜか左派が環境問題の解決を政策に反映する運命にあるように思われていますが、本来はそうではありません。むしろ多くの既存左派政党も「緑の経済成長」という題目でいまだに経済成長を是とする嘆かわしい状況です。日本や海外でもMMTやAI技術を持ち出してきたりする有様なんですよね。脱成長の旗頭を担うフィアレス・シティ「バルセロナ」が市民政党によって運営されているのは納得です。
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経済成長を宗教のようなものだと看破し、持続可能な選択肢としての脱成長を紹介した本。脱成長の定義や方法論、よくある誤解と回答など、短い本にも関わらず多面的に論じられており、脱成長に関する理解を一層深められた。翻訳本であることも相まってか、やや読みづらい本だった。
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