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民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代 中公新書2605
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
| 発売年月日 | 2020/08/21 |
| JAN | 9784121026057 |
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民衆暴力
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民衆暴力
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商品レビュー
4.3
27件のお客様レビュー
近代の民衆暴力ということで、明治初期の新政反対一揆、1884年の秩父事件、1905年の日比谷焼き打ち事件、1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺を取り上げている。朝鮮人虐殺に関する知識を深めるために読んだこともあってかもしれないけど、何やら他の3つの事象に比べて性質が違うような気が...
近代の民衆暴力ということで、明治初期の新政反対一揆、1884年の秩父事件、1905年の日比谷焼き打ち事件、1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺を取り上げている。朝鮮人虐殺に関する知識を深めるために読んだこともあってかもしれないけど、何やら他の3つの事象に比べて性質が違うような気がした。紙幅の割き方も大きく、むしろ朝鮮人虐殺のことで一冊できるような気もしたけど。 選んだからかもしれないけど、時代を追うにしたがって無秩序になっていく感じがする。序章では江戸時代の百姓一揆の流儀についても書かれているんだけど、意外と秩序だったパフォーマンス的なものだったのに。人々が権力に虐げられたり権力が強いる理不尽に抗う意識をもつようになったからか。はたまた、虐げられる人がさらに人を虐げるからだろうか。 そして民衆暴力というけれど、実は国家による暴力コントロールみたいな面も大いにある感じがした。国家権力が自分たちへの非難をかわすために、民衆間で敵対させているのではと思うような要素も感じたり。
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集団の恐ろしさ 天下晴れての人殺し 国家権力がその暴力を直接的・間接的に許可 国が暴力を容認する時、自分はどうするのか
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明治から大正にかけての「民衆暴力」を、そのタイトル通り”民衆”の側の事情を掘り下げて書いた一冊。 おしなべて言うと…この国の動きは意外と「普通の人」が決めているんだなあ、と。それは悪い意味でも。 書の最初で、江戸時代は「仁政イデオロギー」のもとに動いていた、と解く。 身分に応...
明治から大正にかけての「民衆暴力」を、そのタイトル通り”民衆”の側の事情を掘り下げて書いた一冊。 おしなべて言うと…この国の動きは意外と「普通の人」が決めているんだなあ、と。それは悪い意味でも。 書の最初で、江戸時代は「仁政イデオロギー」のもとに動いていた、と解く。 身分に応じた動きをすること前提に、領主には百姓の生業維持を保証する責務が、それを保証する領主に百姓は年貢を納める責務がある、という考え方。 「百姓一揆は筵旗」みたいなイメージがありますが、それも「百姓はこのような格好をする」という前提を崩さずに領主の仁政を乞う、ある種の「お約束」だったらしい。 が、気候変動や世界的な植民主義の流れで、その仕組みを維持できなくなったことで、結果的に江戸幕藩体制は崩壊し、 明治新政府は「西洋的な中央集権国家」を目指そうとした。 でも、それに”普通の日本人”はなかなか恩恵を受けない。 市場経済の影響をもろにうける地租改正、働き手をとられる学校制度や兵役、そういうイシューをきっかけにして、様々な形で不満は爆発する。 そしてその爆発の対象は、その制度を作った国やそれで稼ぐ商人に向かうとは限らず、弱い対象に向かうこともある。 そんな中、日露戦争後の得るところの少ない講和条約への不満をきっかけに、東京へ出てきたもののほどほどの稼ぎしか得られていなかった”普通の労働者”が中心になって日比谷焼き討ち事件(1905年・明治38年)が発生。 それを受けて、政府は中央集権的に警察・軍だけが暴力を持つことを諦め、自警団的な民間協力組織を育成する方針に変更。 そんな中、関東大震災(1923年・大正12年)が起こり、 警察の朝鮮人への警戒情報がきっかけになり、自警団などが暴走。 大量の”不逞な朝鮮人”を「天下晴れての人殺し」してしまう結末に達した。 自衛的な意味もあって暴力と周縁社会は関係が強い、 そんな先入観を持ちがちなのです。 実際、秩父事件(1884年・明治17年)の指導者には、博徒の顔役的な人もいたらしい。 でも、実際に破壊活動にかかわる人の多くは”借金苦になった普通の人”。そういう人が乗っからない限りは”民衆暴動”にはならないらしい。 関東大震災の朝鮮人虐殺も、混乱した震災地ばかりで起こったわけではなく、 移送途中の朝鮮人が、被害のほぼなかった埼玉県本庄署にいるところを自警団が襲撃、大量(数十人規模)虐殺をした、という事例もあったらしい。 そんな本庄では、東京からの震災避難者を支援していて、その人から聞いた朝鮮人に関するデマがそんな行動を後押しした、という話にはかなり考えさせられた。 「普通の日本人」が「普通に生きていく」ことと、 排他性や暴力性は決して無縁ではなく、むしろ親和性が高い場合すらある。 「日頃から朝鮮人と付き合いのあった地域では、朝鮮人を守る動きもあった」というところに希望を持ちつつも… 「普通の日本人の通俗道徳」という一見いいものに思いがちなものを信頼しすぎることは、 結構危険なことなんだな、と感じた一冊でした。
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