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八本脚の蝶 河出文庫
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八本脚の蝶 河出文庫

二階堂奥歯(著者)

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八本脚の蝶 河出文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 河出書房新社
発売年月日 2020/02/06
JAN 9784309417332

八本脚の蝶

¥1,650

商品レビュー

3.9

50件のお客様レビュー

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2025/12/01

きっと彼女は一生分の思考を使い切ってしまったのだ、と思った。 彼女の考えに共感するところは少なかったけれど、思考の渦のなかでもがき苦しんでいる姿は自分に近いものを感じた。根源的な恐怖だって、考えて理解できればなんとかできる、と思ったのかな。私は中途半端な人間だからすぐ諦めてしまう...

きっと彼女は一生分の思考を使い切ってしまったのだ、と思った。 彼女の考えに共感するところは少なかったけれど、思考の渦のなかでもがき苦しんでいる姿は自分に近いものを感じた。根源的な恐怖だって、考えて理解できればなんとかできる、と思ったのかな。私は中途半端な人間だからすぐ諦めてしまうけど、彼女は完璧主義な上に能力もあるから、やり切ろうとしてしまったんだろうな。 空の上で何も考えずに、美しいものを愛でていてくれたらいいのに、と思う。おつかれさまでした。

Posted by ブクログ

2025/11/21

考えさせられたことは、言葉は不完全なんだろうなあ、と。 物理では複素数がないと現象を表現できないことがあるように、言葉には虚数に当たるものがない、とか。 だから実数しかない言葉で、哲学や神を語っても、それは説明にも、正しい理屈でもない、なんて。

Posted by ブクログ

2025/10/24

あさま山荘と似た匂いがした。 男女がそれぞれに振り切ると、当然「自分は右翼/左翼」の自認を持った時と同じく、思考を振り切ってその自認を守ろうとする心の動きがあると思う。 そういう意味で男らしくあろうとする人も女らしくあろうとする人もどちらも怖い。 「Self-verific...

あさま山荘と似た匂いがした。 男女がそれぞれに振り切ると、当然「自分は右翼/左翼」の自認を持った時と同じく、思考を振り切ってその自認を守ろうとする心の動きがあると思う。 そういう意味で男らしくあろうとする人も女らしくあろうとする人もどちらも怖い。 「Self-verification theory」という(日本語の翻訳が見つかってない。信憑性あるなと思ってるけど一応疑いは必要。)ものを最近知った。 自己観を安定させようとする心の動きのこと。他人にも自己観に基づいた自分への理解を求めようとするらしい。実験:3タイプの面接官がいて、それぞれ肯定的、中立、否定的なFBを与えると学生たちに知らされていて、選ぶことができる。自己肯定感が高い人は肯定的なFBをくれる面接官、低い人は否定的なFBをくれる面接官を求める傾向にあったらしい。 自分の気分を高めることよりも自己観の安定を優先した結果と捉えられている。(もちろんこれだけ聞くといくつもツッコミどころがある。詳細は調べてくらはい) これを飛躍させてみると、自分を「右翼」「左翼」「女らしい」「男らしい」「ガーリー」「強い」とか、そういった定義を自分に持つ(二階堂奥歯の場合「課す」感じが強いが、自己責任ではないけど、それは沢山のインプットをした結果の彼女が望んだ心の動きだと思う。決して社会に壊された、ではないと思う。)人は、自分の価値観を揺るがされた時、あるいはそうでなくても何かしらの決断の時、現実や論理、メタ認知を無視して、自己観に基づいた判断、思考、分析をしがちだと思う。これは俺にも経験があるし、これからも俺は経験すると思うし、みんなそうだと思う。 でもそういうメタ認知を無視する人が哲学をやるのは良くない。二階堂奥歯がどういうふうに哲学をやってたかは分からないけど、たとえば哲学の語句を捉える時は「その著者がどういう意味でその言葉を使っていたのか」を注意深く捉える必要がある。そこに変に自分の解釈を途中で挟めてしまうと、読み取れなくなってしまう。 (追記:この箇所に一番重要な箇所をかけていなかった。 2002年以降、好きなものを紹介していた引用から、自分の思考の裏付けとしての引用が増えていった印象がある。その文章の意味ではなく、抽象的な文章を自己観によって意味を作り変えている。明らかに論理の倒錯が見られる箇所も、数個あった。そういう形で先鋭化するのではないかと思う。) 二階堂奥歯は哲学をやらない方が良かったんじゃないか。「なぜ世界があるか」ではなく、「なぜ世界があると知りたがるのか」を考える方が良かったんじゃないか。人生を考えることが好きな人に哲学をすることは難しいと思う。 二階堂奥歯は盲目的になりたい、なれない、なっちゃいけない(地続きの心の動きではなく、それぞれ独立している心の動きだと思う)と思っていたのだと解釈してるけど、十分盲目的だと思う。 2001年は安定していた(ように見える)心の動きが、2002年以降明らかにあやしいところが増え始めた、その間に何があったのか?を知りたい。 昔からだったのか、その時何かがあったのか、あるいは思考を尖らせていった結末がちょうどその時点だったのか。 あさま山荘も、元々の思考は共産主義社会主義という、社会を良くしようとする、国家にとっても「腹中有益の菌」だったはずなのに、結局は「統括」と称してリンチを行った。東大紛争でもそう。二階堂奥歯も。そうして、そういう人間がみんな20代くらいで考えを極めることに至るのはなんでなんだろう? (追記:早熟の話。傾向があるはず。考えてみよう) 母親が昔、「あんたは頭でっかちだから気をつけな」「あんたみたいな人間が一番騙されやすい。オウムとかね」と言ってくれたことを思い出す。だから大学ではとにかく経験を重視して、自分の価値観に関わらず色んなことを経験してみることができて、それが二階堂奥歯と途中まで(本当に少しだけ)似たような思考をしていた自分との分かれ道だったと思う。 色々書いたけど、本当にどうでもよくて、心の底から悲しいと思っている。きっと危うげで面白くて人の気持ちを考えられる人だったんだと思う。一度会って話してみたいくらい魅力的な人。惜しい、とか、即物的なことは思わないけど。 こういう人の支えに少しでもなりたい、なれる自分でありたいという気持ちを忘れないように生きたい。 女を責めて苦しませる、言葉に耐え難い仕打ちをしている絵などが好きだったらしい。そういうものも展示するギャラリー見つけた。佐村宏明は少し男過ぎるのかな?と思ったことを思い出した。

Posted by ブクログ