商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2019/12/21 |
JAN | 9784622088653 |
- 書籍
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反穀物の人類史
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反穀物の人類史
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商品レビュー
4.3
25件のお客様レビュー
知的刺激に満ちた本だった。「銃・病原菌・鉄」を読んで以来、農耕・牧畜民族が文明・国家を築き、狩猟・採集民族を駆逐したのが人類の歴史だと思い込んでいたが、全く違っていたことを認識させられた。動植物の家畜化・作物化(農耕・牧畜)→定住・人口増加→文明・国家出現と直線的に発展したと思っ...
知的刺激に満ちた本だった。「銃・病原菌・鉄」を読んで以来、農耕・牧畜民族が文明・国家を築き、狩猟・採集民族を駆逐したのが人類の歴史だと思い込んでいたが、全く違っていたことを認識させられた。動植物の家畜化・作物化(農耕・牧畜)→定住・人口増加→文明・国家出現と直線的に発展したと思っていたが、定住が家畜化・作物化に4千年も先んじていたこと、農耕・牧畜から初期国家出現まで6千年かかっていることに驚愕した。また、農耕民族>>>狩猟・採集民族で優越しているのではなく、農耕民族の被支配層(農民)は奴隷等の弱者で農耕民族の支配層と狩猟・採集民族の間で搾取・略奪という形態で結果的に農民の産み出した生産余剰とシェアしていたという事実には目から鱗が落ちる思いであった。
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本書の内容はこれまで一般的な歴史教育で教わった、農耕が始まることで出来た余裕で神官や貴族が生まれ国家が形成されたという常識を否定するものである。「サピエンス全史」でユヴァル・ノア・ハラリも似たようなことを言っているが、小麦や稲などの穀物を土台とする国家は、実は穀物に飼いならされて...
本書の内容はこれまで一般的な歴史教育で教わった、農耕が始まることで出来た余裕で神官や貴族が生まれ国家が形成されたという常識を否定するものである。「サピエンス全史」でユヴァル・ノア・ハラリも似たようなことを言っているが、小麦や稲などの穀物を土台とする国家は、実は穀物に飼いならされているという主張。 家畜やヒトが農耕社会が原因で得た進化の適性や国家と蛮族の関係性などの視点も面白かった。 難を言えば話題があっちこっち行って結論がしっくりこない。というか結論がない。 同じ作者の「ゾミア」は非定住民は未開ゆえに国家の支配を逃れる目的で穀物生産を行わないという選択をしているという筋が一本ある。まだ「ゾミア」読んでないけど。
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国家の起源についての驚くべき本。 石器時代の狩猟社会は人間にとって結構幸せな時代で、新石器時代で農耕が始まって人間は不幸になったという感じの話はときどき聞くわけだけど、この本はさらに議論を先に進めている。 これまでの通説では、国家の起源は、農耕が進むにつれ、灌漑を行う必要がで...
国家の起源についての驚くべき本。 石器時代の狩猟社会は人間にとって結構幸せな時代で、新石器時代で農耕が始まって人間は不幸になったという感じの話はときどき聞くわけだけど、この本はさらに議論を先に進めている。 これまでの通説では、国家の起源は、農耕が進むにつれ、灌漑を行う必要がでてきて、自然発生的に国家が生まれてきたという感じであったと思うが、スコットは、最近のさまざまな研究を組み合わせながら、その理解を覆していく。 国家をなんと定義するかによって、なにを起源とするのかは、いろいろな議論がありうると思うが、スコットは税(穀物や使役など)を徴収するということに国家の基本条件を求める。 そうすると、国家が成立する以前に灌漑などは自然発生的に作られていたいうことになる。 では、どこから国家はやってきたのか? 著者は、まず農耕や牧畜にともなって、植物や動物の家畜化(domestication)がなされるというところに着目する。つまり、人間の都合のよい個体を選択していくことで、より人間の扱いやすいものに種が変異、進化していく。 その家畜化の主体は、「人間」であるように見えるが、実は、人間自体も、家畜化された種との相互依存のプロセスで、自己家畜化が生じるという。 自己家畜化がすすんだ人間のコミュニティに対して、内部から、あるいは外部から、これを支配しようとするエリート層がでてきて、徴税を行うようになるのが、国家の起源ということになる。つまり、ある種の寄生的な存在ということだ。 なぜ、それが可能かというと、穀物という形である程度の期間保存できるかたちで富が生み出されて、かつ一斉の収穫時期がきまっているため、税を徴収してまわることができるから。 この国家は、外部の敵から、コミュニティを守るという役割も担う。あるいは、外部の敵に対して、襲ってこないように貢物をする。つまり、国家も外部の敵も、みかじめ料を要求するヤクザみたいな存在なのだ。 こうして、農耕の発達によって、人間は家畜化がすすんだり、ヤクザ的な存在によって、支配されたり、搾取されたりすることで幸福度は下がっていくのだ。 だが、著者は、この狩猟社会から農耕社会への変化が、国家的なものに不可逆的に「進化」していくわけでないことを強調する。 むしろ、「国家」は、安定したものではなく、しばしば短期間で崩壊する。が、「国家の崩壊」は、今日、わたしたちが想像するような悲劇的なことではなく、そこにいた人たちは解放されて、幸福度があがったりする。 そして、「国家」が機能しているときも、「国家」の支配から抜け出す人々も常にいた。「国家」を囲む壁は、外部からの侵入者から守るためであるとともに、「国民」が外部に逃げないようにするためのものでもあったのだ。 この分野の本はあまり読んでいないのだが、この議論はかなり説得力があるように思う。 ある意味、フーコーが「監獄の誕生」などで行った議論とも類似したものを感じた。ただ、フーコーは、そうした「監視社会」は近代のものとしたのだが、スコットの議論にのると数千年前からの流れであるということになる。 もう少しこの分野の本を読んでみようと思う。
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