商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | プレジデント社 |
| 発売年月日 | 2019/12/13 |
| JAN | 9784833423519 |
- 書籍
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スバル
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スバル
¥1,870
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商品レビュー
4.2
11件のお客様レビュー
レガシー2台乗り継いだ俺にとってはスバルは愛憎が交差する会社。特に2台目は最終ロットの年に購入して20万キロ乗るくらい気に入っていた。 でも、販売店(東京スバル)のサービスは年を追うごとに劣化した。何年か前に、整備内容に虚偽があり、整備担当者がそれを認めたことがあった。 直後...
レガシー2台乗り継いだ俺にとってはスバルは愛憎が交差する会社。特に2台目は最終ロットの年に購入して20万キロ乗るくらい気に入っていた。 でも、販売店(東京スバル)のサービスは年を追うごとに劣化した。何年か前に、整備内容に虚偽があり、整備担当者がそれを認めたことがあった。 直後にお客さまアンケートのようなものが届いたので、このことを報告した。販売店へのフィードバックがなされたはずだか、店舗や上席からの謝罪は一切なかった。 そもそも、担当者とはチャットのみでのコミュニケーション。整備点検のために店舗に行っても、毎度違う人が対応する。そして、ある時対応してくれた新入社員が驚くほどクルマの知識がない。15万キロを超えたオーバーホウルのために依頼した整備の相談で出てきた彼は、見積もり内容の各項目について質問をすると、全て「確認してきます」と裏に引っ込む。 極め付けは、乗り換えを考えていたアウトバックが受注がいつのまにか終わっていたが、同社からは案内がまったくなかった。 スバルのクルマは好きなのに、販売店に行くとストレスが溜まる、という経験が積み重なっていくに連れ、スバリストであることをやめた。スバルとは、北米でSUVを売ることを最優先し、日本では商売する気がない会社、というのが俺の評価である。 この本は、スバルに勤務した両親を持つノンフィクションライターによる、中島飛行機から連なるスバルの社史。戦後のモーダリゼーションの中で、メインバンクである興銀の傘下のもとで、スクーターから自動車製造に踏み出し、安全思想と卓越した技術で素晴らしいクルマを作るにもかかわらず事業規模が足りず日本では苦戦。アウトバック以降、米国に事業の軸足を移していく同社の歴史を詳細に記述した、スバリスト必読の歴史書といえる。スバルのクルマ好きにとっては、「そうだ!」とアガるエピソードが多いけれど、製造と販売がチグハグなのは昔からのDNAなのね、と残念な納得をすることになる。 巻末に出てくる米テキサスの販売店オーナーの「サービスを充実させることが販売につながる、ライバルはアマゾン」という考え方を、東京スバルの経営陣は目を皿にして読むべきだ。
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※このレビューにはネタバレを含みます
p4 中島飛行機の創業者 中島知久平 p13 敗戦の年に昭和天皇が皇太子に送った手紙 敗因は我が軍人は精神に重きをおきすぎて、科学を忘れたことである。明治天皇のときには山形(有朋)、大山(巌)、山本(権兵衛)等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時には、あたかも第一次大戦のドイツの如く、軍人が跋扈して対局を考えず、す数を知って、退くを知らなかったからです p14 勝負をするなら目標がなければいけない。そして、的確なときに勝負に望まなくてはならない p42 中島飛行機 技師 糸川英夫 p45 1941年 皇紀2601年 下一桁を名称につけていた 2601 一式戦闘機隼 2600 ゼロ戦 p50 第二次世界大戦の勝敗の帰趨を決したのは航空戦であり、しかも空爆である。零戦でも隼でもなく、B29という超大型爆撃機。 p76 中島飛行機は分割 行動して富士重工になるが、荻窪工場だけは独立し、タイヤのブリジストンが中心になって設立したプリンス自動車に合流 ここが名車スカイラインを生み出す 技術の〇〇というコピーはもともとプリンス自動車、ひいては中島飛行機荻窪工場に対するものだった p86 Rabbitスクータ 1947に市場に出て、1958にスーパーカブが出るまでベストセラー p92 小澤征爾 マルセイユからパリへスクータで移動 p106 15に分かれたうち主な6つの会社が合同してできた富士重工をあらわすため、6つの星が印象的な星団(プレアデス)の和名すばるを取った p121 スバル360を売る際にラビットディーラに売らせなかった。そらが今にいたるまで、富士重工が大きくなれなかった原因の一つ p159 興銀出身者の経営者 田島敏弘 p169 東大を出て日産に入社した川合勇 再建屋 p189 川合 公務員に対する贈賄罪で逮捕 収賄は衆議院議員中島洋次郎 中島飛行機の孫 p190 川合 レガシィの2代目のチーフデザイナーー オリヴィィエブーレイに頼んだ p194 ルノー 戦前からの老舗メーカーだったが、第2時大戦後、敵国ドイツへの過大な協力を指摘され、ド・ゴールの行政命令で民間会社から公団にされた。フランス人の間では、むかしナチに協力したメーカーというイメージがまだ残っている p206 インディアナ工場 トヨタ生産形式を体系化した大野耐一の直弟子 林南八が指導 p221 2008- アイサイト p247 2019 スバルの販売台数100万台のうち71.7万代が北米マーケットで売れている 国内自動車会社で一番グローバル化
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戦時中には戦闘機を、戦後は自動車を。 日本の工業産業を発展させた中島飛行機もとい、富士重工もとい、スバル。 「私は人を死なせすぎた。今度は人を救う乗り物を作りたい」 創業者の言葉と共に始まった自動車ビジネスは、暗中模索、五里霧中の最中に始まった。誰でも乗れる自動車、長持ちす...
戦時中には戦闘機を、戦後は自動車を。 日本の工業産業を発展させた中島飛行機もとい、富士重工もとい、スバル。 「私は人を死なせすぎた。今度は人を救う乗り物を作りたい」 創業者の言葉と共に始まった自動車ビジネスは、暗中模索、五里霧中の最中に始まった。誰でも乗れる自動車、長持ちする自動車、環境に優しい自動車。望まれるスペックに応えるために、従業員たちはそれこそ東奔西走の如く、世界を駆け回った。 スバルは昔から好きなメーカーでしたが、メカに強く、環境や人命意識の高い理由は、創業当時からの方針だったのだと、初めてわかりました。 素敵なメーカーです。
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