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大麻 地域資源を活かす生活工芸双書
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大麻 地域資源を活かす生活工芸双書

倉井耕一(著者), 赤星栄志(著者), 橋本智(著者), 平野哲也(著者)

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大麻 地域資源を活かす生活工芸双書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 農山漁村文化協会
発売年月日 2019/05/01
JAN 9784540171147

商品レビュー

5

2件のお客様レビュー

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2024/03/28

ものすごい情報量なので、パラパラ読みですがまたゆっくり少しづつ読みたいと思います。麻はコメより先に栽培されていた、日本人にはとても大切なものであったのに今は認識が捻じ曲げられているように感じています。歴史を知っていくと、なぜ今もっと麻(大麻、亜麻含め)の栽培が日本でされないのかと...

ものすごい情報量なので、パラパラ読みですがまたゆっくり少しづつ読みたいと思います。麻はコメより先に栽培されていた、日本人にはとても大切なものであったのに今は認識が捻じ曲げられているように感じています。歴史を知っていくと、なぜ今もっと麻(大麻、亜麻含め)の栽培が日本でされないのかと大きな疑問なのです。

Posted by ブクログ

2024/02/13

日本での大麻の歴史がよくまとまっていて、日本人が大麻とどう付き合ってきたか、大麻草が日本各地で果たしてきた社会的、歴史的役割を知りたければ、これ一冊あれば大体良さそう。 これを読んで改めて思ったけれど、日本に嗜好用大麻の解禁は必要ないかな。 日本で大麻を栽培してきた人たちは、大...

日本での大麻の歴史がよくまとまっていて、日本人が大麻とどう付き合ってきたか、大麻草が日本各地で果たしてきた社会的、歴史的役割を知りたければ、これ一冊あれば大体良さそう。 これを読んで改めて思ったけれど、日本に嗜好用大麻の解禁は必要ないかな。 日本で大麻を栽培してきた人たちは、大麻の畑で「大麻酔い」を起こすような毒性の強い大麻は間引きして、あくまで繊維を取るためだけに栽培してきた。日本での大麻栽培や使用は、繊維を目的とするものだったという長い歴史がある。日本での大麻栽培の目的は、現代で嗜好用大麻を望んでいる人たちの目的とはまるで異なるものだった。 着古した麻の服は紙の原料になったとか、面白い話がいろいろ紹介されている。 戦後に大麻の毒性が知れ渡るようになってから、大麻を盗みにくる依存症患者に備えるために、栽培者たちが寝ずの見張りをして、その負担が重すぎたために栽培者が激減したのは気の毒だ。 嗜好用大麻解禁支持者は、「大麻には依存性は無い」としきりに主張しているけれど、本当に依存性がないのであれば、盗みまでして大麻を求めないはず。 大麻のためなら犯罪にまで手を染めるといった、見境なく大麻を求める姿は、治療の必要な依存症患者そのものだ。一生懸命働く農家さんから作物を奪うなんて、極悪人よ。依存症患者だろうけど。 日本はただでさえ依存症治療体勢がそれほど整っていないんだから、今以上依存性のある物質を社会の中に増やす必要は無い。 ただし医療利用のための大麻の研究などは、これからも必要だと思う。 「20世紀に入り、大麻の娯楽的使用が禁止されるようになった。日本では繊維および食料・油糧の利用として発展し、戦前には1~2万haの栽培がおこなわれたが、戦後GHQの指令により栽培が規制されて激減し、2015年には6haとなった。しかし、最近無毒化された大麻のハーブとしての利用や、麻繊維のエコロジーの観点からの見直しが行われるなど、その存在が再認識されてきている。日本では大麻取締法による栽培者の規制により、栽培が増えるような状況ではないが、国際的には21世紀初頭に医療大麻が承認され、「違法かつ非犯罪化」(法律上違法だが、罰則規定はないもの)という緩い規制へと変化したり、アメリカのいくつかの州では嗜好大麻が合法化されるなどの例外も増えてきている。」p.11 「日本で栽培されている大麻は繊維を取るための品種で、それぞれの地域で栽培されてきた在来種に分類される。」p.12 絹は麻とともに古くから利用されてきた。2~3世紀ころまでには中国から養蚕や織物の技術が伝えられ、日本に定着したとされる。 屑繭を真綿にし、そこから紡いだ糸で作られた製品(紬織物)を除けば、絹製品は庶民の手には届かない高級品だった。 https://www.galleryjapan.com/locale/ja_JP/technique/textiles/20182/#:~:text=Back,%E7%B4%AC%E7%B9%94%EF%BC%88%E3%81%A4%E3%82%80%E3%81%8E%E3%81%8A%E3%82%8A%EF%BC%89&text=%E7%B4%AC%E7%B3%B8%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B5%B9,%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82 紬織(つむぎおり) 日本にワタの種が伝わったのは799年(延暦18年)と言われている。本格的に栽培が始まったのは戦国時代以降のことだった。 木綿は、吸湿性が大きくて保温性に富み、さらには紡ぎやすくて、線量が浸透しやすいなど、ほかの繊維にはない優れた特徴がみられたことから、特に江戸時代になると栽培が奨励された。大量生産が可能になったことで、木綿は庶民の繊維として受け入れられ、特に冬の寒さに悩まされていた地域では、保温性に優れた綿織物は歓迎された。そのため、庶民の衣料は次第に麻から木綿へと移行していく。しかし、ワタの栽培が困難な例領地や山間地では、木綿は貴重品であり、明治時代になっても麻の着物を着用していた。冬の寒さは麻のくずでワタを作り、また着物に刺し子を施すなどでしのいでいた。 麻は約1万年前に日本に伝播したと推測されている。 「東北地方でも、この時代(20世紀初頭、明治時代)になると使い古された麻布は売却され、紙の原料とされた。麻の襤褸や漁綱などは、切り刻んで灰汁で煮ることで繊維に戻る。そのために古くより紙の原料として重要であった。」p.38

Posted by ブクログ

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