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コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961
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コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961

モーリス・メルロ・ポンティ(著者), 松葉祥一(訳者), 廣瀬浩司(訳者), 加國尚志(訳者)

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コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2019/01/25
JAN 9784622087632

コレージュ・ド・フランス講義草稿

¥8,580

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2021/02/01

 30代くらいからモーリス・メルロ=ポンティの本に親しんできた。メルロ=ポンティの哲学からは、さまざまな思考のヒントを得ることができたし、何より彼の書物は魅力的だった。  そのメルロ=ポンティの書物の和訳は、いろいろ絶版になりつつもあるが、晩年の遺稿などが新たに訳されて来てもいる...

 30代くらいからモーリス・メルロ=ポンティの本に親しんできた。メルロ=ポンティの哲学からは、さまざまな思考のヒントを得ることができたし、何より彼の書物は魅力的だった。  そのメルロ=ポンティの書物の和訳は、いろいろ絶版になりつつもあるが、晩年の遺稿などが新たに訳されて来てもいる。  本書はメルロ=ポンティの晩年のコレージュ・ド・フランスでの講義の草稿断片を、ステファニー・メナセなる人が編集して1996年にフランスで公刊したもので、和訳は一昨年、2019年に出たばかりである。  ここには下記の3つの講義に関するテクストがまとめられている。 (1)今日の哲学(1958-1959年講義) (2)デカルト的存在論と今日の存在論(1960-1961講義) (3)ヘーゲル以後の哲学と非-哲学(同上)  実際にメルロ=ポンティが講義で話した内容を聴き取って記録したものではなく、彼が講義をする前に準備したちょっとしたメモや草稿を編んだものであり、彼は講義で原稿を読み上げることはせず、ときおりちょっと手元のメモを見る程度であったそうで、その「手元のメモ」は、著作と呼ぶにはほど遠いただのメモであったりする。  だから、本書は『見えるものと見えないもの』と同様、ちゃんとした著作ではないので通して読んでも意味がつながらないなど、欠如の多いテクストであって、すこぶる難解なのである。 (3)の講義の前半部分は比較的まとまった文章になっているが、とりわけ(1)は虫食いだらけのメモのようなもので、これを読み解くためには、本書以外のあらゆる遺稿をも読み通し、相当に研究を重ねなければ難しいのではないか。  それでも、哲学に徹底的に取り組むメルロ=ポンティの熱量は確実に伝わってくる。デカルトにしろ、ハイデガーにしろ、ヘーゲルにしろ、わりあい入手しやすい和訳の文庫本を「いくつか読んだ」程度では全然「わかっていない」のだと改めて痛感させられてしまう。  やはりメルロ=ポンティはハイデガーに依拠する部分が大きく、ヘーゲルの著作についてメルロ=ポンティが考察している文かと思えば、ヘーゲルの著作についてハイデガーが思考した文章を、さらにメルロ=ポンティが思考しているという、ややこしい状況だったりするのである。この場合は、ヘーゲルのテクストもハイデガーのテクストも先にじゅうぶん把握しているのでなければ、メルロ=ポンティのテクストをただしく理解することは難しいことになる。  このため、本書で熱く語られている思想について、批評できるほどの知識も能力も、私には無い。  他にもマルクスやサルトル、フッサールなども多く参照され、これら3つの講義では哲学を哲学する濃密な思考が繰り広げられている。さらには、当時の新しい文学や芸術にも触れられているのはいつもの傾向だが、メルロ=ポンティがクロード・シモンに大変興味を持ち評価していたというのは初めて知った。懐かしい。クロード・シモンの小説は高校から大学の頃にかけて2,3読んだのだが、もう一度読み直してみたくなった。  もちろん、デカルト、ヘーゲル、ハイデガー、フッサールなどもさらにさらに読みふけってみたくなるよう、背中を押された感じだ。そんなに読めるほど時間がまだあれば良いのだが・・・。とき既に遅しか?  幼年期をめぐる探究のあと、晩年のメルロ=ポンティが何をどのように考えていたのか、未だに私ははっきりとつかめずにいる。もう少し彼の晩年の断片テクストも探っていきたい。

Posted by ブクログ