商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2018/04/18 |
| JAN | 9784006003807 |
- 書籍
- 文庫
ラディカル・オーラル・ヒストリー
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ラディカル・オーラル・ヒストリー
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商品レビュー
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2025.12.20 吉江さんのツイートを見て購入。 大学の頃、都市計画の授業で知った「オーラルヒストリー」。住民へのインタビューを通して、その街の歴史をまとめる手法。研究においては、大事な一次資料となり、オーラルヒストリーが研究の意義を支えることもある。そんな認識でいた。 「ヒ...
2025.12.20 吉江さんのツイートを見て購入。 大学の頃、都市計画の授業で知った「オーラルヒストリー」。住民へのインタビューを通して、その街の歴史をまとめる手法。研究においては、大事な一次資料となり、オーラルヒストリーが研究の意義を支えることもある。そんな認識でいた。 「ヒストリー」という名前でありながら、社会学や人類学的な手法であると思っていたが、この本では歴史学として語られる。 わたし自身研究でインタビューをするときは、そのインタビューが全て正しくないかもしれないという意識を持って、他の資料との整合も必ず確認し、インタビュー内容自体は注意深く扱っていた。何か間違いがあってはいけないと。 しかし、この本を読んで、そんな「歴史」(本書では、「いい歴史」や普遍的な歴史と呼ばれる)認識が大きく覆る。歴史とは、古い時代のことをまとめた資料なのではなく、日々実践されるものである。すなわち、歴史とは、個別の体験であり、複数の歴史が多元的に存在し、そのどれかが普遍的であるのではなく、協奏しうる。歴史するときに重要なことは、正しさではなく、真摯さである。 読後に世界の見え方が少し変わる。 なによりも、歴史するとは楽しいものなのだ。 印象的な言葉 p257 ガッサン・ハージは、マイノリティを包摂しようとする多文化主義的ナショナリズムは、マイノリティを排除しようとする排除的ナショナリズムと同様に、マジョリティによって譜理される客体としてマイノリティを位置づける営みにかわりはないことを鋭く指摘していか。 マイノリティに関するアカデミックな歴史叙述が「よい歴史」の範囲内で行われる限り、マイノリティの語る「危険な歴史」は、「間違った歴史」として排除されるか、そうでなければ記憶や神話という名のもとで「管理される客体」として無毒化されるだけである。サバルタンは、あいかわらず語れないのだ。
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読み出してまだ十数ページだがすぐカルチャーショック。歴史てなんだっけ?と変なゲシュタルト崩壊 なんとなく歴史とはどれだけ正しく史実を再現できるか、そしてそこから人や自然の営みを通してロマンを感じたり学びを得たり、自分や周りを物語化する事だと思っていた。色々解釈は人にもよるが少なく...
読み出してまだ十数ページだがすぐカルチャーショック。歴史てなんだっけ?と変なゲシュタルト崩壊 なんとなく歴史とはどれだけ正しく史実を再現できるか、そしてそこから人や自然の営みを通してロマンを感じたり学びを得たり、自分や周りを物語化する事だと思っていた。色々解釈は人にもよるが少なくとも歴史とは正しく事実を捉える事から始まるのだと。史実とは異なる歴史を持つ、主張する人を分析対象や「そう捉える人達がいる」と排斥するのではなく引き受ける歴史観を構築する。全く自分にない感覚なので読み進めるのが楽しみです。 六章まで読んだところで一旦チラホラ感想。 アボリジニの人の歴史観 ドリーミングやジャッキーマンガラヤの話しから思うことは紙を不道徳としている彼らは口伝を使い目に映る風景、空間に歴史や道徳を紐付けながら紡いできた(もしくはその逆)のかなと思う。ドリーミングもジャッキーの話も事実を彼らのルーツに紐づけて解釈した逸話や寓話だと思う。(アカデミックベースで解釈した場合)ただ保苅さんも書いているが彼らの歴史は事実なのだ別の次元で起きていることだと。結局我々の歴史も現代とは別次元で起きたことであり、史実すら研究により覆る。この捉え方を相対化すると我々もアボリジニの人も同じなのかもしれない。 ミノのオーラルヒストリーを読んで 著者の保苅実さんもアボリジニのカントリーの中で生活すると数ヶ月で霊的な物やドリーミングの存在を信じるようになっていた。これは認知の話なのかもしれない。何を共通基盤に生きているのかでこの事象の捉え方も考え方も異なる。いきなり友達がドリーミングが!とか言い出すと大丈夫か?と思うがアボリジニの人や共に生きた保苅さんがそう語るのは真実だと感じる。我々は我々なりの歴史の中で科学ベースの世界の中で生きており、アボリジニの人たちとは共通基盤がちがうだけなのかもしれない。そして、これはたまたま極端な例でありグラデーションにしてみれば地域、組織、国とみなそれぞれ生きている歴史に差異はある。アカデミックがマジョリティすぎるだけなのかも。 最後まで読んで 歴史とはなんなのか?という疑問は人それぞれじゃんという漠然としたものに変わりつつある。アカデミックなものを正しいと考えるのもいいけど、人の数だけ物語も捉え方もあるしそれも結局は歴史なんだよなと。査読されていない、精査されていない日々の生活の積み重ねもローカルな範囲で見れば歴史なんだよなと。とある意味当たり前の場所に帰ってきた。冒頭の自分の感想を読んでもなんか固いこと言ってんなぁとこの本を読むことで意識が変容していることに気づく。 ただこの考え方は今流行りのインクルーシブと同じくいい側面と怖い側面はあると思う。人と自分が違う歴史を生きることは良いと思うが過去の戦争や虐殺など暴力を伴った事案を捉える時はインクルーシブであってはならないと思う。と思ったがパラパラ読み返すとこれに関しても本書では触れられていた。理想論としては政治闘争や裁判の場ではきちんと史実をよりわけるべきだと。保苅さんとしては歴史はあくまで多元的に実践されるもので、普遍化しようとするのが学術的な歴史家に足りてない部分だと。なのでドリーミングの歴史をアボリジニ以外の人に押し付けることもしない。なるほど。結局お互いがお互いを尊重し合うというこれもある意味当たり前の考え方だ。(現実はなかなかそれができない) 歴史学や歴史のあり方、捉え方への主張や考えが記されたこの本だが、歴史は個人の人生と考えると人や世界、人生の捉え方に通じると感じる。これは今後もたまに読みたい本だ。ただそれなりに長くわかりにくいところもあったので最後の後書きを先に読んだ方がわかりやすくなるように思った。 あと、なんか本読むだけじゃなくて人と関わらなきゃなと思った。
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P29「...『尊重』という名の包摂は、結局のところ巧妙な排除なんじゃないでしょうか。」 文化相対主義というものは、エスノセントリズムの克服というように どこか「良いもの」として扱われがちだが、いやそうであるからこそ余計に危険である。 「あなたはそう言う考えなのね、私はそうは...
P29「...『尊重』という名の包摂は、結局のところ巧妙な排除なんじゃないでしょうか。」 文化相対主義というものは、エスノセントリズムの克服というように どこか「良いもの」として扱われがちだが、いやそうであるからこそ余計に危険である。 「あなたはそう言う考えなのね、私はそうは思わないので、貴方と私は分かり合えない。話しかけてこないでくれ」 という意味だから。
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