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生き物を殺して食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ
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生き物を殺して食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ

ルイーズ・グレイ(著者), 宮﨑真紀(訳者)

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生き物を殺して食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ

2,420

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 亜紀書房
発売年月日 2017/12/01
JAN 9784750515335

生き物を殺して食べる

¥2,420

商品レビュー

3.7

9件のお客様レビュー

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2022/10/16

「これからもずっとこの星で生き続けたいのなら」というくだりがあったが、私のこの問題に対する興味はそこじゃない。そもそもの根本が違うから、なにかしら同意できないところも多かった。私は単に自分が生きながらえるために、もとより自分の口を楽しませるために、ほかの動物を殺すようなことはした...

「これからもずっとこの星で生き続けたいのなら」というくだりがあったが、私のこの問題に対する興味はそこじゃない。そもそもの根本が違うから、なにかしら同意できないところも多かった。私は単に自分が生きながらえるために、もとより自分の口を楽しませるために、ほかの動物を殺すようなことはしたくない。食べなくてもちゃんと元気に生きていけるのだから。そう、こんなに単純なことなのだ。

Posted by ブクログ

2022/02/17

ハンティングや通常の工場方式以外で育てた肉と工場で育てた一般的な食肉を本物とそれ以外で分ける筆者の姿勢には傲慢や驕りを感じる。生命の価値に序列をつける行為をしておきながら生命の尊さについてくどくどと語る。何様だろうか。 私自身、子牛や鶏などを屠殺し捌いたことがあるのでエアプでは...

ハンティングや通常の工場方式以外で育てた肉と工場で育てた一般的な食肉を本物とそれ以外で分ける筆者の姿勢には傲慢や驕りを感じる。生命の価値に序列をつける行為をしておきながら生命の尊さについてくどくどと語る。何様だろうか。 私自身、子牛や鶏などを屠殺し捌いたことがあるのでエアプでは無いことを先に述べておく。 食のあり方を知るといったご立派な志のもと始めた取り組みだが、蓋を開けてみると昔ながらのやり方を推奨するだけで、数十年にわたり生物学者や農家たちが食環境を良くする為にと取り組んできた事は全て無視する始末。途中、過度な擬人化は良くないと苦言を呈される描写があるが私も同じことを思った。ヒトと他の動物では知覚する世界が異なり(ウンヴェルト、環世界ともいう)、感じるストレスや幸福が異なる。筆者はこれらについて専門外であるが故に擬人化し憶測で述べるばかりでなんら説得力がない。 これはあくまで個人的な感想文でしかなく、真に受けるのは違うのではないかと感じた。しかし、食の多様性は尊重されるべきでありこうした手法について興味を持つきっかけとしてはいいのではないか。

Posted by ブクログ

2019/10/31

イギリスの女性ジャーナリストが、狩猟、釣り、ロードキルなどによって自分で手に入れた肉・魚だけを食べた2年間の体験と、養鶏場やと畜場、食肉加工場や養殖現場の取材を通じて、環境負荷が低く、倫理的に許容できる”食肉”のあり方(「倫理的食肉」)を模索していく。 釣りたてのイカを捌く動画...

イギリスの女性ジャーナリストが、狩猟、釣り、ロードキルなどによって自分で手に入れた肉・魚だけを食べた2年間の体験と、養鶏場やと畜場、食肉加工場や養殖現場の取材を通じて、環境負荷が低く、倫理的に許容できる”食肉”のあり方(「倫理的食肉」)を模索していく。 釣りたてのイカを捌く動画が”かわいそうだ”とバズったことがあったが、”倫理的”食肉とは「かわいそうだから食べない」ということではない。本書では、(特に大規模な)畜産業・養殖業が、いかに動物福祉と環境面への配慮が足りないかについて告発しており、倫理的食肉という言葉には、”生物・環境に対する人間の責任”という意味が含まれている。 しかしこの本がすごいのはやはりタイトルの「生き物を殺して」を著者が実体験しているところであり、おそらく体験したものにしかわからない感覚がある。 そもそも、スーパーで買った肉であれ、自分で獲った肉であれ、「食べる」という行為は、本来、タイトル通り「生き物を殺して」「食べる」なのだ。だけど、「スーパーで買う」か「自分で獲る」かで、その食肉体験は別物になる。 『適切に屠畜をすること、すべてに注意を払い、行為に深く浸り、家畜の匂いや血にまみれ、ぐったり消耗すること、何もかもがたぐいまれな経験だった。それに引き換え、デンマークではすべてが殺菌され、非現実的だった。感情の入りこむ隙がどこにもなかった。...(中略)...自分で手をくださないようになったせいで、何かを犠牲にしたような気がする。アンガスたちに最初に話したのは、誰も屠畜という行為を評価しようとしない...(中略)...家畜を尊重することの大切さを』(p.170) 『最初から最後まで、自分で手に入れて捌いて料理して食べたとき、食べ物と深く繋がった気がする』(p.249) ”食べ物と深く繋がる” この言葉を反芻しながら、2年前に鶏を初めてシメて捌いたときを思い出した。あのとき、自分でシメた鶏に対する愛着と責任を感じた。こんなに重い行為であるなら、あまりたくさん肉を食べなくていいや、とも思った。 当時のブログ http://bonvori.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=1 くわえて。 今は山菜やキノコを食べる機会がグンと増え、2週間くらい前は、毎日キノコの処理におわれていたような気がする。めんどくさいのだけど、西和賀の山とつながって生きているという実感もあった。ここにも”食べ物と深く繋がる”感覚がある。そしてそれは山や水や森が綺麗で豊かであってほしいと願う気持ちになる。自然が好きとかいう以前に、自分の身体に入るものを生み出す場所だから。 ”食べ物と深く繋がる”ことが、世界を愛することになる。という予感。

Posted by ブクログ

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