商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2016/10/12 |
JAN | 9784334753412 |
- 書籍
- 文庫
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ニーチェ哲学の核心と思われる部分(勇気の哲学、同情の禁止、運命愛、道徳批判)が簡潔に語られ、ニーチェ自身の人となりも窺える(気がする)、私が大好きな本である。 ニーチェは『これまで私が理解し、生きてきたような哲学とは、自分から進んで氷と高山のなかで暮らすこと』であり『誤りとは、...
ニーチェ哲学の核心と思われる部分(勇気の哲学、同情の禁止、運命愛、道徳批判)が簡潔に語られ、ニーチェ自身の人となりも窺える(気がする)、私が大好きな本である。 ニーチェは『これまで私が理解し、生きてきたような哲学とは、自分から進んで氷と高山のなかで暮らすこと』であり『誤りとは、臆病のことなのだ。……認識における成果と前進はすべて、勇気から生まれる』と語る。このようにパトスを前面に出す哲学者はレアだと思うし、そこがニーチェの最大の魅力である。 ニーチェの核心に手早く触れるには、前半の章を読んだ後、過去の自著の紹介の章(『なぜ私はこんなに良い本を書くのか』というすごいタイトルの章)を飛ばして、次の最終章『なぜ私は運命であるのか』に進んでもよいかも知れない。最終章では、異常に濃度の高い文章が、稲妻の連続のように押し寄せる。圧倒される思いで一気に最後まで読めるだろう。ニーチェの著作全体の中でも、名文中の名文である。ぜひ読んでみてほしい。 この本は「自伝」とされる。でも私はどちらかと言うと、「ツァラトゥストラ」というキャラクターで語ったニーチェが、今度は「ニーチェ」というキャラクターで語っているように見えた。自分と同じ名前のキャラクターを作り、そのキャラクターに「誇張し過ぎたニーチェ」を演じさせているような雰囲気だ。誇張されているだけあって、その主張は明瞭である。 ドイツが大嫌い、イタリアの料理とフランスの文化が大好き、少し滑稽で可愛らしくもある。 翻訳は、今まで読んだ中で最もくだけた表現である。雰囲気に合っているので、これはこれでありだと思った。とても分かりやすい。ただし、割と多いツァラトゥストラの引用部分でも、同じようにくだけた表現なので、ここだけはもう少し威厳ある文章だと嬉しい。また、肯定することを「イエスを言う」としてあるのも、やや紛らわしい。ストレートに「肯定する」でよいと思う。 『私は人間ではない。私はダイナマイトだ。』
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全体的に言いたいことがなんなのかわからなかったが、ところどころからドイツ人を理想主義者と言って非難していることだけはわかった。 「道徳とは生に復讐せんとする下心を備えていて、そしてそれに成功したデカダンの徒輩の病的特異体質である。」という文章から道徳は作り上げられた価値観に過ぎな...
全体的に言いたいことがなんなのかわからなかったが、ところどころからドイツ人を理想主義者と言って非難していることだけはわかった。 「道徳とは生に復讐せんとする下心を備えていて、そしてそれに成功したデカダンの徒輩の病的特異体質である。」という文章から道徳は作り上げられた価値観に過ぎないのだと思った。
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・私には依然として目の前に、切り株に座り、カレーニンの頭をなで、人類の崩壊を考えているテレザが見える。この瞬間に私には他の光景が浮かんでくる。ニーチェがトゥリン[=トリノ]にあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ていると...
・私には依然として目の前に、切り株に座り、カレーニンの頭をなで、人類の崩壊を考えているテレザが見える。この瞬間に私には他の光景が浮かんでくる。ニーチェがトゥリン[=トリノ]にあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。 それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。 そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザを私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。
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