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ウォールデン 森の生活(上) 小学館文庫
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ウォールデン 森の生活(上) 小学館文庫

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(著者), 今泉吉晴(訳者)

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ウォールデン 森の生活(上) 小学館文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2016/08/01
JAN 9784094062946

ウォールデン 森の生活(上)

¥990

商品レビュー

4.3

10件のお客様レビュー

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2023/03/28
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※このレビューにはネタバレを含みます

最近森の隠遁生活系の本をたくさん楽しんだので(前から好きなメイ・サートンもその筋か)、その元祖とでもいうべき本としてよく引かれている「森の生活」も読んでみることにした。しかし、良くも悪くもパイオニアの本であり時代の違いもあって、私が好んで読んできたような隠遁生活とはちょっと違うなと感じた。暮らしというよりは、ソローの思想を記録したものだ。 ソローが森で生活するのは本人が個人的に必要としているためではなく(その住処は実は大して村から離れてもいないが)、人間は本来そうすべきだからそうするのだ、という論調である。 「私が森で暮らしてみようと心に決めたのは、人の生活を作るもとの事実と真正面から向かい合いたいと心から望んだからでした」とソローは語る。「私の目にはほとんどの人は、生活のあり方を考えない、不思議で曖昧な暮らしをしながら、神のもの、悪魔のものと、少し性急に結論を下すだけだからです」と。資本主義と、そのころ盛んに建設されていた鉄道(鉄道は良いものと言ったりもしているが)と、働きづめの人々を厭い、税金も払わないので投獄されたりもする。本当はぜいたく品どころか服も家具も家すら最小限で十分で、自然があれば楽しく生きていけるはずなのになぜ皆あくせく働いたりするのか、というナチュラリスト的な意見を語るのだ。 当時の資本主義と産業改革が爆速で膨らんでいったであろうアメリカで、一人で質素に森に住むソローは相当変人扱いされたろうと思う。冒頭100ページくらいがその弁明に充てられていることからもそれはよくわかるし、普通の人々に対し少し当たりが強いのもしょうがないのだろう。まだ資本主義から引き返せる、という思いも当時は感じられたのかもしれない。だけど200年くらい離れた現代日本人が読むと無責任な脱成長論と重なって見えてしまってちょっと微妙な気持ちになるのが正直なところだ。 ただソローが自然の中の暮らしを本当に楽しみ、動植物のことを愛していたのは伝わってくる。鳥たちの鳴き声、ちょっとした仕草の描写、植物や木々の成長など、読んでいて楽しい。もっと暮らしのこまごましたことをたくさん読みたいなと思った。

Posted by ブクログ

2021/12/29

「科学道100冊2021」の1冊。 著者、ヘンリー・D・ソローは、19世紀、産業が発展していく時代にあって、ナチュラリストのはしりであったような人物である。 マサチューセッツ州コンコードに1817年に生まれ、ハーバード大学を卒業、というからエリート階級であろう。いくつか仕事も経...

「科学道100冊2021」の1冊。 著者、ヘンリー・D・ソローは、19世紀、産業が発展していく時代にあって、ナチュラリストのはしりであったような人物である。 マサチューセッツ州コンコードに1817年に生まれ、ハーバード大学を卒業、というからエリート階級であろう。いくつか仕事も経験はするが、定職に就くことはなく、27歳のときに森に家を建て、2年2ヶ月をそこで、「自給自足」的に過ごす。 本書はその間の暮らしについて述べたものである。とはいえ、特に最初の部分では、実際の暮らしぶりというよりも、彼が森の生活をするに至った思想や、「(当時の)現代社会の進歩」への疑念といった点に重点が置かれている。 要は、彼は、社会の歯車に組み込まれてあくせく働き、社交に汲々とするよりも、「自分の生き方」を追求したかったのだ。それが、まずは「森の生活」であった、というのが27歳のソローの結論であった。 ソローの代表作であり、アウトドア愛好者のバイブルでもあるような本書は幾度も邦訳されているが、小学館版は、動物学者の今泉吉晴が訳を手掛けている。山小屋歴30年で、長年のソローの愛読者でもある訳者により、読みやすい瑞々しい訳になっているのが売り。注も丁寧で、写真や地図も多く収録。ソローが日記に記した絵や、他のナチュラリストによる動物のスケッチが添えられ、理解を助けている。底本は1854年刊行の初版本("SALDEN; OR, LIFE IN THE WOODS" HENRY D. THOREAU)。ところどころに著者の日記が差しはさまれるが、そもそも原著がそういった形式だったものと思われる。 さて、含蓄に富む部分もあるのだが、時代背景に思いを馳せないといまひとつ理解が困難なところもあり、咀嚼しにくさを感じる本でもある。 社会の規範に盲目的にしたがうのでなく、疑ってみる、自分の足で立とうとして見る、その「場」として自然を選ぶ、というのは魅力的で説得力もある。自然描写も読ませるところだろう。一方で、社会生活を完全に捨てたわけではなく、コンコードの村には、ソローが訪れればいつでも歓待して食事でもてなしてくれる家が何軒かあったというあたり、「結局はいいとこどりなんじゃないの」と思わなくもない。この「森の生活」自体は2年余りで終えているわけで、その辺もすっきりしないところである。下巻にはなぜ森の生活をやめるに至ったかが述べられているとのことなので、もしかしたらなるほどと納得させられるのかもしれないが。 「自然回帰」をいち早く唱えた点で先駆者であり、この流れは後のヒッピーやノマド(『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』)の生き方ともつながっているように思う。先年ベストセラーになった『ザリガニの鳴くところ』が熱狂的に受け入れられたのも、あるいはこのあたりと通じるのではないか。

Posted by ブクログ

2021/12/03

上下巻通してのレビュー。 各400ページ超、文字サイズは大きく行間も広い。注釈をページ下部に配置、全18章のはじめには章の概要説明があり、動植物のイラストも多い。ときおりページ全体を使って舞台となるウォールデンの写真も掲載される。訳者は自身も山小屋歴30年の経験をもつ動物学者であ...

上下巻通してのレビュー。 各400ページ超、文字サイズは大きく行間も広い。注釈をページ下部に配置、全18章のはじめには章の概要説明があり、動植物のイラストも多い。ときおりページ全体を使って舞台となるウォールデンの写真も掲載される。訳者は自身も山小屋歴30年の経験をもつ動物学者であり、近年の出版ということもあってか翻訳にストレスを感じることはなかった。 27歳の著者が1845年7月4日から二年と二か月のあいだ、マサチューセッツ州ウォールデン池のほとりで自給自足の生活を行った経験を振り返っての回想録、エッセイ。自然研究のパイオニアともされる。森での自給自足の生活とはいっても人里離れた地域ではなく、最寄のコンコード村からは3kmほどしか離れておらず、付近には開通したばかりの鉄道も通過する。 カテゴリ別の構成の各章は、二年の経験を一年に見立て、四季の移り変わりとともに経過する。どちらかといえば上巻は人間社会に関係する項目が目立ち、下巻では自然への観察・動植物の描写が増える。詩情豊かな自然描写だけでなく、自身のによるものと引用を含め、詩そのものもところどころに現れる。箴言の引用も多い。 文明や、大量生産・大量消費に代表されるような資本主義社会にたいする否定的な姿勢が明確で、とりわけ鉄道についてはその象徴としてたびたびやり玉にあがる。その対象は当時の社会だけではなく、例えばエジプトのピラミッドさえも支配によって成し遂げられた人間の愚かさを表すものでしかないと唾棄する。批判の矛先はキリスト教さえも例外ではなく容赦がない。本書に残された自給自足の試みも単なる自然礼賛ではなく、人間社会の負の側面の無意味さを証明するための思想的な背景があってのものと思える。そのような著者が訴えかけるのは、個々人の内面の追求である。 150年以上前の著書だが、階級差による貧富の格差にも着目するような著者の問題意識は、現代にもその多くが当てはまり古さを感じさせない。現代のナチュラリストやアウトドアを愛好する人々たちのなかにも、直接間接、意識するしないを問わなければ、かなりの多数が本書の影響を受けているのではないだろうか。 一貫して文明に批判的な態度をとるだけでなく、戦争に関する人頭税の支払いをも拒否して拘留され、黒人奴隷の脱出に協力もしていた著者の言動は徹底している。その主張も併せて考えれば、ナチュラリストであるとともにアナーキストともいえそうだ。同時代の多くの人々にとっては、胡散臭い変人・変わり者に映っていたのかもしれず、現代の読者についても、著者が単なる"痛い人"にしか見えないという読み手がいたとしても不思議ではない。個人的にとくに読みごたえがあったのは、1章、11章、終章など。印象的なフレーズも多さも魅力。 「体に合わない服を無理に着れば、接ぎ目がほころびます。自分に合ったものだけが、真に役立つのです」 「絶望に通じる事柄には関わらない姿勢こそ、私たちが身に付けたほうがいい知恵です」 「一部の階級の贅沢な暮らしは、別の階級の貧困で支えられます」 「私たちは分業をどこまで細分化したら気がすむのでしょうか?」 「私には、人が家畜の飼い手ではなく、家畜が人の飼い手のように見えます」 「悪しきを防ぐには、最初から手を出さないに越したことはありません」 「私が言ってきた通り、前に進めるのは、何事もひとりではじめる人です」 「人はみなそれぞれに、ひとつの王国の主人です」 「私には、街の貧しい人こそ、誰よりも自立した暮らしができているように見えます」 「余分なお金があれば、余分なものを買うだけです。魂が欲するものを買うのに、お金はいりません」 「私たちはそれぞれに、内なる音楽に耳を傾け、そらがどんな音楽であろうと、どれほどかすかであろうと、そのリズムと共に進みましょう」

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