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仏教思想のゼロポイント
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仏教思想のゼロポイント
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商品レビュー
4.3
36件のお客様レビュー
はじめに 本書は、仏教の創始者ゴータマ・ブッダの教えを現代の文脈で再解釈し、仏教の本質やその価値を明らかにすることを目的としている。特に、「無我」や「涅槃」の概念を中心に、仏教の教えがどのように現代において理解されるべきかを探求する。 ゴータマ・ブッダの教え 出家と修行の重要性...
はじめに 本書は、仏教の創始者ゴータマ・ブッダの教えを現代の文脈で再解釈し、仏教の本質やその価値を明らかにすることを目的としている。特に、「無我」や「涅槃」の概念を中心に、仏教の教えがどのように現代において理解されるべきかを探求する。 ゴータマ・ブッダの教え 出家と修行の重要性 - ゴータマ・ブッダは「家を出て家なき状態へと赴く」ことを重視し、労働や生殖から離れることが教えの核心である。彼の弟子たちはこの教えを実践するために出家を選んだ。 - 在家者への教えは二次的なものであり、出家者の生活を理想とする。 教えの本質 - ゴータマ・ブッダの教えは、苦しみの原因である「渇愛」を滅尽させることで涅槃に至ることを求めている。 - 彼の教えはしばしば「厭世主義」や「ニヒリズム」と見なされるが、必ずしも生そのものを否定するものではない。 四諦の教え 苦の真実 - 仏教における「苦」は、無常・苦・無我という三つの性質を持つ全ての現象に関連している。 - 四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)は、苦の現状を理解し、それを克服するための体系的な方法論を提供する。 渇愛の滅尽 - 渇愛が苦の原因であるため、それを根絶することが解脱への道である。 - 八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)は、渇愛を滅尽させるための具体的な実践方法を示している。 縁起の法則 - 縁起は「原因によって生じるものごと」の法則であり、全ての現象は条件によって成立し、必ず消滅する。 - この理解は、苦しみの原因を把握し、それを取り除くための実践において重要である。 無我の概念 我と無我の議論 - 「無我」は、ゴータマ・ブッダの教えの核心であり、実体的な自己を否定するものである。 - 同時に、「我が有る」と「我が無い」という見解は共に誤りとされ、仏教においては両者は否定される。 ゴータマ・ブッダの態度 - 彼は「無記」の態度を採り、存在や非存在の問いに明確な答えを与えないことで、実践的な理解を重視した。 現代への適用 - 本書は、現代人が仏教をどのように実践し、理解するべきかを探求している。 - 輪廻や解脱に関する考え方は、現代の価値観に照らして再考され、実践的なアプローチが模索されている。 結論 本書は、ゴータマ・ブッダの教えの深層を探求し、その教えが現代においても有益であることを示している。特に、苦しみの理解、渇愛の根絶、無我の教えは、現代の人々にとっても重要な指針となる。仏教の教えは、ただの信仰ではなく、実践を通じて日常生活に活かされるべきものである。
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2024.10.5〜 再読中。少しずつ追記していきます。 【はじめに】 「それだよ私の知りたかったことは!よくぞ書いてくれました!」と興奮させてくれる。もうここからぐっと引き込まれる。曖昧に濁そうとしない文章は気持ちが良いほど明瞭でわかりやすく、「愛してる…」となる。本書は仏教...
2024.10.5〜 再読中。少しずつ追記していきます。 【はじめに】 「それだよ私の知りたかったことは!よくぞ書いてくれました!」と興奮させてくれる。もうここからぐっと引き込まれる。曖昧に濁そうとしない文章は気持ちが良いほど明瞭でわかりやすく、「愛してる…」となる。本書は仏教を「わかる」ための本であり、そのために①ゴータマ・ブッダの言う解脱・涅槃(仏教の目的・本質)とは何か、②彼は「悟った」後、なぜ死ななかったのかが明らかにされていく。 【第一章】 本書は、仏教を「人間として正しく生きる道」なんて陳腐なワードで説明することをまずはっきりと否定している点において信頼できる。むしろ労働や生殖という、多くの人がフツーだと思っていることを禁止しているヤバい教えを解いているのが(ゴータマ・ブッダの)仏教なのだなという感想。 【第ニ章】 さて、ここから一気に仏教用語が多々登場。仏教の基本である「縁起」と「四諦」についての説明。 仏教は「転迷開悟」(迷いを転じて悟りを開く)を目指すもの。私たちが「迷い」(癖になって煩悩を垂れ流し続ける)の状態にあるのは、「縁起」の法則によるものだという。 「縁起」とは「原因(条件)があって生起すること」を指すが、「縁起」の性質を詳しく言うと「三相」=「無常」「苦」「無我」になる。 つまり、すべての物事は「縁起」によって形成されているわけだが、それってあくまでその原因や条件が消えればなくなってしまうものだから、恒常的なものではない。(「無常」) そんな一時的なものに欲望を抱いたところで不満足(=苦)に終わるしかないし、不満足には終わりがない。(「苦」) また、物事は思い通りにならない。それは自分の体でさえ(望んでないのに病気になるし)も、心(心に浮かんできた思いや欲望は、自分で浮かばせているわけではない)でさえもそう。コントロールできない。(「無我」) というわけで、「縁起」とは、ただ「原因(条件)があって生起すること」を指すだけではなく、私たちの陥っている「迷い」や「苦」(不満足)の状態を形成している法則だということになる。(だから仏教で重要視される。) ちなみに↑の「原因(条件)」とは、「業」=「後に結果をもたらすはたらき」のこと。私たちは過去に積み重ねてきた無量の「業」の結果として存在し、欲望を追い求める癖もついてしまっている。それは終わりのない不満足(輪廻的に繰り返す)。そんな状態(「惑業苦」)から抜け出す真理「四諦」があるよ!と方法論を打ち出した点が当時は新しく、仏教の魅力とも言える。 「四諦」(四つの真理) ・「苦諦」:私たちの生は総じて苦であることを「八苦」(生・老・病・死・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦)として説明。 ・「集諦」:苦の原因(集起)は「渇愛」=欲望、有愛、無有愛。 ・「滅諦」:渇愛を限りなく徹底的に滅尽させることで苦からの解脱が可能(苦の原因は渇愛だから)。 ・「道諦」:苦(=渇愛)の滅尽のための方法は「八正道」(「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」)。 つまり「四諦」とは、「自らの苦なる現状を(中途半端にではなく)徹底的に知った上で、八正道を修習して、苦の原因である渇愛を捨断し、解脱・涅槃を実現する」ということ。 【第三章】 善悪について。仏教における悪とは、「十悪」(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)であり、善とは十悪を行わない「十善」のこと。 ただそれは個別の事例を指すのみなので、後代の教理学では善悪の基準を「善」=行為者に幸福をもたらすもの、「悪」=行為者に不幸をもたらすものと定めた。 仏教の目的は涅槃であり、それは善や悪を含む価値判断から解放された境地=「脱善悪」だが、善を行い悪を行わないことは、↑の意味からでも勧めた。 また、社会で問題なく生きていく意味でも。そのためにサンガの規則=律がある。
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著者は、諸行無常・寂滅為楽とする原始仏教から逸脱して衆生救済を掲げる大乗経が「なぜ仏教と名のれるのか」という疑問から出発するが、滅後百年頃の小乗経と数百年後の大乗経を区別しない。歴史的釈迦に現代でもっとも近いのはおそらく禅宗とする/ミャンマーから世界に広がっているテーラワーダ仏教...
著者は、諸行無常・寂滅為楽とする原始仏教から逸脱して衆生救済を掲げる大乗経が「なぜ仏教と名のれるのか」という疑問から出発するが、滅後百年頃の小乗経と数百年後の大乗経を区別しない。歴史的釈迦に現代でもっとも近いのはおそらく禅宗とする/ミャンマーから世界に広がっているテーラワーダ仏教では悟りは実在し、人格が良くなることではない。ブッダは自らの證得した法が「世の流れに逆らう」から語らないつもりであった。解脱者は「凡夫が生の内容だと思っているもの」をいったん否定し、執着を捨て善因楽果悪因苦果で個人人格輪廻を否定
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