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科学哲学への招待 ちくま学芸文庫
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科学哲学への招待 ちくま学芸文庫

野家啓一(著者)

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科学哲学への招待 ちくま学芸文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2015/03/01
JAN 9784480095756

科学哲学への招待

¥1,320

商品レビュー

4.3

20件のお客様レビュー

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2025/11/30

*****  ヨーロッパでは,科学はもともと「自然哲学」を母胎として生まれた知識であり,天動説と地動説の対立や,キリスト教と近代科学の軋轢に見られるように,それは宗教的迷妄に対峙する啓蒙主義的な世界観と密接に結びついていた。しかし,日本では,科学は技術と結びついた実用的な知識とし...

*****  ヨーロッパでは,科学はもともと「自然哲学」を母胎として生まれた知識であり,天動説と地動説の対立や,キリスト教と近代科学の軋轢に見られるように,それは宗教的迷妄に対峙する啓蒙主義的な世界観と密接に結びついていた。しかし,日本では,科学は技術と結びついた実用的な知識として,つまり世界観や自然観としてよりは,むしろ個別分野の専門的知識として,その技術的応用の側面に力点を置いて受容されたのである。そのような事情は,現在でも理学部に比べて工学部の規模が圧倒的に大きいわが国の大学制度に反映されており,また欧米から一時期(一九七〇年代),基礎科学の分野での「日本ただ乗り論」が指摘された一因ともなっている。そのような日本人の科学理解を象徴するものこそ,サイエンスの訳語として選ばれた「科学」という言葉なのである。(p.27) ギリシャ科学の特質が,ユークリッド幾何学やアリストテレスの論理学に見られるように「論証精神」にあったとすれば,アラビア科学の特質は錬金術に代表されるその「実験精神」に見ることができる。この論証精神と実験精神とがともにアラビア世界から移入され,それらがヨーロッパ世界において独自の結合を遂げることによって,やがて近代科学の方法が確立されるのである。その意味で,十二世紀ルネサンスは近代科学成立の母胎であったといって過言ではない。(pp.50-51)

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2025/10/16

非常に分かりやすく面白かったです。 著者は科学史、科学哲学、科学社会学という3つの観点による科学の捉え方を提示していらっしゃるようでしたが、それぞれ独立させて読んでも中身の濃い非常に面白い内容ばかりでした。 スコラが余暇であったことやピアレビューの原型、技術と科学の区別と日本...

非常に分かりやすく面白かったです。 著者は科学史、科学哲学、科学社会学という3つの観点による科学の捉え方を提示していらっしゃるようでしたが、それぞれ独立させて読んでも中身の濃い非常に面白い内容ばかりでした。 スコラが余暇であったことやピアレビューの原型、技術と科学の区別と日本への普及あたりの話が、ナラティブとして私は特に好きです。 あとがきの最後にあるように、「なんのための科学か」を改めて問う必要があるのが現代なんですかね。

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2023/02/28

科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった. 多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるま...

科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった. 多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるまでの永遠の仮説で,絶対に正しい神話などではないという,周囲の科学者との交流で得ている認識と一致する.ただ,ポパーの中でも自然淘汰と関連付けるのはあまり同意できなかった. しかしながら,その後の議論の展開には同意できない点が多い.次のクワインテーゼだが,すでに公理主義になった数学についての議論の過程で,経験的な観測についての例が挙げられており,それでは論理展開がおかしくなるのも当然に思えた.この議論を展開する上で,すでに命題論理・述語論理の意味論を認めているはずだが,この当時すでにあったはずのペアノの自然数の公理はこれから逸脱しないはずなので,そもそも定義できないという主張が分からない.とりあえず,こうした議論を始めるにあたって,何を仮定しているのか説明してくれていない部分が幾つもあるように読めた.この点で,★を一つ差し引いて4個にした. その後のパラダイム論も同意できなかった.通約不可能性の例としてピタゴラスの定理が挙げられている.だが,こうした議論の混乱が起きないように,公理主義後の数学はどの公理系を仮定したかを明示することで,これを回避するのが公理主義だし,必要があれば統一的に扱えるようにする公理系自体を設計する自由がある.ここでの議論も,公理主義前の議論をベースにしているようで,やはり仮定を始めに明示してくれない点が気になった. あとは,ウィーン学団のところであったが,哲学の議論を読むと,定量的な観点がほとんどないことが気になった.仮説がエビデンスで徐々に強化される考えを示したラプラスや,現代科学の屋台骨を支える統計のフィッシャーやピアソンといった人が科学史に登場しないのはだいぶ残念な気がした. 科学史全般については,自由学芸が教会などを中心に徒弟制のようなものだったのと同様に,科学の知識もギルドなどで制度的に教育・発展が行われたはずだが,そういった部分は無視して厳密に近代の形になってからに絞り混まれていて,歴史が短くなっているのは残念だった.国家が科学に資金提供するようになったのは20世紀初頭とされているが,バベッジの階差期間に英国政府の出資があったのはもっと前だし,その前に,マイセン磁器のように王侯のパトロンとしての出資とかは含められず,やはり短い歴史にされてしまっているように思う.自由学芸に対してmechanicalには侮蔑的な意味合いがあったと本書にはあったが,科学哲学の人たちは科学が嫌いなんだろうなという認識を新たにした. マット・リドレーとかスティーブン・ピンカーとか親科学的な人は出てこず,反科学的な史観に私には思えたが,科学哲学のコミュニティはそういう考えではないのだということが分かった.

Posted by ブクログ