科学哲学への招待 の商品レビュー
科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった. 多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるま...
科学者の端くれとして,科学哲学での考える科学と科学者の考える科学は違っているのではないかという動機で読んでみて,やはり違っているという思いが強くなった. 多くの科学者は,10章ポパーの反証主義に基づいていると考える.幽霊とか反証できないものは科学の対象ではなく,また反証されるまでの永遠の仮説で,絶対に正しい神話などではないという,周囲の科学者との交流で得ている認識と一致する.ただ,ポパーの中でも自然淘汰と関連付けるのはあまり同意できなかった. しかしながら,その後の議論の展開には同意できない点が多い.次のクワインテーゼだが,すでに公理主義になった数学についての議論の過程で,経験的な観測についての例が挙げられており,それでは論理展開がおかしくなるのも当然に思えた.この議論を展開する上で,すでに命題論理・述語論理の意味論を認めているはずだが,この当時すでにあったはずのペアノの自然数の公理はこれから逸脱しないはずなので,そもそも定義できないという主張が分からない.とりあえず,こうした議論を始めるにあたって,何を仮定しているのか説明してくれていない部分が幾つもあるように読めた.この点で,★を一つ差し引いて4個にした. その後のパラダイム論も同意できなかった.通約不可能性の例としてピタゴラスの定理が挙げられている.だが,こうした議論の混乱が起きないように,公理主義後の数学はどの公理系を仮定したかを明示することで,これを回避するのが公理主義だし,必要があれば統一的に扱えるようにする公理系自体を設計する自由がある.ここでの議論も,公理主義前の議論をベースにしているようで,やはり仮定を始めに明示してくれない点が気になった. あとは,ウィーン学団のところであったが,哲学の議論を読むと,定量的な観点がほとんどないことが気になった.仮説がエビデンスで徐々に強化される考えを示したラプラスや,現代科学の屋台骨を支える統計のフィッシャーやピアソンといった人が科学史に登場しないのはだいぶ残念な気がした. 科学史全般については,自由学芸が教会などを中心に徒弟制のようなものだったのと同様に,科学の知識もギルドなどで制度的に教育・発展が行われたはずだが,そういった部分は無視して厳密に近代の形になってからに絞り混まれていて,歴史が短くなっているのは残念だった.国家が科学に資金提供するようになったのは20世紀初頭とされているが,バベッジの階差期間に英国政府の出資があったのはもっと前だし,その前に,マイセン磁器のように王侯のパトロンとしての出資とかは含められず,やはり短い歴史にされてしまっているように思う.自由学芸に対してmechanicalには侮蔑的な意味合いがあったと本書にはあったが,科学哲学の人たちは科学が嫌いなんだろうなという認識を新たにした. マット・リドレーとかスティーブン・ピンカーとか親科学的な人は出てこず,反科学的な史観に私には思えたが,科学哲学のコミュニティはそういう考えではないのだということが分かった.
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アリストテレス、プトレマイオス、コペルニクス、ガリレオにニュートン、あるいはフレーゲ、ポパー、クワインにクーンといった人達が何を主張したのか。 個別にはよく知られていると思いますが、それらを繋げて整理することができる本です。 本書は3部立てです。 第1部は科学史です。 まず、...
アリストテレス、プトレマイオス、コペルニクス、ガリレオにニュートン、あるいはフレーゲ、ポパー、クワインにクーンといった人達が何を主張したのか。 個別にはよく知られていると思いますが、それらを繋げて整理することができる本です。 本書は3部立てです。 第1部は科学史です。 まず、古代ギリシアにおける自然観=アリストテレス的自然観が出発点です。 このアリストテレス的自然観は、現代の知識を持っていなければ、「そうかも」と思ってしまいそうなもので、次のように整理されます。 1 古代天文学のセントラル・ドグマ (1) 天上と地上の根本的区別 (2) 天体の動力としての天球の存在 (3) 天体の自然運動としての一様な円運動 2 古代運動論のセントラル・ドグマ (1) 自然運動の原因としての自然的傾向の存在 (2) 強制運動の原因としての接触による近接作用 (3) 物体の速度は動力に比例し媒質の抵抗に反比例する このアリストテレス的自然観をひっくり返したのが科学革命です。 天文学では、コペルニクスの地動説が(1)天上と地上の根本的区別を覆し、ケプラーが(2)天球の存在と(3)一様な円運動を否定する。 物理学では、ガリレオは実験によって(3)物体の速度は動力に比例を反証し、慣性の法則として(1)自然的傾向とは異なる説明を与えました。 そしてニュートンが、天上の運動と地上の運動を同じ法則によって説明し、万有引力という(2)接触による近接作用以外の原因による運動の原理を示しました。 第2部は科学哲学です。 アリストテレスが論理学をまとめた際、演繹法と帰納法という方法論が整理されていました。 19世紀、科学者達はこの2つをまとめた仮説演繹法を方法論としていました。 しかし、こうして組み立てられた科学に対して、非ユークリッド幾何学、集合論の矛盾、量子力学が疑問を投げかけます。 何が正しい科学なのか。 検証可能性のないものは科学ではないとする論理実証主義。 論理実証主義を否定して反証可能性を試金石とするポパー。 ホーリズム(全体論)を主張するクワイン。 第3部は科学社会学です。 今でこそ、科学は国家や産業と結びつき、多額の資金を投入されて推進されるというイメージですが、そうなったのはつい最近のことです。 知識人の余暇として研究される時代、大学で研究され研究者仲間だけで評価し合っていた時代がありました。 また、産業革命の担い手は科学者ではなく、技術者・起業家でした。 しかし、現代では科学と技術は結びつき、大きな影響を社会に及ぼします。 かなり多彩なトピックスを一本にまとめて、流れるように説明する本です。 すごく洗練されていると感じました。 最後、文庫版で付けられた補章は、少し説教くさいですが、それを加味しても充分名著と呼ばれてしかるべきだと思います。
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・「科学」って何なの? っていう疑問に、歴史・哲学・社会学の三方向から攻める本。 ・それぞれの章が単独でも学びになるのに、組み合わせると「科学」が多面的に浮かび上がってくる構成、おもしろすぎ。 ・特に哲学の章、「こういう背景があってこの考え方が出てきて、そのカウンターとしてこの考...
・「科学」って何なの? っていう疑問に、歴史・哲学・社会学の三方向から攻める本。 ・それぞれの章が単独でも学びになるのに、組み合わせると「科学」が多面的に浮かび上がってくる構成、おもしろすぎ。 ・特に哲学の章、「こういう背景があってこの考え方が出てきて、そのカウンターとしてこの考え方が出てきて...」って流れで書かれてるので、ストーリー性があって楽しい。 ・タイトルから想像する以上に読みやすいよ。
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【星:4.5】 「科学」とは何か、哲学と何が違うのか、そんな疑問を抱いていたところで見つけた。そしてこの私の疑問に十分答えてくれた1冊であった。 科学史・科学哲学・科学社会学と3部構成で、お堅い内容ではあるものの、非常に丁寧な説明で分かりやすく書いてくれている。 正直分からない...
【星:4.5】 「科学」とは何か、哲学と何が違うのか、そんな疑問を抱いていたところで見つけた。そしてこの私の疑問に十分答えてくれた1冊であった。 科学史・科学哲学・科学社会学と3部構成で、お堅い内容ではあるものの、非常に丁寧な説明で分かりやすく書いてくれている。 正直分からない部分もあるが、文章・説明が丁寧なためか、それがストレスにならない。 読んでよかったと思わせてくれる本であった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ギリシア的コスモロジー(アリストテレス的自然観) =天動説 アリストテレスの運動(実体も量も質も) 可能態dynamisから現実態エネルゲイア 2000年信じられてきたアリストテレス的自然観が「科学革命」によって崩れる =「十二世紀ルネサンス」 アラビア科学をヨーロッパ世界にもたらした ・アラビア数字 ・位取り法 ・60進法 ・アラビア語の定冠詞al(代数学、アルゴリズム、アルカリなど) ・実証主義と実験精神(錬金術からくる) コペルニクス「コスモロジーの転換」 ニュートン「天と地の統一」 ケプラー ガリレオ「自然の数学化」 質的自然観から量的自然観へ ギリシア科学 演繹法の論証科学 アラビア科学 帰納法の実験科学 →近代科学「仮説演繹法」 普遍的命題⇔個別的命題 発見法abduction プラグマティズム創始者パース 現代ではセレンディピティ ラプラスのデーモン=古典物理学的世界像の崩壊危機 分析命題⇔総合命題 『沈黙の春』地球環境問題の原点 Trans Science 価値中立神話 科学技術は諸刃の剣 フクシマによる専門家の信頼の危機 R信頼性 I世代間倫理 S社会的説明責任 K知識の製造物責任
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無茶苦茶おもしろい。高校生から10代のうちに読んでおくべき本。 哲学→科学の歴史から、科学哲学と科学者、社会との関わりまで、時代を追いながら論者と理論の変遷がわかる。 純粋に真理に至る道を探る素朴な科学像は今はもうないと思った。
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科学とは何か。その問いに答えるため、科学史、科学哲学、科学社会学の三つの観点から論じた本。理路整然とした文章で、取り扱っている内容も質、量ともにバランスが良く頭に入れやすい。 印象に残ったことは、古代理論が長い間支配していたのは、理論が日常の知覚的経験と合致していたから、ま...
科学とは何か。その問いに答えるため、科学史、科学哲学、科学社会学の三つの観点から論じた本。理路整然とした文章で、取り扱っている内容も質、量ともにバランスが良く頭に入れやすい。 印象に残ったことは、古代理論が長い間支配していたのは、理論が日常の知覚的経験と合致していたから、また、理論の中核的な規則が、当時の信仰的背景と親和性を持っており、そのため、革新的な考えは発案者すら葛藤を生じさせるものであったからである。 このことは、科学の発展を考える上で重要な事例である。なぜなら、科学とは仮説であることを如実に表している事実だからである。 仮説ではあるが、悲しいことではない。科学とはそういうもので、それゆえに発展を遂げているからである。
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とてもおもしろい。何よりも既出事項を何度も反復して振り返ってくださるので、折返し内容理解を深め、事実確認しながら読み進めていくことができる。正直、どのように自分が、科学に取り組んでいくかその立ち位置を確認するにはもっと学ばなくては、と思うものの、大きなヒントを与えてくれることは間...
とてもおもしろい。何よりも既出事項を何度も反復して振り返ってくださるので、折返し内容理解を深め、事実確認しながら読み進めていくことができる。正直、どのように自分が、科学に取り組んでいくかその立ち位置を確認するにはもっと学ばなくては、と思うものの、大きなヒントを与えてくれることは間違いない。 近年における科学研究のあり方についてなども言及している最後の方は評価も別れるのかもしれないが、個人的には誠実な著者の学問に対する態度が表れているように思え、、非常に勉強になった。
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天動説が間違っていて、地動説があっているという考えは、まだ学校で教えられているのかもしれないが、どちらがあっているか?という考えそのものが、社会のパースペクティブによって経験科学である自然科学が成立していくという、学問の歴史性を示している。 また、地動説が正しいとしたとしても、そ...
天動説が間違っていて、地動説があっているという考えは、まだ学校で教えられているのかもしれないが、どちらがあっているか?という考えそのものが、社会のパースペクティブによって経験科学である自然科学が成立していくという、学問の歴史性を示している。 また、地動説が正しいとしたとしても、それはより、「何が中心か」、何が慣性系かを考える我々の習慣が強くなっていることを物語っており、マイケルソン・モーリーの実験の執念への奇妙さを生んだ。そもそも、この世界に慣性系を物語るような現象は観測されたことがあるのだろうか?観測されたこともない現象に基づき物理法則の仮説が生まれること自体、錬金術の補完的要素が科学に残されているのだろうと思う。
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科学とは何か?を広く紹介した本。科学技術という言葉があるが、本来科学は裕福な趣味のようにやるもので、奴隷のやるような労働の技術は別ものだった。それらがいかに結びついていくかのあたりが面白かった。
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