商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新曜社 |
発売年月日 | 2013/08/05 |
JAN | 9784788513440 |
- 書籍
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それは私がしたことなのか
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それは私がしたことなのか
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商品レビュー
4.3
4件のお客様レビュー
第2章までの行為論の概説は著者の見解ではなく、主要な議論の紹介なのだが、この時点でかなり面白い。後書きにある通り、広く一般に読まれるために文章を工夫されているということのようだが、見事に成功していると感じる。参考文献として挙げられている本を手に取りたくなる。 第3章の行為論と倫...
第2章までの行為論の概説は著者の見解ではなく、主要な議論の紹介なのだが、この時点でかなり面白い。後書きにある通り、広く一般に読まれるために文章を工夫されているということのようだが、見事に成功していると感じる。参考文献として挙げられている本を手に取りたくなる。 第3章の行為論と倫理学のところは、意図だけでなく運に着目した整理がなされ、前章とはガラッと変わったテーマの感を呈する。著者の関心はこの運の方により重きが置かれているように感じる。倫理学が捨象せんとする運と向き合う倫理学にワクワクした。著者の別の著書も読んでみたい。
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現代行為論の成果を著者自身が咀嚼したうえで、著者みずからの意図的行為および意図せざる行為についての考察が展開されている本です。 ギルバート・ライルは『心の概念』において、物心二元論が「カテゴリー・ミステイク」だとする批判をおこないました。そして彼は、傾向性とその発言という枠組み...
現代行為論の成果を著者自身が咀嚼したうえで、著者みずからの意図的行為および意図せざる行為についての考察が展開されている本です。 ギルバート・ライルは『心の概念』において、物心二元論が「カテゴリー・ミステイク」だとする批判をおこないました。そして彼は、傾向性とその発言という枠組みにもとづく行動主義的な理解に到達しました。著者はこうしたライルの仕事を踏まえながらも、アンスコムの反因果説に歩み寄り、意図は観察と解釈によらず主体に知られているという立場を標榜しています。そのうえで、アンスコムの議論に見られる不明瞭な部分を明晰にすることを試み、言語的コミュニケーションの可能性のうちで意図的行為が理解されるという主張をおこないます。 また著者は、意図せざる行為についてのバーナード・ウィリアムズの議論を参照しながら、「責任」という概念についての詳細な分析をおこない、行為論から倫理学へと議論の舞台を移行していきます。そのさいに、行為者的視点と傍観者者的視点の区別を導入することで、悲劇的な出来事に対してわれわれがいだく「割りきれなさ」の由来について考察を展開しています。 著者は「はじめに」で、「本書の本文は、学問としての哲学に関する予備的な知識が全くなくとも読み進められるように、また、最終的には現在の哲学の議論の先端にまで自然に至ることができるように、工夫したつもりである」と述べており、そのことばにたがわず明晰でわかりやすい議論がなされていて、行為論の入門書としての役割を充分に果たしているように思います。
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「完璧な安全運転をしていたのに,飛び出してきた子供をはねてしまった」という死亡事故から始まる極限事例をもとに,「行為とは何か」を哲学する。 この事故のどこが極限事例かというと,事故後の運転者の反応が異様だからだ。当初ショックを受け,後悔し,責任を感じていた彼は,友人に「君は悪くな...
「完璧な安全運転をしていたのに,飛び出してきた子供をはねてしまった」という死亡事故から始まる極限事例をもとに,「行為とは何か」を哲学する。 この事故のどこが極限事例かというと,事故後の運転者の反応が異様だからだ。当初ショックを受け,後悔し,責任を感じていた彼は,友人に「君は悪くない,自分を責めてはいけない」と慰められる。そしてそれを聞いた途端に,彼は「確かにそうだ」と納得して,気持ちをすっかり切り替えたというのだ。友人の慰めの言葉はまったく正しい。この完璧な運転者には法的にも道徳的にも責任は生じないはずだ。それにもかかわらず,この豹変がグロテスクに感じられるのはいかなる理由からなのだろう。それを解き明かすには,「行為」というものの謎に迫っていかなくてはいけない。 文句なしの答えが提示されているわけではないけれど,哲学するとはこういうことなんだろう。自由意思,意図,過失,道徳と倫理。純粋に科学的な見方をすればどれもフィクションに過ぎないということになってしまうが,著者はそれを認めたうえで,それでも哲学的に思考することを選んでいる。その選択はおそらく正しいし,それが人間というものなのだと思う。
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