商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2011/11/18 |
| JAN | 9784003751121 |
- 書籍
- 文庫
失われた時を求めて(3)
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失われた時を求めて(3)
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商品レビュー
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恋とは自分から始まる物語であり、結果それは自分で終わらせることになる。 恋による痛手も妄想も歓喜もそれは、自分のスクリーンの中で上映されており、映画とは違うのは、筋書きが用意されていない(もしくは自ら象る)という点である。 そのような経験は、残りの人生を歩む少年にとっては教訓...
恋とは自分から始まる物語であり、結果それは自分で終わらせることになる。 恋による痛手も妄想も歓喜もそれは、自分のスクリーンの中で上映されており、映画とは違うのは、筋書きが用意されていない(もしくは自ら象る)という点である。 そのような経験は、残りの人生を歩む少年にとっては教訓としてまた、自信として心理の奥底に流れる川となり、静かに流れ続けるだろう。 アルヌー夫人と比較するとやや耽美的な印象があるが、スワン夫人もなかなかエレガントである。
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ジルベルトとの恋は、つかのまの輝きを残して、春の淡雪のように潰え去ってしまう。 この間の精緻な心理描写には舌を巻かざるを得ない。 巻末で、いまや自らサロンの女主人となったオデットが、ボワ・ド・ブーローニュ大通りを散策する。 このシーンは、映画「スワンの恋」でもラストシーンに使わ...
ジルベルトとの恋は、つかのまの輝きを残して、春の淡雪のように潰え去ってしまう。 この間の精緻な心理描写には舌を巻かざるを得ない。 巻末で、いまや自らサロンの女主人となったオデットが、ボワ・ド・ブーローニュ大通りを散策する。 このシーンは、映画「スワンの恋」でもラストシーンに使われていた。 オデットのあまりに優雅で堂々たる存在感に、おそらく彼女も「花咲く乙女たち」の一輪に違いないと思えてくる。 『今や歳をとり、そのほとんどの女性が美しさを失った。ところがスワン夫人は、厳かに笑みをうかべ善意にあふれてボワ・ド・ブーローニュ大通りを進みながら、その気高い富の絶頂から、いまだ色香のあせない円熟の夏の栄光の極みから、 ゆったりした足どりのもとに多様な世界が流れてゆくのをヒュパティアのように見ていたのである。 ―中 略― ジルベルトのせいで当時の私が味わった心痛が消えてかなり経ったあとにまで生き残ったのは、五月の十二時十五分から一時までの時刻を日時計の文字盤に読もうとするたびに、こうしてスワン夫人と語らう私のすがたを夫人の日傘のかげに、藤棚の色に映えるようにありありと目に浮かべる楽しみである。』(第二篇花咲く乙女たちのかげに 第一部スワン夫人をめぐって) 訳者の吉川先生が、あとがきで「『失われた時を求めて』は、たんなる小説ではなく、小説と評論の総合であり、みずからの根拠を提示する小説だからである。プルーストの小説が二十世紀の「ヌーヴォー・ロマン」と呼ばれた新しい小説を触発する前衛となった所以もそこにある。」と書いているのも、極めて興味深い。
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「人をあれほど幸福にするのは心のなかに存在する不安定なものであり、恋する者はそれをたえず維持するようにしているのだが、そんなものが存在するとは、それが移動でもしないかぎりほとんど気づかない。実際には恋愛のなかにはたえず苦しみがあり、その苦しみを歓びで中和して顕在化しないよう延期し...
「人をあれほど幸福にするのは心のなかに存在する不安定なものであり、恋する者はそれをたえず維持するようにしているのだが、そんなものが存在するとは、それが移動でもしないかぎりほとんど気づかない。実際には恋愛のなかにはたえず苦しみがあり、その苦しみを歓びで中和して顕在化しないよう延期しているだけで、いついかなるときであろうと望みのものが手に入らなかった場合に、苦痛は久しい以前から本来そうであるはずの残忍なすがたをあわらすのである。」p.340
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