商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2009/08/30 |
JAN | 9784309205236 |
- 書籍
- 書籍
イー・イー・イー
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
イー・イー・イー
¥1,540
在庫なし
商品レビュー
2.6
8件のお客様レビュー
アメリカ版舞城王太郎てな感じ。舞城作品につきものの口語体による生きた文体を他の言語に移し替えればどうなるか。つまりはそういうこと。要するに日本語話者の我々が読んでもなんやらよう分からんのである。何も考えていない阿呆な若者の頭ん中を(生きた言葉を通さずに)ただ覗き込むだけではつまら...
アメリカ版舞城王太郎てな感じ。舞城作品につきものの口語体による生きた文体を他の言語に移し替えればどうなるか。つまりはそういうこと。要するに日本語話者の我々が読んでもなんやらよう分からんのである。何も考えていない阿呆な若者の頭ん中を(生きた言葉を通さずに)ただ覗き込むだけではつまらんというわけだ。別れたサラへの執着で頭の中が一杯のアンドリュー君は甘ったれてはいるが、しかしポーの詩「アナベル・リー」なんかをちょっと思わせるところがあって、そこは面白いと思った。アナベルの海辺の王国は、アンドリュー君(とサラ)のツリーハウスなのだ。
Posted by
表紙と帯を見てこれは絶対好きなやつだと思って買った。想像していた通りのマッチ具合だった。 合わない人は徹底的に理解できないだろうし自分でもかなり落ち込んだ時じゃないとこれを通して読む気にはならないけど堂々巡りのやさぐれ思考がめちゃくちゃ共感できる。自分の心情をそのまま吐露したよう...
表紙と帯を見てこれは絶対好きなやつだと思って買った。想像していた通りのマッチ具合だった。 合わない人は徹底的に理解できないだろうし自分でもかなり落ち込んだ時じゃないとこれを通して読む気にはならないけど堂々巡りのやさぐれ思考がめちゃくちゃ共感できる。自分の心情をそのまま吐露したような言葉で読んでると最早楽しくなってくる。 どうしようもない寂しさ。孤独。身の回りのものがなんだか笑えてきて仕方がない。でも本当は楽しくなんかない。何かがおかしい。俺はこのままじゃいけないと思う。きっと未来なんかない。大事な人はもういない。その面影でどうにか食いつないで自分を保っている。そんな感じ。 ただ終わりが本当にどうにもならないので救いとまではいかない。 再三繰り返すけど帯の文句が秀逸ですごくキャッチーだと思う。
Posted by
共感がほしかった、誰かに共感したい、誰かに共感されたい。誰にも通じないはずのひねこびた言い回しや変わったコード進行を誰かとわかちあえればそれが手に入る。20歳が生きる目的なんてだいたいそんなもんだ。 イー・イー・イーとはイルカの鳴き声である。主人公アンドリューはニューヨーク大学...
共感がほしかった、誰かに共感したい、誰かに共感されたい。誰にも通じないはずのひねこびた言い回しや変わったコード進行を誰かとわかちあえればそれが手に入る。20歳が生きる目的なんてだいたいそんなもんだ。 イー・イー・イーとはイルカの鳴き声である。主人公アンドリューはニューヨーク大学文学部卒のインテリだが、小説家の夢は実現できそうもなく、ドミノ・ピザのアルバイトに甘んじている。彼は過剰に肥大した知性と自意識ゆえに、日常の陳腐さに耐えられない。日常の陳腐度があるレベルを超えると脳がおかしなイマジネーション・ワールドに逃避する。イルカや熊やヘラジカは、そんな第二世界の住人だ。 ドミノ・ピザの同僚たちを見下しているのに彼らに見下されているという不条理。若い頃は特にそんなシチュエーションに耐えられないものだ。レベルの低い会話の中に突如ちん入するシュールレアリスティックな脳内風景。そのコントラストの自然さがなんとも可笑しい。 たぶん、アンドリューに彼女がいた頃はよかったのだろう。アンドリューは彼女の面影を今も追いかけてしまう。彼女の面影は薄れすぎて、ほんとうにただの影になってしまっている。影があることでアンドリューは自分の実在を確認できたが、今は…。 友達のスティーブの妹、エレンもアンドリューのように無気力で孤独だ。小説はいつしかエレンを主体に進み始める。アンドリューとエレンがいつしか出会うのではないか、という期待を小説は裏切る。 新進作家の出版記念パーティ、というアンドリューにとってもっとも自尊心を踏みにじられる、もっともドラマチックな場面。アンドリューは人生の何かを悟ろうとする(深遠な文学的なレトリックにより、そう錯覚させられる)。読者はエレンのことを忘れるが、最後にアンドリューはエレンのいた痕跡へ帰ってくる。ほのかな予感を抱かせて小説は終わる。 とはいえ、そんな筋書きにはきっと意味はなくって、楽しむべきはシニカルなギャグ未満の文章の味わいなのだろう。頻出する厭世的青年好みの固有名詞は、それひとつで内面の巨大な空虚を浮かび上がらせて絶妙だ。ゼロ年代ポップ・カルチャーの通行パスを持たないおじさんおばさんはお断り。お断りのつもりでも、かっこわるい青年期を過ごしたすべての人に普遍的な内容だ。 ウディ・アレンの自虐ジョークにもどこか似ているけれど、アレンのそれはちゃんとショーとして、スタンダップ・コメディとして成立している。タオ・リンはマイクの前で無様にスベり続ける。スベるから面白くないのではなく、どこか不愉快だから面白くないのだ(笑) 好きになれないし読みにくいしなんの益にもならない、けれどちいさなトゲのように心に刺さり続けるだろう小説。
Posted by