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「空気」と「世間」 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2009/07/18 |
JAN | 9784062880060 |
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「空気」と「世間」
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「空気」と「世間」
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商品レビュー
4.2
76件のお客様レビュー
2009年に第一刷が発行され、その後も発行され続けて、もう少しで第二〇刷が発行されようとしている。 内容こそ、当時の時事ネタを挙げながら平易に解説している本書だが、 発行から15年が過ぎた今でも、いや、今だからこそ、 信頼できる「生きかたの指南書」として多くの人たちに読まれ続けて...
2009年に第一刷が発行され、その後も発行され続けて、もう少しで第二〇刷が発行されようとしている。 内容こそ、当時の時事ネタを挙げながら平易に解説している本書だが、 発行から15年が過ぎた今でも、いや、今だからこそ、 信頼できる「生きかたの指南書」として多くの人たちに読まれ続けているだろうことは 容易に想像できる。 山本七平『「空気」の研究』、 阿部謹也『「世間」とは何か』、 また、阿部さんの仕事を受け継ぎ「世間学」というアプローチをされている佐藤直樹さんの著書 『「世間」の現象学』 などを参照しつつ、「世間」の正体をつぶさに観察し、浮き彫りにした一冊。 曰く、世間のルールがいくつかあり、 世間のルール1 贈与・互酬の関係、 世間のルール2 長幼の序、 世間のルール3 共通の時間意識、 世間のルール4 差別的で排他的、 世間のルール5 神秘性、 の5つを挙げていて、 必ずしもこの5つだけに限らない、 としている。 実際、読み進めていくと、 「いじめに苦しんでいる中学生に届いて欲しい」 という著者の眼差しが真っ直ぐに伝わって来る。 すべての世代の人たちに向けて書かれた一冊 とも言える、と感じた。 著者は、さまざまな具体例を挙げながら、 「空気」とは、「世間」として確立されていない、 いわば「世間」が流動化したものである、 ということを紐解いていく。 また、「世間」と「社会」の違いを示し、 現代日本人にとっての「社会」や「個人」について、 “明治十年(一八七七)頃に societyの訳語としてつくられた言葉社会という言葉がつくられた。そして同十七年頃にindividualの訳語として個人という言葉が定着した。それ以前にはわが国には社会という言葉も個人という言葉もなかったのである。ということは、わが国にはそれ以前には、現在のような意味の社会という概念も個人という概念もなかったことを意味している。(40ページより)” と、そのルーツを紹介し、 明治維新後の西洋化の過程で半ば強引に輸入された概念であると説明している。 それ以前の日本に定着していたのは、もっぱら「世間」のほうであったらしい。 そのため、「個人」がつくる「社会」という感覚は いまだに日本には定着せず、 建前としての「個人」「社会」と、本音としての「世間」 という、ダブルスタンダード状態で日本の経済も政治も動いてきたことを筆者は解き明かしていく。 西洋でも、キリスト教が絶対的な影響力を持つまでは「世間」が存在していたことも明かしている。 人あるいは人々は、放っておけば自然に「世間」をつくり出す。 それを一神教の名の下に強く禁じたのがキリスト教であり、 西洋人はキリスト教を絶対視することによって、キリスト教以外のあらゆる概念を相対視できるようになった、と説明する。 日本では、絶対視できる一神教のような概念はしない代わりに「世間」がその役割を果たしてきた、という著者の指摘は極めて鋭い。 私自身、これまでにモヤモヤと感じていたことが 厚紙を剥ぐように一気に氷解した。 本書の内容は学術論文ではないけれども、 こうして個人的に納得感が得られることは私個人にとって非常に大きい。 「古き良き日本」というのも「世間」である、と 著者は喝破していく。 生きにくい日本を生き抜く方法として、万能薬は無いとしつつも、 “ほんの少し「個人」がしっかりした人は、同じことを言うことに意味がないと思って、幻の「空気」がそこにあっても、自分の言いたいことを言います。 これぐらいの「個人」の強さは、必要だと思っています。それは、その方が快適だからです。(214ページ)” と勧めている。 日本語文化圏の特徴や、 社会的であることの意味、 セーフティネットとして「複数の『共同体』にゆるやかに所属すること」の有効性、 などをわかりやすく説明した上で、 “たった一つの「共同体」に対して頼っているだけだったり、支えを求めているだけだったりしたら、いくらゆるやかに支えてもらおうと思っても、「共同体」の方からあなたを放り出すでしょう。 複数の「共同体」とゆるやかな関係を作りながら、あなたもまた、その「共同体」の人たちを支えるという気持ちを持つのです。(250ページ)” と、 ひとつの処方箋を提示している。
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「世間」「社会」「空気」、 これらの観点から、日本人の行動や考え方分析しているのですが、読んでいて、とても腑に落ちた。良書。 周りが残業しているから帰りにくいとか、まさに「世間」だよなぁと思った。 また、初対面の人に、いきなり馴れ馴れしいタメ口とか、 注意するときに「ですます調...
「世間」「社会」「空気」、 これらの観点から、日本人の行動や考え方分析しているのですが、読んでいて、とても腑に落ちた。良書。 周りが残業しているから帰りにくいとか、まさに「世間」だよなぁと思った。 また、初対面の人に、いきなり馴れ馴れしいタメ口とか、 注意するときに「ですます調」ではなくて、感情的に暴言を放つ人とか、これは「社会」との接し方がわからなくて、すべて「世間」として捉えてしまっているのではないか。「世間」の中で生きている、ゆえに「世間」の言葉を用いる。 逆に、“〜させていただきます”の連発や、過剰な敬語を用いてしまうーーこれは先ほどの人とは違って、「世間」が崩壊している環境で生きてきた人、「世間」というものを知らずに育った人ほど顕著ではないだろうか。関わる他者すべてが、まったく関係のない、遠い距離(「社会」)に生きているのだと思ってしまう。 人見知りの人なんかも、これと関係があるかもしれない。 「社会」もない。 「世間」もない。 かろうじて「空気」、共同体の匂いはまだあるが、それすらもなくなったら、個人はどうなるか。 紐の切れた凧のように、どこかに飛んでいってしまうのではないか(『推し、燃ゆ』の主人公が最後そうなったように)。 いや、そうならないように、日本ではSNSがめちゃくちゃ流行っているんだろうな、と思う。 今の日本にとって、SNSこそが「世間」の代用であり、セーフティネットであり、共同体の匂いである。 「空気」と「世間」。 とてもいい本。周りに薦めたいと思った。
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「空気が読めない」などの空気とは、所謂、世間を形づけるルールに合致した状態の様な強固なもので無く、流動性が高い状態の事を言う。 要するに、この先何かの事情で状況が変わる可能性(流動性)が高い場合に用いられる。さらに「空気」には潜在的に畏怖や圧力を感じる何かが存在しており、これらは...
「空気が読めない」などの空気とは、所謂、世間を形づけるルールに合致した状態の様な強固なもので無く、流動性が高い状態の事を言う。 要するに、この先何かの事情で状況が変わる可能性(流動性)が高い場合に用いられる。さらに「空気」には潜在的に畏怖や圧力を感じる何かが存在しており、これらは人を拘束する。日本人は「空気」に目に見えない畏怖するものを感じている。 実は「空気」がルール化させると「世間」へと変貌する。ここで「世間」と「社会」の違いは何かと問われると世間とは自身のコミュニティに近い場合であり、社会とはその以外である。 例えば、近所の行きつけのお店(世間)の人への態度とコンビニ店員(社会)への態度では日本人はあからさまに態度、距離感が違う。これは欧米人からすると異様に映るようで、欧米人は逆に「世間」と「社会」の境界線があまり無く上記の様な場合特に差は見られない。「社会」に対する対応方法を歴史的に習得しているからだ。 さて、本書ではこの「空気」を打開するための方法を筆者は提供している。 一つは「空気」を相対化する事で、反論、疑問視、攻撃できる様にする事だ。先ほど述べた様に「空気」はある種絶対的なもので皆そこに何かしらの圧力及び畏怖を感じている状態である。それらを打開するためにも、比較検討できる状態にすることが望ましい。 二つ目は「水を差す」ことだ。あるグループ数人が全員で旅行に行くことになっている「空気」の場合、「でも、お金ないからなー」と言うことが水を差すと言うこと。これが「空気」が壊れた瞬間である。 昨今は「世間」よりも「空気」を大事にする傾向にある。それはなぜか。一昔前は「世間」は経済的セーフティネット(農業社会)であったが、近年は都市化、経済的精神的グローバル化が進み同質化が保てなくなり、「世間」が崩壊してきている。昔無かったモノが現代にはある。現代の人はそれがあることを基準に物事を判断するのだから変わることは当たり前である。
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