商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 偕成社 |
発売年月日 | 2009/04/15 |
JAN | 9784036430505 |
- 書籍
- 児童書
あの庭の扉をあけたとき
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あの庭の扉をあけたとき
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商品レビュー
4.2
10件のお客様レビュー
5歳のわたしと70歳のおばあさん。強情っぱりの似たもの同士が出会う。わたしが出会ったのは強情だった少女の頃のおばあさん。ひとりの女性の長い歴史に巻き込まれるわたし。わたしもおばあさんも佐野洋子さんなんだと思う。「70歳だけど70歳だけじゃなくて、生まれてから70歳まで全部の歳を私...
5歳のわたしと70歳のおばあさん。強情っぱりの似たもの同士が出会う。わたしが出会ったのは強情だった少女の頃のおばあさん。ひとりの女性の長い歴史に巻き込まれるわたし。わたしもおばあさんも佐野洋子さんなんだと思う。「70歳だけど70歳だけじゃなくて、生まれてから70歳まで全部の歳を私は持っている」。人の歴史、人の人生。簡単に他人が語れるようなものじゃない。
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2022.10.23市立図書館 松居直さんと河合隼雄さんの講演録で言及されていて(たぶん)興味を持った。 庭を舞台にしたファンタジー。主人公の5歳の少女がジフテリヤで入院したのをきっかけに、それまで父親と散歩で見かけては気になっていた洋館の主のおばあさんと親しくなる話。強情っ張り...
2022.10.23市立図書館 松居直さんと河合隼雄さんの講演録で言及されていて(たぶん)興味を持った。 庭を舞台にしたファンタジー。主人公の5歳の少女がジフテリヤで入院したのをきっかけに、それまで父親と散歩で見かけては気になっていた洋館の主のおばあさんと親しくなる話。強情っ張りで無愛想な者同士(父親も含めて)、縮まりそうでなかなか縮まらない仲。あたたかいというよりはわけがわからなくてちょっとこわかったけれど、人と人がほんとにであうというのはこういうことかなと感じた。 もうひとつ併録された短編「金色の赤ちゃん」は、同じようこちゃん(?)が学校でちょっとおくれている同級生とも子ちゃんのお世話係を(先生とその子のお母さんから)まかされてしまった複雑な心情を描いている。客観的に好きになれないけれど、自分も実はその子と近いところにいることに気がついたという感じでふしぎな魂の交歓のひとときがうまれる。
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佐野さんは絵本が基本だけど、これは絵本の尺には合わなかったか(ちょっと長い)物語になっている。 『トムは真夜中の庭で』にちょっと似ているが、出てくる子どもや大人がいかにも佐野さんらしく「子どもはこうだろう」とか「大人はこうあるべき」とか「児童書はこうでなければ」というものから解放...
佐野さんは絵本が基本だけど、これは絵本の尺には合わなかったか(ちょっと長い)物語になっている。 『トムは真夜中の庭で』にちょっと似ているが、出てくる子どもや大人がいかにも佐野さんらしく「子どもはこうだろう」とか「大人はこうあるべき」とか「児童書はこうでなければ」というものから解放されている。 主人公の父は児童書にでてくるようなわかりやすいやさしさのある父ではなく、口も悪いし、勝手だし、ぶっきらぼうで、いつも子どもにやさしいわけではないが、自分を偽って子どもにいい顔するような大人ではない。佐野さんのお父さんをモデルにしているのか、そんなお父さんの人間としての魅力も伝わる。 佐野さんの文章を読む喜びがあった。 主人公のようこは父と散歩していてさびれた洋館を見つける。しばらくして行くと修理され、庭も手入れされている。ここに住む老婦人とようこは仲良くなるわけではない。しかしようこがジフテリアで入院したことがきっかけで、老婦人の若い頃の少女と交流するようになる。 老婦人が怒ると元気がいいことに気づき、ようこは父に「おとうさん、人は怒ると元気が出るの?」と尋ねる。父に「おまえはどうだね?」と聞かれて、自分は怒られることはあっても怒ることはない(子どもだから)ことに気づき、 「でも、わたし泣くとき元気いいね。元気じゃなく泣くときもあるけど。いちばん元気が出る泣き方はね、くやしいときだよ」(p39) あるいは泣いている女の子が「泣くってほんとうにいい気持ちね。とくに安心して悲しいことを思い出して泣くのはいい気持ち。」(p78)という。 その気持ち大人でもわかるけど、子どものころ、自分のおやつがきょうだいより少なかったとか、自分の誕生日を忘れられたとかでくやしくて泣くとき、自分が「みなしご」であると想像したり、アンデルセンのセンチメンタルな童話を思い出したりして「安心して悲しいことを思い出して泣くとき」のことを思い出した。そのときの気持ちも。 わたしは、おとなが機嫌がわるいのがいちばんどきどきします。 いつ怒るかわかんなくて、ずっと心配していなくちゃいけないからです。(p111) なんてのも、ああそうだった、怒られるよりも機嫌が悪い方が怖かった、と思い出した。佐野さんは大人になってもよく覚えているな、これが才能ってもんだな、と思った。 もう一つ「金色の赤ちゃん」という短めの物語も入っている。 クラスのお荷物になっているどんくさい子の面倒を見てね、と教師やその子の母親にお願いされてしまう女の子のイラつく気持ち、意地悪な気持ち、でもそれを大人に知られてはいけないという気持ちがありありと伝わった。大人ってちょっとしっかり者に見える女子にそういうことを頼む傾向は今もあるだろうが、ほんとやめてくれって本人は思っているだろう。 でもいやという気持ちや、そんな気持ちを抱く罪悪感だけでなく、その子の面倒を見てあげたいという気持ちもないわけじゃないんだよね。ただそれが毎日とか、学校にいる間中だといやになる。そこはわかってあげないとね、とこれを読んで忘れていた感情がよみがえってから思った。
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