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あの庭の扉をあけたとき の商品レビュー

4.3

11件のお客様レビュー

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2025/03/03

この本で初めて佐野洋子さんの作品に触れた。 ちょっと…何と言っていいか分からないけど、 この方は天才すぎる 物語の初めから、ずぅっと薄い悲しみのベールがかかっているような文体。 金色の赤ちゃんの話、佐野さんには本当にそのような存在が見えているんじゃないかと思った。 子供の時に...

この本で初めて佐野洋子さんの作品に触れた。 ちょっと…何と言っていいか分からないけど、 この方は天才すぎる 物語の初めから、ずぅっと薄い悲しみのベールがかかっているような文体。 金色の赤ちゃんの話、佐野さんには本当にそのような存在が見えているんじゃないかと思った。 子供の時に感じていた剥き出しな感情(妬み、嫌悪、喜び、悲しみ、恐れ、憧れ…)を呼び起こしたい時に読みたい

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2023/02/28

5歳のわたしと70歳のおばあさん。強情っぱりの似たもの同士が出会う。わたしが出会ったのは強情だった少女の頃のおばあさん。ひとりの女性の長い歴史に巻き込まれるわたし。わたしもおばあさんも佐野洋子さんなんだと思う。「70歳だけど70歳だけじゃなくて、生まれてから70歳まで全部の歳を私...

5歳のわたしと70歳のおばあさん。強情っぱりの似たもの同士が出会う。わたしが出会ったのは強情だった少女の頃のおばあさん。ひとりの女性の長い歴史に巻き込まれるわたし。わたしもおばあさんも佐野洋子さんなんだと思う。「70歳だけど70歳だけじゃなくて、生まれてから70歳まで全部の歳を私は持っている」。人の歴史、人の人生。簡単に他人が語れるようなものじゃない。

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2022/10/30

2022.10.23市立図書館 松居直さんと河合隼雄さんの講演録で言及されていて(たぶん)興味を持った。 庭を舞台にしたファンタジー。主人公の5歳の少女がジフテリヤで入院したのをきっかけに、それまで父親と散歩で見かけては気になっていた洋館の主のおばあさんと親しくなる話。強情っ張り...

2022.10.23市立図書館 松居直さんと河合隼雄さんの講演録で言及されていて(たぶん)興味を持った。 庭を舞台にしたファンタジー。主人公の5歳の少女がジフテリヤで入院したのをきっかけに、それまで父親と散歩で見かけては気になっていた洋館の主のおばあさんと親しくなる話。強情っ張りで無愛想な者同士(父親も含めて)、縮まりそうでなかなか縮まらない仲。あたたかいというよりはわけがわからなくてちょっとこわかったけれど、人と人がほんとにであうというのはこういうことかなと感じた。 もうひとつ併録された短編「金色の赤ちゃん」は、同じようこちゃん(?)が学校でちょっとおくれている同級生とも子ちゃんのお世話係を(先生とその子のお母さんから)まかされてしまった複雑な心情を描いている。客観的に好きになれないけれど、自分も実はその子と近いところにいることに気がついたという感じでふしぎな魂の交歓のひとときがうまれる。

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2021/12/26

佐野さんは絵本が基本だけど、これは絵本の尺には合わなかったか(ちょっと長い)物語になっている。 『トムは真夜中の庭で』にちょっと似ているが、出てくる子どもや大人がいかにも佐野さんらしく「子どもはこうだろう」とか「大人はこうあるべき」とか「児童書はこうでなければ」というものから解放...

佐野さんは絵本が基本だけど、これは絵本の尺には合わなかったか(ちょっと長い)物語になっている。 『トムは真夜中の庭で』にちょっと似ているが、出てくる子どもや大人がいかにも佐野さんらしく「子どもはこうだろう」とか「大人はこうあるべき」とか「児童書はこうでなければ」というものから解放されている。 主人公の父は児童書にでてくるようなわかりやすいやさしさのある父ではなく、口も悪いし、勝手だし、ぶっきらぼうで、いつも子どもにやさしいわけではないが、自分を偽って子どもにいい顔するような大人ではない。佐野さんのお父さんをモデルにしているのか、そんなお父さんの人間としての魅力も伝わる。 佐野さんの文章を読む喜びがあった。 主人公のようこは父と散歩していてさびれた洋館を見つける。しばらくして行くと修理され、庭も手入れされている。ここに住む老婦人とようこは仲良くなるわけではない。しかしようこがジフテリアで入院したことがきっかけで、老婦人の若い頃の少女と交流するようになる。 老婦人が怒ると元気がいいことに気づき、ようこは父に「おとうさん、人は怒ると元気が出るの?」と尋ねる。父に「おまえはどうだね?」と聞かれて、自分は怒られることはあっても怒ることはない(子どもだから)ことに気づき、 「でも、わたし泣くとき元気いいね。元気じゃなく泣くときもあるけど。いちばん元気が出る泣き方はね、くやしいときだよ」(p39) あるいは泣いている女の子が「泣くってほんとうにいい気持ちね。とくに安心して悲しいことを思い出して泣くのはいい気持ち。」(p78)という。 その気持ち大人でもわかるけど、子どものころ、自分のおやつがきょうだいより少なかったとか、自分の誕生日を忘れられたとかでくやしくて泣くとき、自分が「みなしご」であると想像したり、アンデルセンのセンチメンタルな童話を思い出したりして「安心して悲しいことを思い出して泣くとき」のことを思い出した。そのときの気持ちも。 わたしは、おとなが機嫌がわるいのがいちばんどきどきします。 いつ怒るかわかんなくて、ずっと心配していなくちゃいけないからです。(p111) なんてのも、ああそうだった、怒られるよりも機嫌が悪い方が怖かった、と思い出した。佐野さんは大人になってもよく覚えているな、これが才能ってもんだな、と思った。 もう一つ「金色の赤ちゃん」という短めの物語も入っている。 クラスのお荷物になっているどんくさい子の面倒を見てね、と教師やその子の母親にお願いされてしまう女の子のイラつく気持ち、意地悪な気持ち、でもそれを大人に知られてはいけないという気持ちがありありと伝わった。大人ってちょっとしっかり者に見える女子にそういうことを頼む傾向は今もあるだろうが、ほんとやめてくれって本人は思っているだろう。 でもいやという気持ちや、そんな気持ちを抱く罪悪感だけでなく、その子の面倒を見てあげたいという気持ちもないわけじゃないんだよね。ただそれが毎日とか、学校にいる間中だといやになる。そこはわかってあげないとね、とこれを読んで忘れていた感情がよみがえってから思った。

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2018/07/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「庭」は人間が自分たちの住空間に取り込んだ、自然という異界の一部。「扉」はある空間とある空間を隔て、同時につなげる存在。どちらもファンタジーやSFの格好の題材であり、これらを扱った秀作は数多い。そんなふたつの題材を佐野洋子という個性的な書き手がファンタジーに仕上げたら、どんな話になるのだろうか。そんな興味から本書を手に取ってみた。 五歳の「わたし」が父との散歩中に見つけた廃虚のような洋館。そこに越してきた偏屈者のおばあさんは、あっという間に館を花屋敷に変える。やがてジフテリアで入院した「わたし」は病院で謎めいた女の子に出会う。女の子は「わたし」を連れて不思議な美しい庭を抜け、扉を通り、とある部屋に出る。そこで「わたし」は、一人の人物の記憶の中にある情景を垣間見ることになる。それは人一倍強情っぱりな少女と少年との、愛の物語の断片でもあった。 強情である、ということがこの話の主要人物たちの共通項である。「わたし」も「おばあさん」も、少女と少年も。融通の利かない世渡り下手ではあるかもしれないが、強情者の強みは、一度守ると決めたものは徹底的に守り通すことだ。そのすがすがしさが、「おばあさん」の咲かせるバラの香りのように物語を包む。謎の女の子の正体はすぐにわかるし、庭を媒介として一人の人間の現在と過去の姿に邂逅する、という設定も新しくはない。味わうべきは強情賛歌とでもいうべき文章の詩的なリズム、そして肩肘張った登場人物たちの、それゆえに愛おしい生き方だろう。一人の人間の中に記憶という形で生き続ける様々な時間。他人の目には見えないその時間の積み重ねが自我を作る。その自我が周囲の環境を作る。強情っぱりの作った庭は意地が通ってさぞ見事だろう。我が家の庭のバラはきっと彼らに「貧相」とくさされるだろうなあ、と想像逞しくして苦笑いしてしまった。そんな現実味が、佐野洋子作品の魅力でもある。 併録の『金色の赤ちゃん』は、奇異な外見をし、知的障害もある「とも子ちゃん」と「わたし」がふとしたことから魂を触れ合わせる物語。二人が見た「金色」は幻想なのか、存在の本質の色なのか。印象に残る短篇だった。

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2014/02/20

やっぱり佐野洋子さんはただものではない。 一言でいうと、近所のおばあさんと5さいの私の交流。 でもこのおばあさんというのが、なかなかでして。 「おばあさん」というと、その言葉がまとう、 ある種の柔らかみやら甘さのイメージを裏切る、 とんでもない強情もの、ばさばさとドライ。 で...

やっぱり佐野洋子さんはただものではない。 一言でいうと、近所のおばあさんと5さいの私の交流。 でもこのおばあさんというのが、なかなかでして。 「おばあさん」というと、その言葉がまとう、 ある種の柔らかみやら甘さのイメージを裏切る、 とんでもない強情もの、ばさばさとドライ。 でありながら、瑞々しい感性。 「私」が垣間みるおばあさんの子どもの頃の峻烈なエピソードは、 読者の脳裏にも同様に鮮やかなイメージとなって残る。 5さいの私も可愛らしくなんかなくて、 父親との会話がなんともいい。 ラストはちょっと蛇足な気もするが、 平明な言葉で描かれた深い児童文学。 装丁、フォントをもうちょっと工夫すれば、 小学生の手に取る本になると思うと、 すこし惜しい気がする。 本に携わる人が丁寧に紹介すると 子どもに読んでもらえると思う。

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2012/11/11

やはり佐野さんはちょと変わってる。 そう思った一冊。 主人公ようこちゃんは佐野さんのようです。 お父さんと散歩していると大きなお屋敷の庭におばあさんがいました。 すごく強情で無愛想なおばあさん。 ジフテリアにかかり入院したようこが見た夢とおばあさんのむかしが繋がって、ようこは不...

やはり佐野さんはちょと変わってる。 そう思った一冊。 主人公ようこちゃんは佐野さんのようです。 お父さんと散歩していると大きなお屋敷の庭におばあさんがいました。 すごく強情で無愛想なおばあさん。 ジフテリアにかかり入院したようこが見た夢とおばあさんのむかしが繋がって、ようこは不思議な体験をします。 悲しかったおばあさんの過去、不思議な体験が気持ち悪くて怖かったようこは 13歳になってやっとおばあさんに会いに行きます。 乱暴だなあと笑ってしまう言葉遣いがあるので、大人は心配するかもしれない。 そしてなんとなく、これは大人が読んだほうがよいような気がする。 言葉遣い云々とかはさておき、昔子どもだった人のための物語と思う。 対象は児童だが一般向きだ。

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2011/04/17

おばあさんと女の子の不思議な話。 おばあさんの70歳になったけど私は70歳だけでなくてその時々の私をもっているという台詞がとても印象的でした。そう考えると年をとるのも悪くないなって思いました。

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2010/11/23

わたしは、70になったけれど、70だけってわけじゃないんだね。 70までの全部の歳をもっているんだ。 歳を重ねるって、、変わり続けるというよりも、そういう色んな 自分を抱えているということだよなぁ、、はっとしました。 すっと異世界に連れて行かれているのに、既視感のような...

わたしは、70になったけれど、70だけってわけじゃないんだね。 70までの全部の歳をもっているんだ。 歳を重ねるって、、変わり続けるというよりも、そういう色んな 自分を抱えているということだよなぁ、、はっとしました。 すっと異世界に連れて行かれているのに、既視感のようなものが あって、臨場感のある描写。佐野さんの本は読み終わっても 何かが心に残っていくなぁと思います

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2010/11/07

直接顔をあわせると、言えないことってあるよね。 強情というのも、相手によるようです。 すくなくとも、女の子はおとうさんに対しては強情ではない。 女の子が強情なのは、おばあさんに対してだけです。 怖いなんていわない。 寂しいなんていわない。 会いたいなんていわない。 なぜ素直に...

直接顔をあわせると、言えないことってあるよね。 強情というのも、相手によるようです。 すくなくとも、女の子はおとうさんに対しては強情ではない。 女の子が強情なのは、おばあさんに対してだけです。 怖いなんていわない。 寂しいなんていわない。 会いたいなんていわない。 なぜ素直になれないのか。 女同士だから? でも、女の子が一番分かり合えたのも、やはりおばあさん。 佐野洋子さんの作品の、女性と女性の関係は、年齢に関わらず、一筋縄ではいかないみたい。

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