1,800円以上の注文で送料無料

戊辰戦争
  • 新品
  • 書籍
  • 新書
  • 1226-26-01

戊辰戦争

佐々木克(著者)

追加する に追加する

戊辰戦争

858

獲得ポイント7P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 1977/01/25
JAN 9784121004550

戊辰戦争

¥858

商品レビュー

3.8

8件のお客様レビュー

レビューを投稿

2025/01/29

佐々木克氏の本は3作目。本書は、明治維新を旧幕府派の東北諸藩の視点を中心に眺めた一冊である。本書は鳥羽伏見あたりから始まる。鳥羽・伏見の戦いにおける錦の御旗の力は、日和見藩を幕府方から薩長方に寝返らせるほどだった。それだけ精神的に賊=幕府軍 官=薩長軍という決めつけは威力を発揮し...

佐々木克氏の本は3作目。本書は、明治維新を旧幕府派の東北諸藩の視点を中心に眺めた一冊である。本書は鳥羽伏見あたりから始まる。鳥羽・伏見の戦いにおける錦の御旗の力は、日和見藩を幕府方から薩長方に寝返らせるほどだった。それだけ精神的に賊=幕府軍 官=薩長軍という決めつけは威力を発揮した。この戦いの幕軍の弱さは昔通りの白兵戦重視、火兵戦に対する認識の甘さから来る。この戦いで敗れた幕軍は慶喜の大阪城脱走を知り、取り残された者達も我先にと脱走していったのであった。幕府軍は鳥羽・伏見で敗れたら大阪で、大阪で敗れたら江戸で反撃すれば良いという意識が働いていた。これは鳥羽・伏見に命運を賭けている薩長軍と大きく異なる。その後江戸無血開城。幕軍はジリジリと東北まで退く。東北諸藩で奥羽越列藩同盟結成。盟主を頂点に、総督、参謀、公議府会議と権力体制の確立をみた同盟は、明らかに京都政権に対抗する、地方政権=奥羽政権としての意識と実体をもっていた。戦争局面の進展とともに、同盟は地方的諸藩連合政権として歩み始め、その性格は、会津藩や庄内藩を救解し、戦争を避けようとする平和同盟から、積極的な攻守同盟へと質的転換を遂げていった。仙台藩と米沢藩が、京都邸を政府に没収され、家臣の入京を禁止された事つまりは仙台も米沢も『朝敵』のあつかいとなった事で奥羽越同盟はもはやあとにひけないところまで来てしまった。その後は歴史の示すとおりである。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou27903.html

Posted by ブクログ

2024/10/19

敗者の側に立って…とあるけど、決して幕府軍に同情的な書き方ではなく、事実・史実から淡々と分析しているような感じです。 榎本が東北諸藩の戦いに加わらなかったのは、「会津藩を信じてはならない。忠あるようで徳川家がこのようになったのは会津藩のせいだ」と勝の説得によるものなのとあるけど...

敗者の側に立って…とあるけど、決して幕府軍に同情的な書き方ではなく、事実・史実から淡々と分析しているような感じです。 榎本が東北諸藩の戦いに加わらなかったのは、「会津藩を信じてはならない。忠あるようで徳川家がこのようになったのは会津藩のせいだ」と勝の説得によるものなのとあるけど、勝は当時の幕臣の中で、ひときわ情報を持ち分析も正しかったのでは?と思っていたけど…その言い分は違うと思う。 最後の将軍がきちんと対処もせずに(朝令暮改とは慶喜のために作られたんじゃないのか?と思うくらい)…すべて放り投げたからだと思う。 最も、後から歴史を学んぶ側の言い分ですがね。 あまり興味を持たなかった幕末の水戸藩内の権力抗争とか、「天狗党」とか見たり聞いたりしてたけど全然理解してなかったのだよね。 ちょっと興味を持ったのでろ、気が向けば何か本を探すかも。 東北を戦場とする戊辰戦争の最終的なきっかけとも言える「世良修蔵」暗殺について、どう書いてるのか。 新政府軍側からも、東北諸藩の薩長への怨みをそらすように、死んだ後に責任を被せられた…というような事が書かれてあり、ちょっとハッとさせられました。 確かに、新政府軍よりの本でも「世良修蔵」は醜悪な道化的書かれ方していて、「芹澤鴨」と同じ扱いのような気がする…。

Posted by ブクログ

2023/12/11

○戊辰戦争の経緯 大政奉還を上奏したが、徳川は依然権力を保持しており、徳川としては国家運営を出来るものならやってみろとの立場 大政奉還で徳川幕府が独裁を放棄した事で諸藩連合政権か倒幕の選択肢があり各藩で意見が分かれたが、 薩長ら強硬派は倒幕を志向し安芸、越前、尾張、土佐藩とクーデ...

○戊辰戦争の経緯 大政奉還を上奏したが、徳川は依然権力を保持しており、徳川としては国家運営を出来るものならやってみろとの立場 大政奉還で徳川幕府が独裁を放棄した事で諸藩連合政権か倒幕の選択肢があり各藩で意見が分かれたが、 薩長ら強硬派は倒幕を志向し安芸、越前、尾張、土佐藩とクーデターを起こして王政復古の大号令を行った。 王政復古では三職会議が開かれて内閣が成立したが官僚組織は未整備であり財源も曖昧と心許ない地盤であった。 徳川慶喜は新体制はうまくいかないだろうと推測し、そのうち新政府の穏健派が徳川を頼ってくると楽観的であり二条城→大阪に移動した。 しかし薩長と幕府強硬派は小競り合いを起こしており、江戸薩摩藩鄭の焼き討ちを機に幕府強硬派が京都に攻め入ろうとして戊辰戦争が勃発した。幕府軍の北上を受けて鳥羽では薩摩、長州、土佐藩、伏見では彦根、西大路、薩摩が守りを固めた。幕府軍は鳥羽・伏見→淀(淀藩が幕府軍入場拒否)→八幡・橋本(津藩の政府軍転向)と退却していった。 結果、西国の諸藩は早々に新政府へ忠誠を誓った。 ○奥羽列藩同盟 会津藩は藩主松平容保が京都守護職を務めていた経緯もあり、薩長とは因縁浅からぬ関係であった。 そのため徳川慶喜が謹慎しても武装解除を拒否して2月16日から会津へ戻った。 東北諸藩は戦火が東北地方に及ぶのを避けるべく、仙台藩、米沢藩、会津藩間で会津藩の謝罪歎願を周旋したが、 会津藩は頑固であり説得を受け入れようとしなかった。また新政府も征討令を出した以上は後に引けなかった。 *禁門の変で幕府が寛大な処置を行った事と対照的であり、ペリー来航以降の失政の責任は大政奉還で精算されているとの見方があり、会津藩処分と庄内藩処分の罪状があやふやなため薩長の恨み晴らしにすぎないのではとの見方が少なからずあった その状況下で新政府軍参謀の世良修蔵暗殺事件が福島で発生し、東北諸藩は朝廷に申し開きをするべく慌てて同盟を結成する。 この同盟の性格は反政府でなく薩長の専制を否定に留まっており、新政府の軍事部門である総督府の指揮下に入るのを志向していた。 一方で公家出身の総督は新政府寄りであり仙台を脱出して政府軍に合流してしまった。 折しも上野輪王寺公現法親王が会津に入っており、彼を盟主として列藩同盟を結成し京都政権の対抗とした。 この時奥羽列藩同盟は戦争を避けるための軍事同盟から積極的な軍事同盟になった。 *輪王寺宮を東武皇帝として東武政府を樹立するところまで考えていたかは議論の余地あり。

Posted by ブクログ

関連ワードから探す