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アウシュヴィッツの残りのもの
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 月曜社 |
発売年月日 | 2001/09/17 |
JAN | 9784901477000 |
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アウシュヴィッツの残りのもの
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フーコーの生政治論を引き継いで議論を進めるアガンベンの「ホモ・サケル」シリーズの1冊。(わたしが読むのは、これが最初だが) アウシュビィッツという極限状態を誰が証言できるのか?ということを中心にグルグルと回りながら、だんだん中心に近づいてくるような本。 その議論の中心は、「回...
フーコーの生政治論を引き継いで議論を進めるアガンベンの「ホモ・サケル」シリーズの1冊。(わたしが読むのは、これが最初だが) アウシュビィッツという極限状態を誰が証言できるのか?ということを中心にグルグルと回りながら、だんだん中心に近づいてくるような本。 その議論の中心は、「回教徒」と呼ばれる生きる屍状態になった人々。 かれらは、その後、ガス室に送られて、死んだり、かりに生き残っても、人間ではもはやなく言語もない「回教徒」である状態について、語ることができない、という逆説。 その議論に、アーレントやフーコーの議論を踏まえながら、アウシュビィッツについて、そして人間存在、政治の意味、アウシュビィッツ後の倫理について検討する。 そして、最後に言葉を持たないはずの回教徒が話し始め、途中で本は唐突に終わる。これはなにを意味するのか? フーコーなどのフランスのポスト構造主義の著作にくらべると、ある程度の具体性があって、わかりやすそうに見えるものの、読んでいくとすぐに議論についていけなくなる。多分、思考のパターンが自分とはかなり違うのだと思う。 あるいは、アガンベンは、コロナに関するエッセイ以外は読んだことがなく、これが初めての本格的な本なので、著者の問題意識がわからないまま読んだせいかな? もう少し、アガンベンは学ぶ必要がありそう。 なかなかに大変な本であった。
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アウシュビッツは人が死ぬのではなく、死体が生産された。 ユダヤ人たちはユダヤ人として死ぬのではなく、回教徒として死ぬのだと思っていたのだろう。
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現代イタリアを代表する思想家アガンベンの主著の1つ。ネグリは好みじゃないけど、アガンベンは好み。現象学的書き方を継承しているし、扇動的ではなく冷静だから。 アウシュヴィッツ収容所で、ユダヤ人の収容者たちの間に「回教徒」と呼ばれる人たちがいた。回教徒とは、収容者の中でもとりわけ疲...
現代イタリアを代表する思想家アガンベンの主著の1つ。ネグリは好みじゃないけど、アガンベンは好み。現象学的書き方を継承しているし、扇動的ではなく冷静だから。 アウシュヴィッツ収容所で、ユダヤ人の収容者たちの間に「回教徒」と呼ばれる人たちがいた。回教徒とは、収容者の中でもとりわけ疲弊しきって絶望している人、生きる意志をなくした人、話しかけても答えない、人間的なふるまいをしなくなった非人間の存在である。収容者たちは、彼らの様子が床に頭をこすりつけてお祈りする回教徒によく似ているから、「回教徒」と呼ぶようになったという(アウシュヴィッツ後のイスラエルとイスラム諸国の憎悪の歴史を知っている立場としては、大変示唆的な言葉)。 回教徒は言葉を持たない。回教徒になったら、ガス室に送られる。ガス室に送られない為に、収容者たちは、回教徒でないように、人間のように振舞うことを自らに強いた。ガス室に送られた人は全員死んでいるから、ガス室での殺戮がどのようなものであったか、誰も証言できない。回教徒とはどのような存在か、実際回教徒であった人はガス室に送られて亡くなっているし、生き残ったわずかな人も当時のことを語ろうとしないから、回教徒とは何か、証言不能になる。 アウシュヴィッツで見かけた回教徒について語る生存者は、回教徒の体験について代理で語っているようでいて、語れない。語ることができないけれど、語り継ごうとする。 話す内容を持っている者は話す言葉を持っておらず、話すことのできる者は、話す内容を持っていないというのは、何もアウシュヴィッツに限った特別なことではないと、アガンベンは証明していく。 最後に、アウシュヴィッツで回教徒だった人たちの証言が並べられる。回教徒本人による証言だ。回教徒は証言不可能だと書いてきたのに、これをのせていいんだろうかと思いながら読み始めると、書いてある内容がすさまじい。そして同時に、自分自身も人生の中で、回教徒だった瞬間があるんじゃないかと、思ったりした。自殺する人、肉体的にも精神的にも極度に疲弊している人、生きる意志を放棄した人は、みなアウシュヴィッツにおける回教徒の状態になる。
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