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情念論 岩波文庫
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情念論 岩波文庫

ルネ・デカルト(著者), 谷川多佳子(訳者)

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情念論 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2008/01/18
JAN 9784003361351

情念論

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商品レビュー

4.2

9件のお客様レビュー

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2026/07/08

崇敬とは何か 【崇敬とは、愛や献身とは異なり、善または悪をなしうる驚くべき大きな自由原因に対し、その対象から好意を得ようと努め何らかの不安を持って、その対象に服従しようとする、精神の傾向だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))】  「崇敬あるいは敬意とは、敬う対象を重視す...

崇敬とは何か 【崇敬とは、愛や献身とは異なり、善または悪をなしうる驚くべき大きな自由原因に対し、その対象から好意を得ようと努め何らかの不安を持って、その対象に服従しようとする、精神の傾向だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))】  「崇敬あるいは敬意とは、敬う対象を重視するだけでなく、その対象から好意を得ようと努めなんらかの不安をもってその対象に服従しようとする、精神の傾向だ。その結果、わたしたちが崇敬の念を抱くのは、善悪のいずれかをなすかはわからないが、わたしたちに善または悪をなしうると判断される、自由原因(人間や神)に対してだけである。というのも、善だけが期待される自由原因に対しては、たんなる崇敬よりも愛と献身の気持ちを持つのであり、悪だけが期待される自由原因に対しては、憎しみを抱くし、また、この善や悪の原因が自由だと判断されるのでなければ、わたしたちは、その好意を得ようと努めて、それに服従することもないから。たとえば、異教徒たちが、森や泉や山に対して崇敬の念をささげたとき、彼らが敬っていたのは、それら死せる物そのものではなくて、それらを司ると考えられていた神々なのであった。」 (ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第三部 一六二、pp.143-144、[谷川多佳子・2008]) (索引:崇敬)

Posted by ブクログ

2022/01/08

高邁とは何か 【自ら最善と判断することを実行する確固とした決意と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 「かくして、人間が正当になしうる限...

高邁とは何か 【自ら最善と判断することを実行する確固とした決意と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))】 「かくして、人間が正当になしうる限りの極点にまで自己を重視するようにさせる真の高邁とは、ただ次の二つにおいて成り立つ、とわたしは思う。一つは、上述の自由な意志決定のほかには真に自己に属しているものは何もないこと、しかもこの自由意志の善用・悪用のほかには正当な賞賛または非難の理由は何もないのを認識すること。もう一つは、みずから最善と判断するすべてを企て実行するために、自由意志を善く用いる、すなわち、意志をけっして捨てまい、という確固不変の決意を、自分自身のうちに感得すること。これは、完全に徳に従うことだ。」

Posted by ブクログ

2019/12/26

倫理学の書として読まれる事もあるらしいが、本人にはそのような意図はなかったように思う。最終的にはお姫様達のツッコミにより心身結合論を容認してしまったようにも思えるが、あくまでも意志と理性の哲学者として人生は全うできたのではないかと。やっぱカッコイイねデカルトは。

Posted by ブクログ

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