商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2007/12/20 |
JAN | 9784309408828 |
- 書籍
- 文庫
セバスチャン 新装版
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21歳の浅淵麻希子と佐久間背理の「主人と奴隷」の関係と、ギタリストの政本工也の三人を中心とする物語です。 巻末に収録されている著者と富岡幸一郎の対談では、本作が『ナチュラル・ウーマン』に接続するようなテーマをあつかうことを認めつつ、「無駄な迂回」だったと著者は振り返っています。...
21歳の浅淵麻希子と佐久間背理の「主人と奴隷」の関係と、ギタリストの政本工也の三人を中心とする物語です。 巻末に収録されている著者と富岡幸一郎の対談では、本作が『ナチュラル・ウーマン』に接続するようなテーマをあつかうことを認めつつ、「無駄な迂回」だったと著者は振り返っています。「性」という枠組みのなかで女性が女性という役割を割り振られてしまうことへの違和感が、両作品の根底にあるといってよいと思いますが、本作での「性」の解体は、たしかに『ナチュラル・ウーマン』とくらべると中途半端に終わってしまっているような印象もあります。 麻希子と背理の同性愛的な関係が、「「主人と奴隷」ごっこ」と表現されているように、その関係のなかで自己のアイデンティティが完全に規定されてしまうことを拒否する身振りは示されているものの、性的な関係のなかで自己が他者のありかたを規定してしまうという困難からどのようにして脱け出ることができるのかという問題に対する解答は示されていません。むしろマゾヒストである工也が、麻希子にベルトで自分を打ってほしいと要求し、そのことに麻希子が気持ち悪さを感じてしまうことが示すように、他者との相克を脱して「性」から自由になることの困難さが浮き彫りになってしまっているようにも感じました。
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大学の同級生だった背理と麻希子 二人は主人と奴隷という関係で結ばれてる そこに同級生でレズビアンの律子、不具の跛の工也が絡む話 松浦さんの話でよく描かれる関係性における従属者と支配者の関係 工也と麻希子は同じマゾヒスト だからこそ共感し惹き合う部分は多いが対峙すると反発してしま...
大学の同級生だった背理と麻希子 二人は主人と奴隷という関係で結ばれてる そこに同級生でレズビアンの律子、不具の跛の工也が絡む話 松浦さんの話でよく描かれる関係性における従属者と支配者の関係 工也と麻希子は同じマゾヒスト だからこそ共感し惹き合う部分は多いが対峙すると反発してしまう 背理は世界に馴染まず孤高のように超然としている そんな背理に支配されたい麻希子の欲望に応える背理 互いに性的欲求はないが精神的に欲してる そんな事が可能だろうか それが発育不全だと律子や工也に批判される麻希子 麻希子には人間が区別できず唯一できたのは圧倒的な力を与えてくれた背理だけだった 性も環境も思考も嗜好も麻希子には必要のないものだった あるのは自分に加わる力だけ 自分と他者との関係性をこれだけシンプルに捉えた概念を書く ここにこの小説の意味があると思った 誰かを認識するという概念は常に社会通念によって決められていた そこから逃れる事の難しさをいとも容易く行っていた麻希子 力を加え認識させた背理、律子、工也 彼らの強烈な個性に強く惹かれた だが、それぞれに消化しきれない痛々しい感情が発露しそのマイノリティ所以の選民意識が会話の節々に表れている部分が私には気になってしまった 驕り 未熟 背伸びのような感情 それを幼い自分との葛藤などと捉えられる書き方ではないが故に社会を人を俗だと侮蔑し自己陶酔してるようにみえた 松浦作品の中では珍しい読後感だった 後書きの松浦さんと富岡さんの対談がなければもっと印象は良くなかった
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
集合でも集団でもなく、描かれるべきは二者関係。わたしとあなた。 そしてまた、二者関係はかっきりと対の関係になっている。女と男、女と女、男と男、行為者と従属者、観られるものと観るもの。などなど。 二者関係が時に交わり、三角になったり四角になったりアメーバ状に溶け合ったりする。 小説作法として極めてロジカルに組み立てられながら、底流に衝き動かされているのは、マグマ。 これぞ小説の手本。 また、読み終わって再読して甚く驚いたのは、この中にセックスはない。 「ナチュラル・ウーマン」の挿れる挿れられる関係ではないのだ! という驚き。(また、語り手が「私」でないのにも、最後まで慣れず。) あらゆる意味で「ナチュラル・ウーマン」の前身である雛型でありながら、まったく別の作品でもある。 ・雪の車のボンネットに顔を埋めてデスマスク。 ・口紅を溶かしたジンジャーエールを、飲みなさい。 ・強姦ごっこ。マゾヒスト同士の、安心。 ・公園でアヒルの親子を猫が襲う。一瞬の殺戮。 ・唇に触れたと思ったら桜の花びらだった。 などなどなどなど。鮮烈で美しい場面の宝庫。
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