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ヴェルレーヌ詩集
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ヴェルレーヌ詩集

ヴェルレーヌ(著者), 堀口大學(訳者)

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ヴェルレーヌ詩集

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2007/07/01
JAN 9784102171011

ヴェルレーヌ詩集

¥693

商品レビュー

3.2

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2025/11/23

171P ポール・ヴェルレーヌ Verlaine,Paul-Marie 著者プロフィール (1844-1896)1844年、ドイツ国境にほど近いメスで生まれる。学生時代からボードレールに傾倒し、二十二歳で処女詩集『土星人の歌』を出版。メロディアスで大胆な韻律と、憂愁を帯びた象徴...

171P ポール・ヴェルレーヌ Verlaine,Paul-Marie 著者プロフィール (1844-1896)1844年、ドイツ国境にほど近いメスで生まれる。学生時代からボードレールに傾倒し、二十二歳で処女詩集『土星人の歌』を出版。メロディアスで大胆な韻律と、憂愁を帯びた象徴主義的作風で知られる。市庁舎勤務、妻マチルドとの結婚、パリ・コミューンへの参加を経験し、かろうじて市民生活と芸術活動を両立させていたが、アルチュール・ランボーとの出会いをきっかけに退廃の道へと突きすすむ。1873年、愛憎の果てにランボーを狙撃(そげき)し、入獄。この時期のアヴァンチュールは『言葉なき恋歌』(1874年)に昇華されている。評論集『呪(のろ)われた詩人たち』(1884年)でランボーを世に知らしめ、晩年は「デカダンの教祖」として若い芸術家たちから崇(あが)められた。1896年、パリのボロ家で悲惨な境遇のまま五十一歳で死去。 「ポール・ヴェルレーヌは、一八四四年三月、北仏メッス市に生まれた。軍人だった父はベルギー領リュクサンブールの旧家の出身、母はアラス市近傍で農業と醸造業を兼業する富裕な家族の出であったから、ヴェルレーヌ家は資産に恵まれ、あらゆる点で典型的な上流中産階級の家庭だった。ポルの生まれたとき、父は四十六歳、母は三十五歳だった。結婚後十三年目にやっとさずかった一人息子だったから、両親の溺愛はひととおりではなかった。ヴェルレーヌは若い頃から髪が薄かったが、それも彼がカゼをひくことを恐れた母が、いつまでも赤ん坊のように寝床で帽子をかぶらせていたからだという。そんなふうにめで育てられはしたが、この子は生まれつきお世辞にも愛らしい子供ではなかった。この一事は彼のなかの詩人の形成に決定的な意味をもった。みにくいアヒルの子は、心に金いろの弦を見つけ、やがて詩の天空に飛び立つ白鳥を夢みることになるだろう。十四歳のポルは、すでに文学書を耽読する少年だった。」 —『ヴェルレーヌ詩集』ポール・ヴェルレーヌ著 「十八歳のとき大学入学資格試験に合格すると、彼は前年結婚してデュジャルダン夫人となったエリザを訪れ、毎日を読書と散策についやして、二か月の休暇を北仏レクリューズ村のデュジャルダン家に過ごした。彼の親戚は北フランスやベルギーに多かったから、パリとともにこの地方の風景は、幼い頃から彼には親しいものであった。霧がかった、透明な、光のふるえにつつまれた、彼独特の心象風景の基調は。こうして彼の心のなかに熟していった。」 —『ヴェルレーヌ詩集』ポール・ヴェルレーヌ著 フランスの著名な詩人のヴェルレーヌとランボー。 男性同士だが、愛人関係だったたらしい。

Posted by ブクログ

2016/06/27

何と言ったらいいのだろうか…すごく幸薄いひとだと感じた。それは愛する妻やランボー、教え子に背を向けられ、貧困のうちに死んでいったからではない。そんなのとは関係なしに、このひとの書く詩からは、何かにすがらずには生きていけないと庇護を求めるような、そんな力弱さが滲み出ている。 たしか...

何と言ったらいいのだろうか…すごく幸薄いひとだと感じた。それは愛する妻やランボー、教え子に背を向けられ、貧困のうちに死んでいったからではない。そんなのとは関係なしに、このひとの書く詩からは、何かにすがらずには生きていけないと庇護を求めるような、そんな力弱さが滲み出ている。 たしかに彼の信仰心は格調高くすばらしいものかもしれない。しかし、それさえも、拠り所なく受け入れてほしいという主張がものすごく強くて、もう神様でなければ誰も受け入れられない、そんなところまで陥っているような気がする。一定の詩のリズムだけが、彼の不安を落ち着かせる。 高踏派の目指したあの象徴的で独特のリズムのよい詩のスタイルも、彼にとっては、自分の存在の拠り所としてしまっている。だからこそ、書けるのかもしれないが。 彼のこの承認欲求は一体なんなのだろうか。ランボーが愛想をつかすのもよくわかる。ランボーが他者を渇望するのは、それは自分ではない何者かというものが不思議でしょうがないからだ。ヴェルレーヌの欲求とは次元が違いすぎる。これほどまでに自分というものが無いひとと共にいるのは息が詰まる。信仰や詩のスタイルにすがっているだけで自分がなく、他人にすがることで自分を確認しようとする。強烈なこの不安は、強烈な自己愛の裏返しである。それに気づいていないからなお性質が悪い。どうして彼は、酒や他者などをだしにしないで、今一度、なぜこの自分は書いているのだろうか、そう問わなかったのか。 お前はわたしじゃあない。そんなの知らん。ランボーは出ていく。どうせ死ぬ死ぬ言っても、それも誰かがいなきゃできないんだから。どうぞお好きに。ランボーもたいがい意地悪ではあるが、ランボーにはどうしようもないんだから、こうするよりしょうがない。 ひとの巡りあわせにつくづく運がないと思う。そも、詩人として生きるのは、彼に無理があったのかもしれない。それでも書き続けたあたり、好きで好きで仕方なかったに違いない。もう少し、彼がものを考えられるひとであったなら、それを誰かが示せたのなら、彼の情熱はもっと花開いたのかもしれない。けれど、実際そうならなかったということは、結局彼の星はそういうものでしかなかったんだと思う。

Posted by ブクログ

2014/07/26

ドビュッシーの「月の光」が好きなので。全部は未だに読んでいないので時間があるとき、ふと読みたくなった時にまた読んでみます。

Posted by ブクログ