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清兵衛と瓢箪・網走まで
605円
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社/新潮社 |
| 発売年月日 | 2011/09/01 |
| JAN | 9784101030043 |
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清兵衛と瓢箪・網走まで
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清兵衛と瓢箪・網走まで
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商品レビュー
3.5
33件のお客様レビュー
「清兵衛と瓢箪」とい…
「清兵衛と瓢箪」というのは、他人から見ると何の価値も無い趣味に己の内的宇宙を見出すと言う意味で、わが国初のオタク小説だったのではないでしょうか。
文庫OFF
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
やっぱり天才なんだよなぁ。 志賀直哉は読んでいて飽きない。 小学生の時に文章の切れ味に感動した事を思い出して読んだことのない「網走まで」を読みました。私32歳。 網走までというタイトルから凍てつく寒さの寂しい作品なのかと思いきやものすごく温かくてほっこりするお話でした。 時代は明治?大正なのかなぁ。 園の露という赤子に食べさせたお菓子は飴玉なのか、たまごボーロなのか、とても気になるところだけど写真がない。ネットで調べたところによると、山口県に同じ名前の菓子の工場があったそうな。 写真がない…データがない。分かるところもある、分からないところもある。ロマン…!!これぞロマン…! 信玄袋は江戸時代からある巾着袋なんだってね。それも初めて知りました。32歳。 人間味あふれる描写が、まるで明治時代のその電車に私も乗っているかのように情景がありありと浮かぶのです。子供達の世話に翻弄される母の姿。人は100年経っても変わらないというところに安心するような、 この本を読んでる自分は部屋に1人だけど、生き生きと描写された登場人物が孤独を癒してくれるようなところが本当に好き。つい直哉と一緒になって子育てに追われる母親に同情してしまったり、登場人物たちとその場に一緒にいるような気分になるの。小説なのに3D超えてVR。これは本当に芸術。化け物。 一緒に居合わせた母子家庭親子への同情、好奇心、距離、品のある遠慮、少しの居心地悪さが全部ある。 だからリアル。美しいシーンを想像だけで書いた小説とは違う。本物の手触りがある。 小学生だった当時の私は衝撃的過ぎて、湯船に浸かりながら頭を洗う母に向かってしきりに志賀直哉の凄さを伝えたことをよく覚えている。幸いにも母もよく本を読む人で「志賀直哉と言えば」と話せる人で良かった。母は「暗夜行路」を読んだと言っていた気がする。それは内容が暗かったのか、母はあまり志賀直哉に感動していなかった気がしたけれど。 あの感動が再び…!ということで物凄い熱量で感想を書いているわけ。 これは志賀直哉が「東北線を1人で行って帰ってくる電車の中で出会った親子をモデルに勝手に書いた」と「志賀直哉全集第六巻」に載っているらしいことを阪大の学生の論文にたどり着いて分かった笑 (全集…読みたい…志賀直哉なら何でも読みたい…手を出そうか?文庫本まだ?) 私も志賀直哉に書いてもらえる幸運な女になりたかった。文章の中でこんなに生き生きと永遠に生き続けられるんだもの。 電車に乗ってる親子を見て、「よく両親の特徴をちゃんと足して2で割った子が出てくるな」と考えるシーンも良かった。 現代の人も考えた事あるよね?? 明治時代の人と感じる事が同じって、ロマンなの〜〜〜。 こういう楽しみ方ができるのは現代人だけの特権だから志賀直哉に書いてもらうことは出来なかったけど、ズレた時代に生まれてよかった!
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総ての力を尽し、力尽きて遂になると云うのが本統に絶対的な絶望でしょうが、私にはそれだけに力を尽す気力も第一にありません。寧ろ、それを以って申し訳とする絶望です。問題の解決とする絶望です。誇張です。宗教もない、道徳もない、社会もない、家庭もない。──今から思えば実に無意味な事です。...
総ての力を尽し、力尽きて遂になると云うのが本統に絶対的な絶望でしょうが、私にはそれだけに力を尽す気力も第一にありません。寧ろ、それを以って申し訳とする絶望です。問題の解決とする絶望です。誇張です。宗教もない、道徳もない、社会もない、家庭もない。──今から思えば実に無意味な事です。その当時でも一方にはそんな気分を笑うような心持も、どうかすると出ては来ますが、私はそれを無理におさえて、緊張した、多少人工的な苛々した気分で、生活していました。然しそういう気分も止む時なしに続ける事は到底出来ません。ややもすると錦魚の為に蚯蚓を探してやる時の気分にもなるのです。
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