商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 平凡社 |
| 発売年月日 | 1999/10/16 |
| JAN | 9784582763065 |
- 書籍
- 新書
日本の近代化と民衆思想
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日本の近代化と民衆思想
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商品レビュー
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「通俗道徳」というキーワードを理解するために手に取った一冊。 近世以降の日本、すなわち江戸末期から明治にかけて、日本社会がどのような思想に支えられたのか、本書では一揆や新興宗教運動を丹念にたどりながら炙り出していく。 欧州や中国など、世界では民衆から起こった革命が旧体制を転覆さ...
「通俗道徳」というキーワードを理解するために手に取った一冊。 近世以降の日本、すなわち江戸末期から明治にかけて、日本社会がどのような思想に支えられたのか、本書では一揆や新興宗教運動を丹念にたどりながら炙り出していく。 欧州や中国など、世界では民衆から起こった革命が旧体制を転覆させ、新時代を築いていった。が、日本だけは、この民衆からの革命はついにならずじまいだった。天賦人権という発想が日本社会では決して根付かず、市井の人々の力による全く新しい世の中の可能性を見ることがそもそもできなかったからだ。それは社会矛盾や世の不条理をひたすら内面化させ、努力によって報われるはず、という発想から抜け出せなかった日本民衆の限界による。 そもそも幕藩体制の下で、まったく新しい政体を想像するリソースも思想も完全に欠落していた江戸の社会が市民革命など起こせるはずもなかった。将軍様やお役人様が仁政を敷いてくださるのが本来のお上の在り方であって、今現状が苦しいのは、ひとえに悪代官のせい。だから悪代官さえ排除してしまえば、元のあるべき暮らしに戻せるはず、という発想からついに抜けることのできなかった江戸の民衆にとって、百姓一揆が真に革命的なものに昇華することはついぞなかった。せいぜい目の前の悪代官や悪徳商人を成敗してガス抜きを図ることで民衆を落ち着かせ、ひたすら現状を維持させていく。その程度で終わらざるを得なかった。それが近代日本に市民革命が成功しなかったエッセンスの一つである。 通俗道徳とは、貧困に陥った原因をすべて個人の努力不足に押し付ける態度をいう。江戸後期から始まった倫理規範で、勤勉や節約を旨とし、自己鍛錬を図るというものだ。それに失敗した結果が現実の貧乏を招いたのであって、すべてお前が悪い、と責任の所在を個人に内面化させる。本来なら、急速な資本主義の発展に伴い、弱い立場の人々からより搾取されてしまう社会の構造のほうを問題にしなければならないのに、その問題を挿げ替えて、弱者に押し付けるのがそのやり口だ。 現代においてもまさしくこの手口が蔓延している。人々を勝ち組と負け組に分断させ、上位1パーセントの上級国民と下位50パーセントの下級国民との乖離はもはや絶望的で目を覆わんばかり。成功者を自負する勝ち組たちは、単に新自由主義的資本主義の恩恵にあずかっているだけなのだが、その成果はすべて自分の努力の賜物だと豪語し、社会矛盾や資本の不条理が生み出す巨大な格差から免責されている。他方で負け組とされた人々は、自分の努力が足りなかったせいだとあまりにもナイーブに信じ込んで、現状の窮乏に甘んじる。というよりも、現実があまりにみじめで糊口をしのぐのに精一杯すぎて、一切の思考回路が働かない。それは端的に奴隷状態だ。そう、通俗道徳とは、人々に奴隷状態を内面化させるための装置といえよう。
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3分の1で力尽きた マルクス史観の明治期の一揆や新興宗教の分析 「通俗道徳(勤勉、倹約、謙譲、孝行等)」がもたらしたもの
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この文献に出会ったお陰で卒論が楽しくなった。本当にありがとう。卒論に関わらない部分も面白くて、たくさん楽しませてくれた。
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