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人間はどこまでグローバル化に耐えられるか 叢書・ウニベルシタス774
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人間はどこまでグローバル化に耐えられるか 叢書・ウニベルシタス774

リュディガーザフランスキー(著者), 山本尤(訳者)

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人間はどこまでグローバル化に耐えられるか 叢書・ウニベルシタス774

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 法政大学出版局/
発売年月日 2003/05/30
JAN 9784588007743

人間はどこまでグローバル化に耐えられるか

¥1,760

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2014/08/09
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われわれの頭の中、各人の頭の中に映っていなければ、この全体もない。個人はそれぞれが世界の登場する舞台であって、世界はそこで姿を現すことができるのである。世界は、個人が明晰であるか愚鈍であるかに従って、意味深いものか不毛なものである。(p.80) 昔、旅が一つの経験であったとき、帰って来たときは、人が変わっていた。しかっし今日では、つねに同じ人間として帰って来て、帰って来るとことも行ったところも同じものにしようとする。グローバルな移動は場所を画一化する。そして商品、資本、情報の流れが地球を駆け巡る結果は、同じものを作り出し、諸状況までも一様化する。(p.92) ここに空き地を切り開くことが意味するのは、歴史の雑踏の中に自分の歴史を発見し、それを断固として保持し、その糸を紡ぎ続けながらも、自分の歴史が多くの他の歴史の雑踏の中に呑み込まれていて、最後には消えてしまうだろうとの意識をもつことである。(p.118) 自分の生活をきちんと作り上げる力は以前は「教養(Bildung)」と呼ばれた。これとは意味が違うAusbildungという言葉がある。教養の方は個人の発展を目指すもので自己目的であるが、こちらは労働過程の資格を得るための職業教育である。後者はわれわれを外部のネットに繋ぐものであるのに対し、前者の教養は各人の自分自身にとってのものであるネットワークを広げるのである。(p.122) 自分の生を独自なものとして作り上げようとする者は、フロッピーディスクのように初期化されて、データを注入されるのをいつやめるか、その時点を知っておかなければならない。(p.125)

Posted by ブクログ

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