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第一阿房列車 新潮文庫
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第一阿房列車 新潮文庫

内田百閒(著者)

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第一阿房列車 新潮文庫

693

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社/
発売年月日 2003/04/24
JAN 9784101356334

第一阿房列車

¥693

商品レビュー

4.1

76件のお客様レビュー

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2010/05/28

こんな飄々と味わい深…

こんな飄々と味わい深い汽車旅の書は他に類を見ない。本当は旧仮名使いが良いのだけど、せっかく復刊したのだから、まあいいっか☆読めば汽笛一声、富士の日本晴れが見えます。

文庫OFF

2010/05/28

百閒先生が、汽車に乗…

百閒先生が、汽車に乗り、酒を飲み、人を食った話で煙に巻く。ただそれだけで、絵になるのですから凄いです。

文庫OFF

2024/06/16

偶々出会った一冊だが、或る種の「古典」であると思う。内田百閒(うちだひゃっけん)(1889-1971)の作品だ。「旅をする」という内容で、頁を繰りながら作中の人達と共に、やや遠い時代の列車に揺られて旅をしているような気分にもなれる。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ...

偶々出会った一冊だが、或る種の「古典」であると思う。内田百閒(うちだひゃっけん)(1889-1971)の作品だ。「旅をする」という内容で、頁を繰りながら作中の人達と共に、やや遠い時代の列車に揺られて旅をしているような気分にもなれる。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という、本作の冒頭部に出ているフレーズは少し知られているようだ。本当にこのフレーズのように、本作中の「私」または「先生」と呼ばれる人物、作者自身は格別の目的を持たずに列車で旅をして、そういう様子を綴っている。それが本作だ。実際の様子に些かの脚色も加わっていて、作者自身は「小説を綴る」というような様子に近い感覚で綴っているのかもしれない。現在の読者の目線では「往年の旅行記」で、「少し知られている作品」ということにもなる。 「用事がないけれど」ということで乗車する列車を作者は「阿房列車」(あほうれっしゃ)と名付けている。その題の下に紀行のような文章を綴り続け、何回にも亘って発表している。それを一冊に纏めたモノの“第1集”というようなことで、本書は『第一阿房列車』と名付けられたのであろう。 内田百閒は岡山出身であるという。郷里の岡山と活動していた東京との間は、列車で何度も往復していた筈だ。それを伺わせる記述も本書には在った。そして「用事がないけれど」と列車に乗って出掛けてみることを繰り返しているのは、列車で移動すること、そういう状態に身を置くことを何となく好んだのであろうと、本書を読んでいて感じられる。 本書の最初の方、大阪へ向かう篇を読み始め、<はと>という列車愛称やC62形蒸気機関車の名が登場し、「新しい制度の中学校の生徒」という表現が在った。これらから「1950(昭和25)年前後?」と推察した。後から調べると思ったとおりであった。 本書に在る紀行(大阪、静岡県方面、鹿児島、東北線や奥羽線の各地)は1950(昭和25)年の旅で、各篇はその翌年、翌々年に雑誌掲載され、『阿房列車』の題で本となった。(このシリーズが続いたので、後に「第一」というのが冠せられたのであろう。) 昭和10年代の末から昭和20年代の初めは、戦時の影響が色々と在って、鉄道に関しても「戦前の最盛期」の様子が色褪せてしまっていた。1950(昭和25)年頃になって来ると、「戦前の最盛期」の様子に近い状況になり、新しい車輌や新しい列車も登場するようになっている。本書の各篇で、そういう様子が感覚的に存外に強く伝わって興味深かった。 本作中の「私」または「先生」と呼ばれる人物(=内田百閒)は、「ヒマラヤ山系」というニックネーム、作中では「山系君」というように呼ばれる場合が多い、若い友人を伴って旅に出ている。「山系君」は鉄道職員で、訪ねた各地に知人が居る、または訪ねた場所の鉄道関係者に泊まる宿の手配を依頼するというようなこともしていた。 「用事がないけれど」と列車に乗って出掛けてみるとしているが、本当に用事らしい何かは無い。辿り着いた場所で積極的に何かを観るようなことをするのでもない。「山系君」の知人や鉄道関係者や、その他の人達と宿等で酒席を設ける場合が在る程度だ。本当に「用事がないけれど」と列車に乗ってみるという紀行なのだ。 本作が綴られたような頃、内田百閒は60歳代に差し掛かったような頃だった。戦時の困難、御自身も戦禍で家が焼けて色々と苦労して落ち着いたというような経過を辿って、街や交通の様子も復興の色彩が濃くなっている中に在った。そういう中で、「自由な心で自由に動き回る」ということを謳歌し、そういう気分を小説調な紀行文として綴ってみようとしたのではないかと思う。更に「飽く迄も自分の流儀」を貫き、他人が何を如何言おうが、殆ど斟酌しない辺りも痛快だ。そういう辺りが本作の興趣なのであろう。 そうした作品の興趣を愉しんだが、同時に「1950(昭和25)年頃の各地の列車」というような事情も解るのがかなり興味深かった。 なかなかに興味深い一冊に出会った。広く御薦めしたい。

Posted by ブクログ

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