商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 春秋社 |
発売年月日 | 2002/07/25 |
JAN | 9784393364208 |
- 書籍
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意味への意志
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意味への意志
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「実存的空虚」というタームは、私にとって深く心に突き刺さった言葉であった。毎日毎日、時間に追われて労働をし、くたびれた体を引きずって家に帰って、「今日は何をなし得たか」と問うとき、私の心が返してくるのはまさに「実存的空虚」である(もっとも、帰りの電車で、魂が抜けたように口をあんぐ...
「実存的空虚」というタームは、私にとって深く心に突き刺さった言葉であった。毎日毎日、時間に追われて労働をし、くたびれた体を引きずって家に帰って、「今日は何をなし得たか」と問うとき、私の心が返してくるのはまさに「実存的空虚」である(もっとも、帰りの電車で、魂が抜けたように口をあんぐり開けて夢を見ているときも、私自身があちらの世界に行ってしまっているという意味において、まさに実存的空虚なのだが笑)。この本を読みつつ、現代の社会において、このような空虚さを抱えて生きている人は少なくないのではないか、そんなことを考えた。 ではそのような空虚さを抱える人間が、移ろいやすい時代の中で移ろいやすい肉体や考えを持って生きることは、所詮虚しい営みにすぎず、大いなる過去というブラックホールに吸い取られて雲散霧消してしまうことを意味するのか。 この問いに対してフランクルはそうではないという。 「『われわれが墓場の中にもっていけるものは何もない』のは言うまでもありません。けれども、人生の全体、つまりわれわれが生き、死において生き終えたその人生の全体は、墓場の外に残るものであり、また墓場の外に残るものでもあるのではないでしょうか。そして人生の全体は、過ぎ去ってゆくにもかかわらず残るだけでなく、まさにそれが過去として在ること(過去存在)のうちに保存されて残るのでもないでしょうか」(p.72)。「このように人間には、過ぎ去った事物について、それがもはや現に存在しないことだけを見る傾向があります。そして人間は、それがどのような穀物倉に納められているかを見ないのです。そのとき、彼はこう言います、それらのものは移ろいやすいがゆえに、過ぎ去ってしまった、と。しかし、本当は彼はこう言うべきでしょう。それらのものは過ぎ去ってある、と。なぜなら《ひとたび》時間の中にもたらされたものは、《永久に》永遠化されているからです。」(p.80) この、人生の全体が、過去として在り、そして保存されて残るのだという視点は、私にとって大きな発見であり、多くの情報や多くのものがまるで濁流のごとくものすごい勢いで流れていく現代社会において、確かな恵みであると感じられた。 また、私は苦悩に出会ったときにどのような態度をとるかについてのフランクルの考え方についても眼を開かされた思いがした。私たちは苦悩し、ときに絶望の淵に至って人生を投げ出そうとすることがあるけれど、そうした究極の状況の中にあってさえ、つまり「破局に直面して初めて、それを最高の業績に転換するよう決断する人々がいる」し、わたしたちは「苦悩を業績に転換でき」る、というのだ。苦悩を業績にするというのは、すごい言い方をするなと思ったが、同時にもう少しこの言葉の意味(特にここにおける「業績」の意味)を探ってみたいと思った。 この本は、確かに簡単な本とはいえない。 easyな人生のサプリメントではない。 私という実存の中心に投げ込まれ、私が在ることの意味を否応なく問われる、人間愛に満ちた劇薬である。 自己実現と自己超越の話や、相在および実存の問題であったり、考えたいテーマや言葉にしたいテーマが他にもいくつかあるが、何度か読んで咀嚼してからでも遅くはあるまい。フランクルの遺したメッセージを反芻しながら、ゆっくり言葉にしていきたいと思っている。
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これは決して内容が難しいのではなく、翻訳がよろしくないのだと思う。そもそも、個人的にはあまり読み応えを感じられない。かの名著『夜と霧』の作者・フランクルではあるけれども、だからといって全体的には期待するほど大した内容ではない。ただ数ヶ所、線を引きたくなる箇所が散在する。 ୨୧┈...
これは決して内容が難しいのではなく、翻訳がよろしくないのだと思う。そもそも、個人的にはあまり読み応えを感じられない。かの名著『夜と霧』の作者・フランクルではあるけれども、だからといって全体的には期待するほど大した内容ではない。ただ数ヶ所、線を引きたくなる箇所が散在する。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 「意味を探し求める人間」が意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのときその人間は幸福になる。しかし、彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力をももった者になるのである。というのは、苦悩は、それ自体としては人間に絶望を生じさせるものではなく、むしろ、意味がないと思われる苦悩だけが 人間を絶望に至らしめるからである。 …つまり、絶望とは意味なき苦悩である、ということである。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 重要なのは、別れを告げねばならないかどうかということではない。われわれは誰しも 遅かれ早かれ必ず死ぬのであるから。むしろ、非常に重要なことは、別れを告げねばならない何ものかが存在するかどうか、われわれが世界に残していくことのできる何ものかが存在するかどうか、自らの寿命が全うされるその日に意味と自分自身とを充足させる何ものかが存在するかどうか、ということである…
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めちゃむずくて、書いてあることは半分以上わかってないけど、今の自分とは波長が合っていたのか最後まで読むことができた。 解釈が合っているかはわからないけど、私の中にすうっと入ってきたことは 人間は心と体だけじゃなくて、精神にもわけられる。その3つでできている。心は感情に流されるし...
めちゃむずくて、書いてあることは半分以上わかってないけど、今の自分とは波長が合っていたのか最後まで読むことができた。 解釈が合っているかはわからないけど、私の中にすうっと入ってきたことは 人間は心と体だけじゃなくて、精神にもわけられる。その3つでできている。心は感情に流されるし、体も自分の自由にはならないけど、いつどんなときでも精神だけは自分の自由にすることができる。 その精神で自由に向かっていく、自分が意味をつくっていく。そしてその向かっていくことには責任が伴う。 ということ。 すべてに負けないで自分の精神の自由を信じて「よい」と思った方に歩き続けることは、かなりタフネスが必要なことだと思うけど、できないことじゃないということ。 アウシュビッツを生き抜いた人の言うことだから、本当にそうなんだな…と思う。
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