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ウィッチフォード毒殺事件 晶文社ミステリ
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ウィッチフォード毒殺事件 晶文社ミステリ

アントニー・バークリー(著者), 藤村裕美(訳者)

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ウィッチフォード毒殺事件 晶文社ミステリ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 晶文社
発売年月日 2002/09/30
JAN 9784794927330

ウィッチフォード毒殺事件

¥2,200

商品レビュー

3.8

9件のお客様レビュー

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2024/11/05

シェリンガムシリーズの2作目だけど、私の中では問題作なので最後になってしまった。 というのも、以前に少し読んだけど途中でやめてしまったので、シリーズ最後に再チャレンジ(-_-;) 若い女の子が少々生意気だからと「お仕置き」と称して理解に苦しむひどいことをしたり、「女はバカだ」...

シェリンガムシリーズの2作目だけど、私の中では問題作なので最後になってしまった。 というのも、以前に少し読んだけど途中でやめてしまったので、シリーズ最後に再チャレンジ(-_-;) 若い女の子が少々生意気だからと「お仕置き」と称して理解に苦しむひどいことをしたり、「女はバカだ」という偏った女の講義を話し出すシェリンガム。 これこそ本当にどうした!?シェリンガム。 作品ごとにシェリンガムの性格が違うので情緒不安定過ぎて心配になる。。。 そして「あの人」が普通にまた出てくることも気になってしまう。 バークリーはサディスティックな感じが多いよなとは他の作品でも思ってた。 でもこの作品の「お仕置き」はいくら推しでもさすがに受け流せない、全く理解できない引くレベル(@_@;) この部分が事件と関係してるならまだわかるけど、一切関係ないから困る。 軽く口答えしただけで「またお仕置きしてやろうか!」など、意味がわからなすぎてついていけない。 「女の講義」については、本心ではなく天邪鬼のひねくれバークリーの悪い所が出たと思いたい(-_-メ) 肝心の推理の方は、名探偵の解答は絶対正解ではないということを皮肉って、「事実には無限の解釈の可能性がある」と、色々な仮説を組み立てる。 この発想が『毒入りチョコレート事件』につながったように思う。 状況証拠にこだわらずに、人間の性格や心理から推理していく方法はやっぱり好きだ。 皮肉るのは名探偵だけにして、女性にはもう少し素直に接して欲しいな(+o+) バークリー推しとしては、3作目以降はこんなに偏ったシェリンガムじゃなくてもっと面白いですと伝えたい!! そんなシェリンガムシリーズもこれで全部読み終わってしまった。寂しいなぁ(;_;)

Posted by ブクログ

2024/10/24

ロジャー・シェリンガムもの2作目。 ロンドン近郊のウィッチフォードで、フランス人の若妻が実業家の夫を毒殺した容疑で告発されるという事件が発生。 状況証拠が圧倒的ということで、ほぼ有罪と見做されていましたが、この事件に興味を持ったロジャーは、“証拠が揃いすぎている”点に疑問を抱き...

ロジャー・シェリンガムもの2作目。 ロンドン近郊のウィッチフォードで、フランス人の若妻が実業家の夫を毒殺した容疑で告発されるという事件が発生。 状況証拠が圧倒的ということで、ほぼ有罪と見做されていましたが、この事件に興味を持ったロジャーは、“証拠が揃いすぎている”点に疑問を抱き、友人・アレックとアレックの従姉妹の娘・シーラと共に、真相解明に乗り出しますが・・・。 前作『レイトン・コートの謎』の結末があんな感じだったのに、アレック続投するんですね・・バーバラとの新婚生活も幸せそうだし、『レイトン・コート』の件には触れられているものの、“オチ”の部分だけ無かったことになっているんかな?と思いました。 さて、ウィッチフォードで起きた毒殺疑惑について、ロジャー&アレックに加えて、おてんば娘・シーラの三人組の探偵団で調査に臨むのですが、なんせ弁護側から頼まれてもいないのに勝手に捜査するので、勿論現場検証もできず容疑者本人とも接触できない為、事件関係者達にロジャーお得意の口八丁で聞き込みをして、その証言を元に推理をしていく展開です。 で、ロジャーの推理はお約束のトライ&エラーで、“○○(仮説)やないかい!”→“○○(仮説)と違うか~・・”てな感じで(?)ミルクボーイのネタのように(全然ちゃうかw)、“あーでもない、こーでもない”と検証していくのですが、とにかく三人の丁々発止の掛け合いが賑やかで楽しいです。 ただ、アレックがとんだマッチョ&マチズモ野郎で、“お仕置き”と称してシーラに格闘技みたいなのをかける場面は、これってどうなん?って閉口しちゃいました。 ロジャーの女性“蔑視”観(後でフォロー的な発言をしてはいましたが)も含めて、今なら確実に炎上案件だけど?と、その辺にプリプリしつつも、ズカズカと関係者の心の内を掘り出していくロジャーがどこに行きつくのか、目が離せずに引き込まれて読みました。 で、真相はあれだけ引っ掻き回しておいてこのオチか・・と、ちょっと拍子抜けではあったのですが、本書の事件は実際にあった「フローレンス・メイブリック事件」がベースとなっているとの事で、こちらは興味深いものがありますね。 てなわけで、今回も「ロジャートーーク!」もとい推理を楽しませて頂きました。 今後も“迷探偵ロジャー”を追っていきたい所存です~。

Posted by ブクログ

2024/10/06

 探偵「ロジャー・シェリンガム」シリーズ、第二弾(1926年)。  解説によると、本書で発生した事件は、1889年にリヴァプールで発生した「フローレンス・メイブリック」事件をほぼ忠実に再現したものだそうで、その19世紀の殺人事件の中でも一、二を争う有名事件を題材にしたのはアント...

 探偵「ロジャー・シェリンガム」シリーズ、第二弾(1926年)。  解説によると、本書で発生した事件は、1889年にリヴァプールで発生した「フローレンス・メイブリック」事件をほぼ忠実に再現したものだそうで、その19世紀の殺人事件の中でも一、二を争う有名事件を題材にしたのはアントニィ・バークリーにとって、心理的探偵小説と意図したこととも直結した現実的視点に基づきながら、『事実は小説よりも奇なり』を彼なりに表したものではないかと思われた、それは後に発表された五作目の『毒入りチョコレート事件』の礎となりそうな要素がありながら、本書だけが持つ意外性や衝撃性も兼ね備えており、物語の好みはあるのかもしれないが、とにもかくにも邦訳して下さったことに感謝したいと思う。  そんな心理的要素を重視した物語は、バークリーのイメージとして元々あった、当時の超然とした探偵による一つの答えのみを絶対的正解とすることや、物的証拠のみの犯人指摘に対する疑問などが特徴的ではあるのだけれど、あまりそこだけに固執しなくとも実は物語自体の楽しさが思いの外、印象に残るものがあって、その最大の要因はなんといっても、自称アマチュア探偵のシェリンガムである。  今回も前作同様に、友人の「アレック・グリアスン」を引き連れて、夫殺しの容疑者となった妻の無実を証明するため(といっても直接的には関われないところがネック)、『やる以上は全力を尽くせ』を信条に挑むものの、その始まりは「何かひらめかないもんかなあ」という、探偵の言葉としては割とレアな発言を皮切りに、アレックには「頼むから、レイトン・コートのときよりは(前回の事件)もう少し、ぼくを力づけてくれよな」と、やや頼りない印象は、本来であれば好感を持たせるのだが、彼の場合はこう言いながらも、実は厚顔な一面もあって、更にペチャクチャとよく喋るものだから、仕舞いには椅子のひじ掛けに馬乗りになって喋り続ける彼の背中を、アレックが思い切り押し倒し、探偵が座席に転げ落ちる場面が見られるわけであり、そのどこかイラッとさせる部分も含めて人間らしさを感じることには、時に探偵ということを忘れさせてくれそうな親しみやすさが確かにあった。  ただ、今回は二人を手伝う跳ねっ返り娘、「シーラ」が加わることで、アマチュア探偵団としての面白さを増しながら、シェリンガム自身の捜査方法は前作と比べると格段に要領よくなっていて、更には彼の長所の一つである考察力の素晴らしさも発揮されることで、事件を多角的に見る面白さも感じられた。  毒殺事件については『いわゆる“純粋な”犯罪者でなければ、やり遂げられない』もので、『殺人が計画的なものである場合には、じっくり考え抜かれた冷酷な犯罪』であることから、『きまって性格がすこぶる重要な問題になってくる』と考える一方で、『根底にあるのは、事実上、誰の心の奥底にも潜む、例の奇妙な、残虐な性癖なんじゃないだろうか』に表れた、時に無実の人を有罪に仕立て上げてしまう集団心理の怖さも唱えており、他にも「やろうと思えば、ひと晩じゅうだって新しい仮説を並べられる」と、ここには書き切れない程の考察を披露するシェリンガムではあったが、それでも物語の展開がやや盛り上がりに欠けるのは、外部者であるため基本的には行動自体に目新しさがないことと、現実的な事件としての忠実さが物語としての斬新さを犠牲にしているからだと、私は感じていた。  しかし、そうした懸念は、終盤に何度も訪れる怒濤の展開で忽ち一掃され、なるほど、こうした転換法もあるのだなと驚いた以上に感嘆したのは、バークリー自身の作品への姿勢にすら唯一無二の答えは無いのかもしれないということを、本人がよく理解していることであり、それを託されたシェリンガムの姿は、時にとても無様で滑稽にも思われるが、それはあくまでも人間の持つ複雑な一面にこそ、人間を愛しく思う要素があることを表しているのだと思うと共に、複雑な人間のすることに、ただ一つの答えなんてものは存在しないことを、まるでバークリー自身が道化師となって訴えかけているようにも思われたことには、何とも彼らしい皮肉な発想だと感じられて、だからこそ、そこには却って真摯な思いが秘められていたのではないかと、私には思われてならないのである。

Posted by ブクログ

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