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ソフィーの世界(下) 哲学者からの不思議な手紙
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ソフィーの世界(下) 哲学者からの不思議な手紙

ヨースタイン・ゴルデル(著者), 池田香代子(訳者), 須田朗

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ソフィーの世界(下) 哲学者からの不思議な手紙

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本放送出版協会/
発売年月日 1997/10/23
JAN 9784140803325

ソフィーの世界(下)

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商品レビュー

3.8

14件のお客様レビュー

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2017/11/22
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※このレビューにはネタバレを含みます

下巻からいきなり語り手が変わる。ソフィーとアルベルトはヒルデの誕生日のためにヒルデの父が作り上げたただのアトラクションだった…。自分たちが誰かの創作物にすぎないと知ったソフィーたちは、その世界からの脱出を計画する。 ヒルデがソフィーたちに気持ちを寄せるのを見て、やさしい女の子でよかったと思った。でも、あの終わり方はソフィーがかわいそうすぎる…もっと幸せになれなかったものなのか。 そして哲学ガーデンパーティでいきなり痴女になるヨールンに引いた。

Posted by ブクログ

2017/01/07

下巻が若干ポストモダンしていて(今までの話は物語内物語だったのか!?みたいな展開)ちょっと唸る俺ちゃんw 物語を読みたいのか、それとも哲学書として読みたいのかというところでどっちつかずな己が葛藤して、どうしても集中力を欠く。 結論として、俺ちゃんはマルチタスクがてんでダメ。 本...

下巻が若干ポストモダンしていて(今までの話は物語内物語だったのか!?みたいな展開)ちょっと唸る俺ちゃんw 物語を読みたいのか、それとも哲学書として読みたいのかというところでどっちつかずな己が葛藤して、どうしても集中力を欠く。 結論として、俺ちゃんはマルチタスクがてんでダメ。 本は悪くないんだ、きっと。

Posted by ブクログ

2013/03/13

■上巻によって、バークリを用いて、ソフィーの世界は全ては少佐と言う神によって物語られているに過ぎない、といった形でまとめらていたのだが、下巻では少佐=神ということを前提にして物語が綴られていく。本書では直接増えられていなかったが、「超越」といった概念が本書の終章では与えられるべき...

■上巻によって、バークリを用いて、ソフィーの世界は全ては少佐と言う神によって物語られているに過ぎない、といった形でまとめらていたのだが、下巻では少佐=神ということを前提にして物語が綴られていく。本書では直接増えられていなかったが、「超越」といった概念が本書の終章では与えられるべきではないか? →ソフィーとアルベルトは、ソフィーの世界=本=少佐によってつくられた世界を超越した。サルトル的に言うならば、自分を認識することが対自、ありのままでいることが即自。ソフィーの世界、という書籍の中で与えられた登場人物としてそのことを特に意識せずに終わっている人物たちは即自として彼らの役割を終え、ソフィーとアルベルトは自らを意識し、ついには自らの殻を打ち破り、本の外部の世界へと現れた。しかし、ここで論理的に矛盾が生じる。彼らの言葉は少佐によって書かれているのに、少佐の裏をかくと言うことがありえるわけがないのだ。少佐がアルベルトに、「裏をかく」と言わせているのに、少佐はその裏をかくという内容にまるで疑問を持っていないこと自体が不可思議なのである。あるいは、その裏をかくという内容を把握していないことが。 ■恐らく、著者=ヨースタインは、ここでフロイトの無意識を用いるのだろう。ソフィーと、アルベルトは少佐の無意識になったのである。あるいは彼らは少佐の無意識から救い上げられ意識化=顕在化された存在であるが、それゆえに彼らはもともとは少佐の無意識であった。だから少佐の無意識をつくことは可能であった、とでも論を展開させたいのだろうか?もっと言ってしまえば、ソフィーやアルベルトは少佐の無意識をある種偶像化させたものでしかなく、全ては少佐が広い意味で言えば少佐自身が計画したことであった、しかし、意識的にそのことを少佐は自覚していない、とでも? →だとすれば、ソフィーとアルベルトが少佐を離れて存在していることがおかしい。無意識が意識からも無意識からも離れて自立的に行動するとはそれこそ意味不明である、あるいはそれが可能だとでも? ■著者のしたかったことは、物語を作っている少佐よりもなお上位にある存在に実は少佐は気づいていない。だが、それなら、君たち読者よりもなお上位にいる人物に実は君たちは気づいていないのかもしれない。だが、君たちが君たちよりも上位の存在に物語られているにすぎないとしても、全ては始まりが一になる、というのが最後のビッグバンで語りたいことなのだろうか? →哲学とミステリーを混ぜる、というのは非常に面白い試みではあるのだが、この仕掛け自体はミステリー的には禁じ手である。とはいえ、一旦空想として思い浮かべた事象は意思を以てどこかで活動している、という考えは奇抜ではないけれど面白くはある。アイデアは面白いのだけれど、全ては少佐がつくった世界でしかなく少佐が一人遊びをしているに過ぎない、というあたりがどうにも途中からこの書籍を白けさせる気がする。難しいね。

Posted by ブクログ

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