
- 新品
- 書籍
- 文庫
- 1225-02-03
時代の風音 朝日文芸文庫

748円
獲得ポイント6P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 朝日新聞社/ |
発売年月日 | 1997/03/01 |
JAN | 9784022641397 |
- 書籍
- 文庫
時代の風音
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
時代の風音
¥748
在庫なし
商品レビュー
3.5
24件のお客様レビュー
20世紀とはどんな世…
20世紀とはどんな世紀だったのか。また、国家、宗教、文化などを通して知ることができる。
文庫OFF
歴史の潮流の中から「…
歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。
文庫OFF
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
宮崎 自分自身がものを考えるようになったときに、左翼になろうかと心情的に思いました。実際は『資本論』も読めなかった人間ですが、いまでもちょっとそうです。 伝統的なものすべてが戦争に日本人を運び込んだ犯人であって、それを、「古い上着よさようなら」と脱ぐしかないんだと、だから礼儀作法も敬語もあえて覚えない。そうするしか、残念ながら自分を確認するよりどころが見つからなかったんです。 その結果、自分の子供たちを育てるとき、本当に行き当たりばったりにやってきただけ、というじつに寒々とした思いがあります。 堀田 戦時中に左翼だった人で、満鉄にいたり大使館を手伝っていたりした人は、戦後は荒れましたね。酔っぱらって、まあ、ほんとに荒れました。 司馬 〝びよい〟というのは大阪弁で〝堅牢でない〟という意味ですけど、日本の左翼はびよいですね。機械でいえばすぐ壊れるという感じの言葉です。 そのわけは、日本の歴史をリアリスティックにみてこなかったからです。たとえば〝天皇制〟というだけで、日本がすべてわかったような気になっていました。 ほかの人間を何万人も農奴にしていたというロシアでは、ツァーの首を切ればそれでロシア革命は成立します。その革命の成立を、そのまま日本史に対しても同じ思い込みで解釈していた。天皇制という実態のない言葉をつくって、それをロシアにおけるツァーのように敵にしてかかった。 堀田 中国で『白毛女』という芝居を見せられて戻ってきてから、中村光夫に「あんなものターザンじゃないか」と言ったら、中村光夫、怒ったな。あの人は昔、左翼で、革命中国へ行ってひじょうに興奮しましたね。青年時代の左翼がいっぺんに戻ってきてしまった。 司馬 新中国成立の初期に訪中した旧左翼の人たちは、自分自身の観念の中で喜んでいました。それが、他のふつうの日本人から見ると思想として惨めな姿でした。惨めというのは、生き物である中国を見ずに、自分の観念の中で切り紙細工をしていたという意味です。 宮崎 観念的にしかものを見られない弱点は、ほんとうにありますね。ピンポン外交のときに、国挙げてこんにゃくになっちゃんですね。実に手玉に取りやすい民族です(笑)。 堀田 どこかで講演したときに、日本人はいましきりに国際化、国際化と言いますけども、みなさんは国際化ということを日本人がどこかへ出て行くことのように思っていらっしゃるかもしれませんが、国際化ってものは、日本の中の国際化であって……。 司馬 そうです。いちばんだいじなのはそれですね。 堀田 近所在住の半分が外国人になるとしたら、そういう国際化が実現したとしたらどう思いますかって言ったんです。そうしたら、聞いてる人みんなシーンとなっちゃった。 司馬 そうです。ほんとうに英語をしゃべってどっかの国で仲良くパーティをやって帰ってくるのが国際化じゃありません。 堀田 奈良朝時代、奈良の町は国際化されていて、半分くらいは外国人じゃないですか。 司馬 そうかもしれませんね。奈良朝の人たちは外国人、内外国人、という意識がはっきりしなかったから、明日香は漢人(あやひと)というか、朝鮮に存在した古い楽浪郡の中国文化をもっていた人たち――そういう知識人の集落でした。ですから、恐らく、「明日香風」という言葉もあったぐらいですから――万葉の「采女の袖吹きかへす明日香風」――ナウイところだったのではないでしょうか。 むろん漢、唐の都・長安だって、人口百万人のうち何パーセントかはイラン人だった。そうでないと長安の輝きはないんです。世界有数の国際都市だったから。その後『唐詩選』の詩人たちも長安を礼賛した。結局そのときだけは中国は外に開かれていましたが、その後、宋の時代にはもう内国、内国、内国……で今日に至っている。長安の栄光というのは、国際化のものでした。 『長安の春』の著者の石田幹之助さんが、漢詩を綿密にピンセットでつまみあげるようにして発見するのですけれど、当時、長安のバーにはやっぱりカウンターがあるんですな。イラン系の女の人がバーの主人です。ママさんです。それでカウンターの後ろには酒棚があって、中国酒でなく葡萄酒が出なければ長安のバーではないわけ。それほど異国的な文化、風俗が流行してた。 宮崎 いま日本のバーでやっていることは、昔、中国でやってたわけですね(笑)。
Posted by