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ハイデガーの思想 岩波新書268
968円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 1993/02/22 |
JAN | 9784004302681 |
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ハイデガーの思想
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ハイデガーの思想
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商品レビュー
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25件のお客様レビュー
ハイデガーの「存在」の解明に焦点を当てた解説書。存在とは何かと聞かれたときに「存在とは~である」と答えるのは、「である」という言葉を使用しているという点で自己撞着に陥っているという難しさがある。ハイデガーの唯一の著作に当たる「存在と時間」にもある通り、ハイデガーはそれを時間に求め...
ハイデガーの「存在」の解明に焦点を当てた解説書。存在とは何かと聞かれたときに「存在とは~である」と答えるのは、「である」という言葉を使用しているという点で自己撞着に陥っているという難しさがある。ハイデガーの唯一の著作に当たる「存在と時間」にもある通り、ハイデガーはそれを時間に求めた。ハイデガーは存在は現存在と呼ばれる、過去と未来の概念を持つ者によって了解されることで生じると考察する。これはハイデガー以前の、「存在は制作されることにより生じる」という視点を解体することで生じる。ハイデガー以前の哲学の考え方では、神の存在を仮定しないと人間の存在を規定できないという欠点があるが、ハイデガーのそれはその部分を克服している。 全体的な感想としては、幅広い哲学的教養がないと全体の理解は難しいと感じた。浅学故、中後半の、各哲学者をどのようにハイデガーがとらえたかを記載した部分は正直理解ができなかった。
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ハイデガー関連の書籍初挑戦。にしては、木田元著作のものを選ぶのは無謀だったかな、と読み終えた後の理解度を鑑みて少し後悔している自分がいる。 そうはいっても、諸学者向けの網羅的な作品としてではなく、ハイデガーの「存在の思索」に思い切って焦点を絞った作品として自分の心づもりを変換すれば大変興味深い読書体験ということができる。本書の内容を要約するには力及ばず、なので付箋をした過去の自分を信じ引用箇所にコメントするに届め、個人的なおさらいとさせていただこう。 <存在了解>という用語の説明。<存在企投>という用語に言い換えているが、観念的な話でどうもふわふわとして腑に落ちない難解さがあるな。 P83:<存在企投>とは、現存在がいわば<存在> という視点を投射し、そこに身を置くことだと考えればよい。つまり、<存在>とは現存在によって投射され設定される一つの視点のようなものであり、現存在がみずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが<存在者>として見えてくる、ということである。 ハイデガー流の「現象学」の定義。私はもちろん、現象学に対しても学びが足りないので、へーそうゆうものかという程度の感想で不甲斐ない。 P99:<存在>というものがけっして存在者に属する何かではなく、人間において正起するある働きだということを原理的に解き明かし、その働きを体系的に解明することが現象学の使命だと言っているのである。 アリストテレスとプラトンの存在概念を対比させながら、その二つの起源的な根源的存在を解き明かさねばならないというののがハイデガーの主張だと理解。プラトン・アリストテレス解釈のまとめとしては以下の引用か。 P124:古代・中世・近代にわたる伝統的存在論のうわべの多様性が解体され、そこにはプラトン/アリストテレスのもので形成された<存在>概念がさまざまに歪曲されながらも一貫して受け継がれていること、そしてそれが<存在=現前性=被制作性>という存在概念であることがみごとに明らかにされる。 前期の<存在了解>から後期の<存在の生起>への「思索の転回」。「存在」というものが現存在(人間)が主体か、自然が主体かの重心の変化かなと理解。 P143:この転回を、<現存在が存在を規定する>と考える立場から<存在が現存在を規定する>と考える立場への転回ということができるのかもしれない。 ハイデガーによるプラトンの存在論への評価。繰り返しになるが、これ以降本書内でアリストテレスと対比されている。 P164-165:つまり、存在を自然として捉える立場と、存在をイデアとして捉える立場は、<存在する>ということを<発言し現れ出る>ことと見る点では違いはないのだが、ただその視線を向ける先が違うのである。前者はあくまで現れ出て存続しつつあるその動きに目を向けるのに対し、後者はすでに現れ出たものが外からをそれを注視する働きに対しおのれを提示するその姿だけに目を向け、これを超自然的存在に高めてしまう。こうして、後者の視線のもとでは、。その目撃される存在の外観によって示されるその「何であるか」、つまり<本質存在>が表立ってきて、それに対して、それから取り残されたものとして<事実存在>が区別される。 プラトン/アリストテレスの存在観の対比を端的に述べている個所。ここから始原の単純な存在=自然としての存在が押しやられ、忘却されてしまう「故郷喪失」という時代が今なのだとうまとめかな。 P173:つまり<被制作性>と同義である。ただ、その際プラトンは、その作品がいかなる<外観>を提示し、<それが何であるか>にもっぱら目をとめ、つまりはその制作を導いてきた<イデア>の現前性に優越的な存在を認めたのに対し、アリストテレスは、あくまで個物が作品として眼前に現れ出ているその現前性、<それがある>としての現前性、<現実態>としての現前性を第一義的なものと見るのである。 後の章で技術・芸術論に踏み込んでいるが、ここはより詳細な説明を求むかな。著者本人も概略だけを説明するに留めるてきなことで、簡便なものにまとめているので。
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ハイデガーの存在論や哲学観の全体像がよくわかる。カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの関係性や影響も時系列ごとに綺麗に整理されていて読みやすい。
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