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人はいかに学ぶか 日常的認知の世界 中公新書907
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論社 |
発売年月日 | 1989/01/25 |
JAN | 9784121009074 |
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人はいかに学ぶか
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商品レビュー
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渡辺道治先生の紹介を聞いて手に取った。 人は怠け者ではなく、能動的で有能な学び手であるという立場に立った上で、論が展開されている。 「子どもを信じる」という、まさにこの一言に尽きる。教師の仕事は「教える」よりも「支援する」という側面を大切にすべきである。 私の好きな「AさせたいならBといえ」思考とも通ずるところがあり、環境を整えたり学習形態を工夫したりして、子どもたちが「やりたい」「知りたい」と思えるような環境を作り出すことが大切。 これは幼児教育でも大切にされている部分である。 エキスパートは類推力(転化力)が高い、親への教育は効果絶大、余裕があってこそ学びに能動的になれる(思考の整理学と通ずる)といった内容も印象的であったが、今現在の私に刺さったのが次の文である。 "教育行政が果たすべき最も重要な仕事は、教師がこのように能動的で有能な学び手でありつづけることを保証することである。教育の活動をさまざまな形で管理して、彼らを受動的で無能な存在におとしめることであってはならない。"
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■■評価■■ ★★★☆☆ ■■概要・感想■■ ○研究論文を引用して、学びに関する説を客観的に評価している本。比較的好印象。 ○ただs,読み物としてすごい面白如何はなく、論文を読んでいる感覚があった。 ○本書は1989年に出版された本である。学校許育についての1989年時点の主張...
■■評価■■ ★★★☆☆ ■■概要・感想■■ ○研究論文を引用して、学びに関する説を客観的に評価している本。比較的好印象。 ○ただs,読み物としてすごい面白如何はなく、論文を読んでいる感覚があった。 ○本書は1989年に出版された本である。学校許育についての1989年時点の主張と、2023年での主張の方向性は、ほぼ一致する。 ■■心に残ったこと■■ ●「人間(子ども)は、怠けもの、かつ、無能であるので、学習にはよい教え手と、彼らによる信賞必罰(つまりテスト)が必要である」という概念は、非常に限定的な環境(人でない動物実験)で結果が取られたものなので、すべてのことがこれに当てはまるわけではない。 ○必要は発明の母。必要だから学ぶし、そこにはわからないことを確かめたい・明らかにしたいという、好奇心・探究心やハングリー精神のようなものがあるんだと思う。
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一文まとめ 人は決して、怠け者でも学習に対して消極的でもなく、本来は自発的に学ぶ優れた学習脳力を有しており、教育では受動的に教え込まれるのではなく、いかにその学習能力を引き出すかがとても大切。 以下感想 「人はいかに学ぶのか」 人は常に学習する生き物なのに、勉強になるとどうして主体性が失われるのだろう。この素朴な疑問に対してわかりやすく丁寧に書かれている。 まず、勉強と日常の違いは必要感・動機付けや知的好奇心を持ってそのことに取り組んでいるかだ。 このことから、教師などの教える立場にある人の大切な視点は「いかに効率良く教えるか」という教え手中心の視点から「いかに学び手の興味関心をひくなどをして、知的好奇心を刺激するか」という学び手中心の視点へと変わらなければいけないと感じた。 ただ、日常の学びのみでは、理解が浅かったり、不十分になったり、本当の面白さに気づけなかったりすることもあるので、学び手自身の知的好奇心を刺激し、主体的に学べるようにしながら教科の本質的な面白さに気づけるような授業デザインや環境設定こそが教師の仕事なのだろう。 他にも、 「対話は正解を求めるためではなく、知的好奇心を刺激するために行う」や 「道具を使うことは人間の優秀さを発揮しやすくする」 「日本の教育システムは物知りが評価されやすいシステム」 「知識があるからこそ学びやすい」 など、今の主体的・対話的で深い学びやICT活用・授業改善の考え方につながる文章も多かった。 その中でも一番印象に残ったのは、 「うまくできるという結果を重視しすぎると、深い理解を阻害してしまう可能性がある」ということだ。 学び手はどうしても結果や手っ取り早さに目が行きがちになる。ただ、その結果、手続き的な面での習熟に終始してしまったり、本来感じられるはずだった教科の本質的な面白さに気づけずに知的好奇心を刺激できない可能性があるということだ。 だからこそ、教え手がいかに、学び方や、学習の過程、そして失敗や試行錯誤の価値を信じ、伝え続けていくかが大切だなと思った。 これからも、「教え込む」ではなく、「学び手の優秀さを引き出す」という価値観で教師として子どもたちと向き合っていきたい。
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