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金閣炎上 新潮文庫
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金閣炎上 新潮文庫

水上勉【著】

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金閣炎上 新潮文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 1986/02/01
JAN 9784101141190

金閣炎上

¥565

商品レビュー

4.1

15件のお客様レビュー

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2010/05/28

三島由紀夫の『金閣寺…

三島由紀夫の『金閣寺』と同じ題材ですが、こちらの方が切ない感じです。

文庫OFF

2026/01/12

三島の『金閣寺』からの流れで、読了。『金閣寺』が放火犯である「私」の一人称で記される一方、本書『金閣炎上』は作者・水上勉が「私」として述べている。『金閣寺』は事実を基にしたフィクションだが、本書『金閣炎上』は多少の脚色はある(と筆者も記している)もののノンフィクションの体裁をとり...

三島の『金閣寺』からの流れで、読了。『金閣寺』が放火犯である「私」の一人称で記される一方、本書『金閣炎上』は作者・水上勉が「私」として述べている。『金閣寺』は事実を基にしたフィクションだが、本書『金閣炎上』は多少の脚色はある(と筆者も記している)もののノンフィクションの体裁をとり、古い作品だが非常に読ませる。 本書は昭和25年に金閣寺を放火した僧・林養賢を幼少期から克明に追い続けていく。田舎の寺の子として生まれたこと、両親が不仲であったこと、ひどい吃音があったこと…。そして、父が肺病で早逝し金閣寺に入ってからは、人間関係と自身の健康問題に直面していく。 三島の『金閣寺』は放火へと至る主人公の行動を小説的に順繰りに描いたが、本書はそれまで追ってきた半生をブツンと断ち切るように唐突に、放火犯となった林の調書を挿入する。そこからなぜ林が放火に及んだのかを検証していくのである。当時の金閣寺住職である慈海師は水上と会うことを拒んだそうだが、なぜ今更という思いがあったのだろうか。それとも、痛いところを突かれることを恐れたのだろうか。 本書を読むにつけ、放火した林の動機はシンプルなものであった気がする。と同時に、三島の『金閣寺』は、文学作品としての良し悪しはともかく、ある種の冒瀆ではないかという気がしてしかたない。

Posted by ブクログ

2025/09/22

いわゆる「金閣寺放火事件」は1950年7月2日に起きた。鹿苑寺金閣の国宝・舎利殿に火が放たれ、全焼したのである。寺の徒弟僧、林承賢(俗名:養賢)によるものだった。養賢は、放火後、自殺を図るが未遂に終わった。判決は懲役7年(後、恩赦により5年3月に減刑)。拘束中に精神を病み、満期釈...

いわゆる「金閣寺放火事件」は1950年7月2日に起きた。鹿苑寺金閣の国宝・舎利殿に火が放たれ、全焼したのである。寺の徒弟僧、林承賢(俗名:養賢)によるものだった。養賢は、放火後、自殺を図るが未遂に終わった。判決は懲役7年(後、恩赦により5年3月に減刑)。拘束中に精神を病み、満期釈放後に精神科病院に入院。以前から患っていた肺結核で死亡している。 本書はこの事件に取材したもので、著者・水上勉は上梓までに20年もの歳月をかけている。本事件を題材にした作品としては三島由紀夫『金閣寺』がつとに有名である。水上も本作より先に『五番町夕霧楼』を発表している。この2作がフィクション性が高いことに比べ、本作はほぼノンフィクション形式で書かれている(但し、例えば、水上は犯人の養賢に偶然会ったことがあるとしているが、その部分が事実であるかどうかについては議論があるようだ)。 放火犯である養賢の生い立ちから放火に至るまで、そしてその死までを丹念に追う作品である。 養賢は、若狭湾に面した半島の北端で生まれた。田舎の貧寺の子である。父は僧侶だった。母はどうした縁か、遠く大江山麓から嫁いできた。両親には気性の相違があり、仲はあまりよくなかった。養賢は幼少時から吃音であった。父は肺結核を長く患った末、養賢がまだ13歳のころに病没。かねてより、息子を金閣寺で修行させたいとの希望があり、養賢は中学卒業前に金閣寺の徒弟となった。 戦時中は栄養状態の悪さや養賢の肺病発症などもあり、故郷に戻る時期もあったが、戦後、再び金閣に戻り、大学予科に入学。そのころから勉学を怠るようになり、3年目には学年最下位となる。そのため、住職に叱責されることもたびたびだった。また素行も悪く、暴力沙汰を起こすこともあった。一方で、修行の場というより観光で金儲けしている金閣の現状に疑問もあり、上位の僧侶や事務職への反発心も抱いていた。 養賢は金閣寺の後継者となることを夢見ていたが、住職の態度が冷淡であり、このままではそれも見込めないと考え、次第に犯行の決意を固めた、というのが大方の流れである。 著者は自身も(寺ではないが)貧しい家に生まれ、金閣と同系列の寺院で修行した経験がある。そこで仏弟子といいながらも生臭い、僧侶の姿を見聞きもしている。そうした著者の目線がそこここで犯人のものと重なってくる。 もちろん、放火は犯罪であり、重要な文化財の焼失は惜しまれることなのだが、そこに至るまでに何があったのか、深く潜入していくような読み心地である。 著者あとがきには 彼がなぜ金閣に放火したか、そのことをつきつめて考えてみたかった。 とある。 だが、本当のことはいまもわからない とも。 片や、吃音で肺も病み、出世も見込めないが田舎に帰っても居場所はない、青年僧の鬱屈。片や、本音と建て前が乖離した、虚栄まみれの大寺院。養賢はどうしようもない現実に、それでも爪痕を残そうとしたのか。 養賢の母は、息子の犯行を知り、京都の警察で事情聴取を受けた後、家へ帰る列車から身を投げて自死している。 養賢は、前述のように獄中で精神を病みつつ、住職への詫びの手紙を送り続けている。 金閣は住職の尽力もあり、1955年に再建された。養賢は再建した金閣の写真を見たいか問われた際、 どうでもよい、無意味なことだ と答えたという。 禅には時に、物騒な命題があるが、養賢は、「殺仏殺祖」(仏を殺し、親を殺す)(『臨済録』)について考えていたという話があるという。反抗期の心が、刃のような言葉を咀嚼しきれずに振り回してしまった面もあるのだろうか。 著者は、金閣を始め、系列寺院の内情も縷々綴る。もちろん、取材も重ねたのだろうが、寺で修行の日々を過ごした者でなければ書けない描写だろう。貧村から、いくばくかの夢を抱いて上京し、したたかで一筋縄ではいかぬ現実に幻滅を抱いた、という点では、著者と養賢に通じ合うところがあったのかもしれない。そこで犯罪に走るかどうかはまた別だが。 著者は最後に、探し続けていた養賢とその母の墓にたどり着く。その筆からは、犯罪への糾弾ではなく、鎮魂がにじむ。それは、金閣放火犯ひとりではなく、貧しさに喘ぎ、どん底で果てた、顧みられぬ幾多の人に向けたものであるようにも思える。

Posted by ブクログ