- 中古
- 書籍
- 書籍
- 1220-03-00
「見えない都市」を歩く 文学で旅するイタリア
定価 ¥2,200
1,375円 定価より825円(37%)おトク
獲得ポイント12P
残り1点 ご注文はお早めに
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | NHK出版 |
| 発売年月日 | 2025/03/26 |
| JAN | 9784140819852 |
- 書籍
- 書籍
「見えない都市」を歩く
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
「見えない都市」を歩く
¥1,375
残り1点
ご注文はお早めに
商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
イタリア文学大好きカルヴィーノ大好きなので、この本の存在を知って、買うかどうかではなく、いつ買うか、だったこの数ヶ月。 満を持して入手。嬉しくてスリスリしながら読んだ。 カルヴィーノを中心に、タブッキ、エーコ、ギンズブルク、ブッツァーティ、カルロ・レーヴィなど、都市をめぐり、作...
イタリア文学大好きカルヴィーノ大好きなので、この本の存在を知って、買うかどうかではなく、いつ買うか、だったこの数ヶ月。 満を持して入手。嬉しくてスリスリしながら読んだ。 カルヴィーノを中心に、タブッキ、エーコ、ギンズブルク、ブッツァーティ、カルロ・レーヴィなど、都市をめぐり、作家をめぐる参考書。 目と手で楽しむ一冊だった。幸せ。 トリノのエイナウディ社は、その歴史や内容から言っても、日本における岩波書店、というのが印象に残った。 なるほどねえー。 そしてトリノは自動車FIATの街だというのも初めて知った。tはトリノのt! fは工場、iはイタリアの、aは自動車のことで、なんなら全然固有名詞ではないのですね…。 帯にもあった須賀敦子にはほとんど本文では触れられていないのは何故…? 第二弾として、須賀敦子リベンジと、児童書もまぜて、ビアンカ・ピッツォルノとか、ジャンニ・ロダーリとか、あとは硬派な自然作家のマリオ・リゴーニ・ステルンも入れて欲しい!!
Posted by 
旅をすることと作品を読むことは似ている。自分人生とは全く違う文化・背景に分け入って行きながら、自らの過去を重ねたり、未来への糧にしたりする。 本書はまさにイタリアの土地ごとの作家の人生・作品を通して街の空気感を感じることのできる、「読書の旅」本としてとても贅沢な読書体験ができた。...
旅をすることと作品を読むことは似ている。自分人生とは全く違う文化・背景に分け入って行きながら、自らの過去を重ねたり、未来への糧にしたりする。 本書はまさにイタリアの土地ごとの作家の人生・作品を通して街の空気感を感じることのできる、「読書の旅」本としてとても贅沢な読書体験ができた。 作品に反映されている時代性・土地の空気感…そういったものを感じながら旅・読書ができたら、何て良いだろうと思う。
Posted by 
『ですが、これから十三の章にわたってみなさんと旅をしていくイタリアは、「イタリア語で描かれた街」であることをまずお断りしておきます。つまり、イタリア文学に描かれたイタリアのすがたを、小説であれ詩であれ、作品を読みながらたどってみる。そこでわたしたち読者に伝えられる街の様子や、書を...
『ですが、これから十三の章にわたってみなさんと旅をしていくイタリアは、「イタリア語で描かれた街」であることをまずお断りしておきます。つまり、イタリア文学に描かれたイタリアのすがたを、小説であれ詩であれ、作品を読みながらたどってみる。そこでわたしたち読者に伝えられる街の様子や、書を手たちの残した痕跡を深く味わう(中略)それがこれからはじまる「旅」です』―『はじめに』 翻訳された小説が元々どこの国で出版されたものなのか、ということを子供の頃は意識したりはしなかった。精々、世の中には日本語と英語があるという位の認識しかなかったからだ。そこにイタリア語の世界があると強烈に意識させられたのは、少々ありきたりの話ではあるけれど、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」だった。そして本書の題名にも引用されている「見えない都市」のイタロ・カルヴィーノ。仕事にかまけて学術書や論文以外をほとんど読んでいなかった時代を経て再び文芸書を手に取り始めた時に出会ったアントニオ・タブッキの「供述によるとペレイラは」。これは多分イタリア語で書かれているけれど、和田先生によるとタブッキをイタリアの作家と呼んで良いかは微妙とのこと(詳しくは本書を読まれたし)。この本の舞台もポルトガル・リスボン。自分がこんな文書を書くようになったのは正にこの一冊を読んだから。そこから須賀敦子へと繋がっていく。 読む本を選ぶ時、一番楽しいのは当てもなく本屋の書棚を見て回って何となく惹かれる一冊を選ぶやり方。でも実際には知らず知らずの内に読んだ本の余韻のようなものに影響されて次の本を読んでいる。それを後から見返すと自分なりの本の道標が刻まれた地図があるような気がする。本書はまさに翻訳家和田忠彦が刻んだそんなイタリア文学の地図を丁寧に読者に開示している一冊。聞き覚えのある作家が次々に出て来るが、もちろん、その作家の作品を読み込んでいる訳ではないので、ただただ和田先生の指し示す先の道標にそんな深い意味が託されていたのか、という思いを募らせるばかり。ああそのタブッキの一冊を読んでみたい、ええカルヴィーノってそんな一冊もあったの、と既に読みたい本のリストは読み切れない程に長くなっているというのに追加しておきたい本が次々に出て来る。もうリストの最初から順に片付けている場合ではないので、欲望に任せてそんな本の予約を入れる。話題の新刊書ではないので近隣の図書館でも在架であったり、県立図書館にしか収蔵がなかったりするが、構わずに予約の依頼を入れる。 イタリア語は歌の歌詞で音には馴染みはあるけれど、その歴史的背景も理解して読むような知識は当然のことながらない。その上、学生時代から世界史のようなものは忌避していたので和田先生のお話はとても新鮮で興味深い。イタリアに行ってみたいという気持ちには今まで一度もなったことがないけれど、こんな風に目の前にある風景に堆積している歴史や文化の地層を読み解けるのならば行ってみるのも楽しいだろうと思うこと頻り。残念ながら、そんな景色を前にしても自分はやはり地質学的な解釈をするのが精々なのだけど。 帯にもその名前が出て来るので驚きはしなかったけれど、終盤、ジュンパ・ラヒリに言及される章は、同時進行で読んでいる作家であるが故にもっとも鮮明な印象を持って読み進める。「言葉の巡礼を重ねながら、ローマの街並みを、ラヒリは見つめている」という言葉に何故かぐっと迫るものを感じてしまう。古典、あるいは歴史というある意味「化石」になってしまった感もある文学から読み取るものとは少し異なる読みを著者はここでは展開しているように思う。もちろん、古典的作品の中からも常に人の営みを読み取るようにこの旅は続いているのだけれど、ラヒリに関してだけは「因果」というようなものからすっぱりと隔たった読みがあるように思う。でも恐らく本を読むってそういうことなんだよね、と勝手に納得してもしまったのだけれど。 そしてエーコ。和田忠彦といえばやはりエーコ。この偉大な人物との個人的な親交に因んだ場所の紹介には一抹の寂しさが含まれている。エーコと交わした会話の中身については言及されることなく、エーコの文章に登場するミラノの街を間接的に紹介し、個人的な思い出は一緒に楽しんだ食事の場所を指し示す程度に留めるのも、この翻訳家の慎み深さというよりもエーコの著書を大切にする翻訳家の矜持ということなのだろう。地図は差し出すけれど、そこから何を読み取るかは読者次第。それは正にエーコが主張する記号的テキストの在り方、ということに通じる態度なのかと勝手に読み解く。
Posted by 
