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大軍都東京 忘れられた日本の戦争遺跡を訪ねる
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 笠間書院 |
| 発売年月日 | 2025/01/28 |
| JAN | 9784305710345 |
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大軍都東京
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商品レビュー
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軍都東京めぐり。 『るるぶ』や『◯◯の歩き方』のような楽しみ方のできる本。本書を片手に戦争遺跡を訪ねてみては。 戦前は軍の施設が密集する「大軍都」だったらしい。全国でも最大規模の実戦部隊が都心に駐屯し、多摩地区には多くの航空基地も。戦後、それらは住宅や公園、学校などに転用され、...
軍都東京めぐり。 『るるぶ』や『◯◯の歩き方』のような楽しみ方のできる本。本書を片手に戦争遺跡を訪ねてみては。 戦前は軍の施設が密集する「大軍都」だったらしい。全国でも最大規模の実戦部隊が都心に駐屯し、多摩地区には多くの航空基地も。戦後、それらは住宅や公園、学校などに転用され、忘れ去られていく。 で、読みながら歴史の勉強にもなる。 ー 明治天皇は1868(明治元)年10月に東京に入りますがいったん京都に戻り、1869(明治2)年3月に再び東京に入って、以後東京がなし崩し的に首都となります。最初に天皇が東京へ向かった際は臨時の兵が付き従いましたが、常設の護衛部隊はいませんでした。そこで1871(明治4)年、鹿児島藩、山口藩、高知滞、いわゆる「薩長土」の藩兵を「御親兵」として明治政府直属の部隊とし、天皇の護衛にあてることにします。これが1872(明治5)年に「近衛」と改称され、のちの近衛師団の元になります。明治政府の軍は「天皇を守る軍」として始まったのです。 ー 皇宮警察の職員宿舎があるあたりには、明治初期には近衛砲兵営がありました。ここでは1878(明治11)年に竹橋事件が起きました。これは、前年の西南戦争に近衛兵らが出征したにもかかわらず恩賞が少ないとの不平に端を発した反乱事件です。もともと近衛兵は天皇を守るだけで戦場に出なくていい、と聞かされていたことで不満が高まっていたともいいます。天皇を守るはずの軍隊が反乱を起こしたことに政府は衝撃を受け、この事件を機に憲兵制度や皇宮警察ができ、また軍人勅論などの精神教育が強化されました。 戦時の金属回収により消え去った銅像の跡が生々しい。更に衝撃的なのは、23区内にも軍の飛行場があり、そこから特攻機も発進していたこと。B25が東京を奇襲爆撃したことに驚いた軍は、あわてて首都防空用に成増飛行場を作り、そこから特攻機は飛び立った。 ノスタルジックな気持ちと忘れていた反省と、そして少しだけ大友克洋のネオ東京を思い出しながら、いつか散策してみるかという気持ちになる。だが、本書で満足してしまったので、多分行かないだろうな…。
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毎年、桜の季節には、いつも仲間で千鳥ヶ淵緑道を歩くのですが、今年は趣向を変えて反対側の北の丸公園からお花見をしました。その時、北白川宮像を発見し、旧近衛師団司令部を間近で見ました。煉瓦造りの建築の素晴らしさに触れ国立近代美術館工芸館時代に入っておかなかったこと後悔しました。本書を...
毎年、桜の季節には、いつも仲間で千鳥ヶ淵緑道を歩くのですが、今年は趣向を変えて反対側の北の丸公園からお花見をしました。その時、北白川宮像を発見し、旧近衛師団司令部を間近で見ました。煉瓦造りの建築の素晴らしさに触れ国立近代美術館工芸館時代に入っておかなかったこと後悔しました。本書を読んでここが「日本のいちばん長い日」の舞台だったことを知りました。この本はいつも何気なく歩いている東京が戦前の軍事施設によってデザインされていることを掘り起こします。江戸時代の広大な大名屋敷からの陸軍、海軍の軍事施設、からのアメリカ軍の接収、からの返還後の都市開発、という時間の地層を見せてくれる本です。江戸城のまわりを親藩の有力大名で固めた幕府の構造そのままに明治天皇の住まいの周りを軍隊で警護するスタイルが今の東京のグランドデザインなのだと知りました。書名の「大軍都東京」は東京を見つめる視点として新鮮でした。この本を片手に東京街歩きを改めてしたくなります。そしてその視点での明治神宮外苑の開発についての根本的疑問も現在に続く問題なのだと初めて知りました。戦後80年、ますます歴史の古層になっていく「大軍都東京」、でもそれは現在の暮らしに直接繋がっています。
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旧軍遺構巡りの参考に。再開発の激しい東京なだけに、かなりの遺構が失われたり大きく姿を変えているのは残念。遺構の説明も簡素なものが多くて、後世に伝えるというよりは早く戦争の記憶を忘れたいような意識すら感じられた。
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