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哀しいカフェのバラード
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社 |
| 発売年月日 | 2024/09/26 |
| JAN | 9784105071820 |
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哀しいカフェのバラード
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商品レビュー
3.8
18件のお客様レビュー
村上春樹さん訳 山本容子さん絵画 初カーソン・マッカラーズさん 中編小説で、挿画が作品とぴったり 奇妙な人間関係で、3人はそれぞれにコンプレックスがあるけど、幸せになろうとする 不器用だけど愛を感じる 愛が憎しみに変わった残酷さが哀しい物語
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最後が悲しすぎる。 帯に「愛はいつでも儚い一方通行」とあったが、まさにその通り。読了後に、忘れていた前半部分を読み直して、それぞれの愛のベクトルを確認した。こうも報われないことがあるのかと思ったが、これがあるからこそ、私たちは他者に対して愛おしさ、いじらしさを感じてしまうのだろう...
最後が悲しすぎる。 帯に「愛はいつでも儚い一方通行」とあったが、まさにその通り。読了後に、忘れていた前半部分を読み直して、それぞれの愛のベクトルを確認した。こうも報われないことがあるのかと思ったが、これがあるからこそ、私たちは他者に対して愛おしさ、いじらしさを感じてしまうのだろうかとも思った。
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以前「心は孤独な狩人」を読んだ時とは大きく異なる印象のマッカラーズ。心は孤独な狩人は現代社会にも通じる閉塞感について考えさせられる一冊であった(らしい。自分の感想を見る限りではある)けれど、この何とも奇妙な物語は何かを静かに考えさせるという雰囲気は、一見、ない。訳者の村上春樹も最...
以前「心は孤独な狩人」を読んだ時とは大きく異なる印象のマッカラーズ。心は孤独な狩人は現代社会にも通じる閉塞感について考えさせられる一冊であった(らしい。自分の感想を見る限りではある)けれど、この何とも奇妙な物語は何かを静かに考えさせるという雰囲気は、一見、ない。訳者の村上春樹も最初に読んだ時の印象をこう語っている。 『これはいったいどういう小説なのか? いったいこの小説は何を語ろうとしているのか? この本を読み終え、多くの読者はそのような疑問と戸惑いを抱いたまま、あとに取り残されることになるかもしれない。最初に読み終えたとき、正直言って僕もそんな読者の一人だった』―『訳者あとがき』 時代がかった西部開拓時代を思わせる舞台。作家マッカラーズにとってはひょっとすると馴染の風景であったのかも知れないが、白黒の西部劇に出て来そうな半ば治外法権的な雰囲気が漂うNowhere、どこでもない町。物語としては、荒くれもののカウボーイ達が夜中に荒野のただ中で焚火を囲みながら針小棒大に語る与太話、といった印象。 村上春樹は、ここに登場する三人の登場人物たちの間を繋ぐ一方方向の感情を、「愛」という概念に昇華させこの短篇の持つテーマを一般化させてみるが、物語としてはとてもそんな生易しい言葉でここに蠢く感情を感じ取ることはできない。まず、三人の登場人物は誰一人としてどこにでもいるような普通の人ではない。誤解を恐れずに言うなら、正面から向き合うことを躊躇わせるような人々。男として、あるいは女として、という世間がはめたがる典型的な型から逸脱した人物。その意味では現代的なテーマである「多様性」というものを捉えていると読めないこともない(作家がそんな言葉に集約される概念に機微であった可能性はあるだろう)。そして確かに三人の間にある感情は輪舞のような関係にあり、その捻じれ方にも一般的と言われる形ではない関係性が描かれており「包摂」というテーマを読み取ろうと思えば読み取れる(再び、1967年に50歳で無くなった作家がそのような現代的なテーマに既に気付いていたとするならば。確かにこれは古くて新しい問題ではあるし、心は孤独な狩人の印象からすれば可能性はあるだろう)。しかし、それがどこかに着地するような展開は訪れない。少なくとも、ここまで救いの無い物語である必然性を、残念ながら自分は読み取れずにいる。もちろん、本質的にはそれが容易に答えの出る問題ではないとは思うけれど。 この短い物語に添えられた山本容子の銅版画は、挿絵という概念を越えて多くの頁の背景に(時に文字の配置さえも規定するように)表れる。それも抽象的な背景の描写ではなく、作中の人物を具体的に表現する形で。何となく二つの物語を同時に読んでいるような印象を持つほどに独立した作品という感じが漂う。ただ、これは好みの問題だとは思うけれど、主人公の顔や容姿をこんな風に見せられてしまうと、自分は返って物語の世界に没入し難いのだけれど、他の人たちはどうなんだろう。
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