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哀しいカフェのバラード
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2024/09/26 |
JAN | 9784105071820 |
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哀しいカフェのバラード
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商品レビュー
4.2
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※このレビューにはネタバレを含みます
1917年にアメリカ南部に生まれ、23歳で小説家デビューした天才少女、アルコール依存症などで50歳で亡くなられた著者の1951年出版の作品。 村上春樹さんによる訳者あとがきで使われていた「異様性」という言葉がまさにピッタリな、いろんな異様性を背負う登場人物。 山本容子さんの銅版画がさらに印象強く人物像を浮かび上がらせる。 人間の、なめらかじゃない部分、なだらかじゃない部分、が強調されるような、特質。 見た目だけじゃなくて、個性的な性質。 ミス・アミーリアと呼ばれる、カフェ、の店主であり、それ以上にこの物語の中心となっている、アミリア・エヴァンズ。 「せむし」と称される、カズン・ライオン。登場時から不吉不穏。 _自分と世の中のすべての事柄との間に、生き生きとした結びつきを即座に打ち立てられる本能だ。 かつてミス・アミーリアが結婚した、マーヴィン・メイシー、初めから、この男がこの物語で問題を起こすことが記されている。 といいながらも、彼は後半まで実際には登場しない。 でも、彼の不在が彼が忘れ去られていることを全く意味せず、口にされることなく主人公やその他の人々、そしてその町の記憶のなかに強く残っている。 _…カフェの陽気な賑わいにとっての不吉な通奏低音としてそこにあった 読者にとってもこの通奏低音が初めから流されている。 村上春樹さんの訳者あとがきでは、同性愛の関係が語られているとも読み取られている。 小説を介して、一般の言葉で語られないものを描く。 それとは対照的にも、この物語の始まりと終わりに、囚人労働者の歓びある唄声が一瞬流される。 上手くいっているときがオチではない物語を語ること。 なんだろう、結局人は死ぬから?それでも生まれて死ぬまでの間に、 カフェでの賑わいのように、思い返すと人生の一瞬のようでいて実際に5年ぐらい平穏に続いていたりする、かけがえのない時間があって、 結局人と人はすべてを分かり合うことはできないし、いつか別れることになることも多いけれども、 だからといって知り合わなければよかった、というわけではない、なにか分かち合える時間と場所の重みがあったりする。 バラードという一つの物語の奏で方、かなー。
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詩情溢れるメルヘン。そして残酷なラブ・ストーリー。 タイトルに“ballad”とあるとおり、人々が口伝えに繰り返し語り継いできたドラマに耳を傾けているかのよう。 冒頭でいきなり悲劇の結末は明かされる。 うらぶれた田舎町に住む、吝嗇で癖が強いが一目置かれてもいる人物であるミス・ア...
詩情溢れるメルヘン。そして残酷なラブ・ストーリー。 タイトルに“ballad”とあるとおり、人々が口伝えに繰り返し語り継いできたドラマに耳を傾けているかのよう。 冒頭でいきなり悲劇の結末は明かされる。 うらぶれた田舎町に住む、吝嗇で癖が強いが一目置かれてもいる人物であるミス・アミーリアに起きた、これまた風変わりな愛の行方と破局の物語だ。 なにもないいつもの夕方、訪ねてきたよそ者との出会いによってミス・アミーリアが変わり、その熱が生む磁場に引き寄せられるように町の住民も変わっていき、物語には幸福と高揚感が満ちてくる。 しかしそれと同時に、きっとなにかが起きるに違いないというカタストロフィの予感と緊張感がじわじわと張り詰めてゆく。 そして不幸の種が蒔かれる。ここからは、どのように悲劇が起きるのかというクライマックスに向けてギュッと引き込まれてゆく。 そして結末の驚きと、あっけなくもたらされた崩壊に、しばし茫然となる。 ここに寓意や教訓はあるだろうか? カーソン・マッカラーズは作中で、“愛とは二人の共同体験であるが、二人にとって同等の体験ではない”と、愛の非対称性を語る。 “愛するものは孤独であり愛することは苦痛であっても、ほとんどの人は「愛するもの」になりたがる” “あけすけに言わせてもらえるなら、「愛されるもの」の立場に置かれることは多くの人にとって、深く秘密めいた意味合いにおいて、耐えがたいことなのだ。愛されるものは、愛するものを恐れ憎むが、それには最もな理由がある。なぜなら、愛するものは愛する相手を剥き出しの裸にしようと、永遠に試み続けるからだ。愛するものは愛する相手とのあらゆる関係性を切望する。たとえその経験が本人に苦痛しかもたらさないとしてもだ。” そう、「愛されるもの」が与えられた愛を裏切り、自らを望みのない「愛するもの」へと駆り立ててゆく心理は、決して奇妙なものではないだろう。 幸せと愛が、必ずしも同じ意味ではないということは、誰しもが知ることなのだから。 Cafeを、酒場ではなくカフェと村上春樹さんは訳した。ミス・アミーリアの店は、飲んで人生を一時忘れる場所ではなく、集まって人生に意味があると人々が誇りを取り戻せる場所だった。 オシャレというよりも、老若男女が集う温かく明かりが灯る場所という雰囲気には、“カフェ”が似合うように感じた。 奇妙な愛の行方以上に、カフェの終焉によって町と人びとが再び退屈で無意味な日常へ沈んでいく様に感傷的な余韻が滲んでくる。 アメリカ南部のさびれゆく町そのものが主人公のようにも、感じてくる物語だ。
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読みたかったカーソン・マッカラーズの『悲しき酒場の唄』が 村上訳で読める日が来るとは! それも山本容子さんとの素敵な物語絵本になって なんという話しなの! という感想に尽きます 全てが変わっている 春樹さんはこの中編小説をできれば他の短編と合わせずに一冊の独立した本にしたか...
読みたかったカーソン・マッカラーズの『悲しき酒場の唄』が 村上訳で読める日が来るとは! それも山本容子さんとの素敵な物語絵本になって なんという話しなの! という感想に尽きます 全てが変わっている 春樹さんはこの中編小説をできれば他の短編と合わせずに一冊の独立した本にしたかったという それも絵をつけた一冊に。 となるともう 私たちも山本容子さんしか浮かばない。カポーティの本たちと同じように。 それにしても、江國香織さんも書いておられるように、こんなに描いてしまっていいの?ミス・アミーリアを、カズン・ライモンを? と思わずにはいられない。 けれど…このあまりにも新鮮?斬新?な物語だからこそ、いいのだ。 「いいのだ、とこれを読んで私は納得した。ひらかれるというのはたぶん、通路ができるということなのだろう。その通路から、小説世界そのものが迫ってくる。この小説の持つ閉鎖性もわかりにくさも、閉鎖的なままわかりにくいまま、肌のすぐそばまで迫ってくる」 のだ。 『波 2024/10』より 江國さんのおかげでそう思えました。 マッカラーズといえば、南部の裕福でない白人と黒人との関わりみたいなものをあったかく描くイメージ 今作も小間使いで料理人のジェフが美味そうな肉を焼いていた。 旧作を読んだ先輩から、「え?カフェ?酒場というイメージよ」と聞いていたので、古い書庫から旧版を引っ張り出して比べるも、 酒場です。カフェの意味が日本とはちがうので原文のタイトルもcafeですし、春樹さんと山本容子さんの本には カフェ が合っているのでは… 名前の発音の違い、"せむし"という言葉をあえてつかってるところなど違いもありますが、それぞれですね。
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