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ピアノを尋ねて 新潮クレスト・ブックス
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社 |
| 発売年月日 | 2024/08/29 |
| JAN | 9784105901967 |

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ピアノを尋ねて
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商品レビュー
3.4
22件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
台湾でベストセラーのピアノに関する小説ということで期待して読んだのだが、残念ながらあまり楽しめず、だんだん腹立たしくなってきたので、その原因を考えたメモ。 登場人物の性別がわかりにくく書かれているのは、意図的なものなのだろうか。 ・調律師(わたし) エイミーのピアノの調律師 ・エイミー(故人) ピアノ、バイオリンを演奏する 音楽教室を運営していた ・林サン エイミーの夫 エイミーとは20歳くらい年上の中年男性 エイミーとは再婚。先妻と子は米国在住 エイミーにグランドピアノを買い与える ・邱(ちう)先生 調律師が子ども時代の先生 ・ピアニストの青年(米国帰り) 調律師が少年時代に邱先生が紹介してくれた青年 スタインウェイのピアノを持っている ・エイミーの情夫(NYにいた) 同じ新潮クレストの『パリ左岸のピアノ工房』のようなリーダビリティを期待すると肩透かしである。 「わたし」が調律師であるゆえの思考回路も、それが登場人物との関わりにどのように影響していくのかの描写も物足りない。 頻発する「偉大なる音楽家であるわたし(今は調律師)」の尊大さを補う根拠が乏しすぎる。本人がそう思ってる裏付けエピソードが全く無し。一体この主語なんなんだ? この日本語の読みにくさは、訳がこなれてないのか、編集が緩いのが原因なのか。 アメリカ帰りの青年が、不治の病である(80年代後半の時代設定である、おそらくAIDSに罹患していたであろう)というのも、マイケル・カニンガムの『めぐりあう時間たち』のような展開を期待するも、時代が交錯するような物語性もなく、少年の「わたし」が「米国帰りのピアニスト青年」への思慕や憧憬の描写も充分ではなく、彼のピアノを傷つけるほど?(ここもよく分からん)の激情に説得力をもたせられない。 ラフマニノフのヴォカリーズ、グールド、リヒテル、フジコ・ヘミングという並びは、21世紀に読まれる小説としてはテレビのような通俗さえあり、目新しさも無い。(これはわたしが日本語話者であるせいかもしれないが) ラノベみたいだな。(悪口です) ベトナムのピアニスト(おそらくソン)、グールド、リヒテル、フジコ・ヘミングこの4人に共通するのは、(パートナーの有無はともかく)結婚していないことである。 調律師(わたし)が同性愛者であることは小説内では本人が言及しないまま、妻を亡くした林サンと距離を近づける展開には、彼への心情を匂わせる描写も足りていない。 (小説とは関係ない蛇足) ・邱(チウ)先生に連れられてショパンコンクールの優勝者(アジア人)のコンサートに行くシーン、80年代であることからピアニストはダン・…・ソンであるだろうと推察される。「彼は貧困家庭だったのよ」と先生の説明、ちなみに実際は、当人は貧困家庭ではなく(母親はピアノ教師で裕福な華人だ)幼年時代に不安定な環境であったのはベトナム戦争の要因が大きい。(小説で名前を出さないのは匿名性をもたせるためかもしれないが)わたし(調律師の子ども時代)が台北で餃子店を営む子沢山の家庭であったことを先生が慰めるための言葉であったのかもしれないが、それは読者の勝手な想像と憶測。 ちなみに台湾は音楽の才能があれば小学生から公立の音楽科の特殊クラスがあり、富裕層でなくても教育の機会はある。だからこういう状況は台湾の若者にはリアリティがあるのかもしれない。日本とは結構事情が違うのである。 ・ちなみに現在ダン…は「カナダ在住を選んでいる」ので「パートナー」(NYでのシーンでこの単語に注目させる描写がある)はいるのかもしれないがオープンではない。 ・リヒテルのドキュメンタリー「エニグマ」をyoutubeで観たという箇所あり、おっと、それ著作権的にどうなのよ…と。小説内の描写ならいいのか? ・この著者本人は劇作家らしい。訳者あとがきによると、著者はアメリカ在住時に同性のパートナーがいたが、不幸なことに自殺されている過去があるとのことなので、たとえばこれを台湾映画『鯨が消えた入り江』(←レスリー・チャンがモチーフとなっている)の監督、エンジェル・テンが映画化すると、クィアをテーマにした良い雰囲気の作品ができるかもしれない。今の台湾(同性婚は合法)にはこういう物語が求められているのだとすれば、そういうドラマを観たい人々もいるかもしれないね。
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台湾文学、ピアニストの伴侶を失ったビジネスマンの男性と将来を嘱望された天才調律師との交流を描いた物語。 ピアニストが良い演奏をするためには良いピアノが必要であるがそれと同時に良い調律師が必要である。そして演奏を聴く聴衆には調律師の腕や姿はあくまで認識されない。 人生における伴侶...
台湾文学、ピアニストの伴侶を失ったビジネスマンの男性と将来を嘱望された天才調律師との交流を描いた物語。 ピアニストが良い演奏をするためには良いピアノが必要であるがそれと同時に良い調律師が必要である。そして演奏を聴く聴衆には調律師の腕や姿はあくまで認識されない。 人生における伴侶やビジネスパートナーなども楽器と演奏家や楽器と調律師、あるいは調律師と演奏家の関係に似ている。良い演奏にはより良い関係が必要である。 一方、現実には毎回毎回良い演奏というのは難しく、人生というものは平均台を注意しながら歩くようなものではないだろうか? そのようなことを念頭に本作を読むと、次のことに気付かされる。すなわち、一方に歴史に名を残す音楽家がおり、また一方に名を残すことのなかった音楽家、例えば調律師の若い頃のピアノ先生邱先生や調律師の師でもあったピアニストがいるが、成功したかに見える音楽家もそうでない音楽家も各人がその人生を振り返った時に感じられる悔悟の念には大差ないのではと問いかける。 人生は各人が奏でるポリフォニーであることをクラシックの演奏を通じて確認するという話であった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ピアノ調律師の物語で、クラシック音楽、とくにピアノ音楽のエピソードがふんだんに登場し、台湾で「聴覚小説」とも言われたベストセラー小説、と聞いて興味津々に読み始めたものの、、なかなかに難読で、行きつ戻りつしながらなんとか読み終えた。それでもあれこれ腑に落ちないところが残り、もう一度通読。ようやく全体像が把握できたという感じ。 登場人物が少ないにも関わらず、話が込み入って複雑に感じるのは、物語のほとんどが主人公の「わたし」(調律師)の知っている範囲、経験した範囲だけで語られているからではないかと、2回目に読みながら気がついた。「わたし」の思索の揺れ動きをそのまま読まされるから、時系列の入れ替わりについていけなくなったり、人称名詞が誰のことを指してるのかわかりづらかったりもする(たぶん何かの事情があって、翻訳原稿の推敲も少し足りなかったのではないかと思う)。 鬱屈した心を抱えたまま大人になってしまった主人公の生きづらさ。常に何かにおびえているような、鎧でも身につけているかのようなギクシャクとした振る舞い。特異な才能があるからこそのそうした主人公の悲しみが、クラシック界のレジェンドたちの生き方に共鳴している。 追記) 「訳者あとがき」を読んで、次は日本のあの名作を読まないといけないような気がしている。
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