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「叱れば人は育つ」は幻想 PHP新書1400
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | PHP研究所 |
発売年月日 | 2024/07/17 |
JAN | 9784569853826 |
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「叱れば人は育つ」は幻想
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■叱られた子供はなぜ同じことを繰り返すのか。 その答えは「防御システム」とも呼ばれる脳の危機対応メカニズムにある。脳の奥底の扁桃体は人間の感情、特にネガティブ感情について重要な役割を果たしている。今扁桃体を中心とするネットワークが活性化するとき、人は「闘争・逃走反応」(Figh...
■叱られた子供はなぜ同じことを繰り返すのか。 その答えは「防御システム」とも呼ばれる脳の危機対応メカニズムにある。脳の奥底の扁桃体は人間の感情、特にネガティブ感情について重要な役割を果たしている。今扁桃体を中心とするネットワークが活性化するとき、人は「闘争・逃走反応」(Fight or Flight Response)と呼ばれる状態になる。 この防御システムは人の学びや成長とは真逆のシステムである。具体的にはこの防御システムが活性化しているとき、脳の前頭前野の活動が押し下げられることが分かっている。危機的な状況においては、時間をかけて考えることが逆に命の危険を高めてしまう。だから防御システムは知性のシステムを停止させて、行動を早めさせる。 ■叱るという行為の本質は叱られる人のネガティブ勘定による反応を利用することで、相手を思い通りにコントロールしようとする行為である。叱られた子供の防御システムが活性化されると、戦うか逃げるか、どちらかの行動が起こる。叱る人は権力者なので逃げることが多くなる。戦ったところで勝てないから。 しかし逃げると言っても人間は高度に社会化された生き物であるので、物理的に走って逃げるわけではない。子供たちはその場を取り繕うために「言うことを聞く」「謝罪の言葉を述べる」などの方法で逃げるてしまう。そのことが、叱る側に「叱ることは有効である」という勘違いを引き起こす。 ■自分が強く叱責することで、目の前の人の行動が変わる。それが単なる逃避行動でしかないことを知らなければ、「叱れば人は学ぶ」と勘違いしても無理もない。叱られた人の前頭前野は活動が低下している。自分がなぜ叱られているのかを冷静に理解し、今後のために自らの行動を省みることができない状況。そのため子供たちはまた同じことを繰り返す。学んでいないのだから当たり前。 ■脳のメカニズムは大人も子供も基本的には変わらない。年令に関係なく人間という存在は叱られることでは学ばないし、育たない。 ■人は自分の苦しみを和らげてくれるものに依存する。 依存を引き起こすのは「快楽」ではなく、「苦痛からの逃避」である。苦痛や困難を抱えておらず満ち足りた人生を送っている人は依存症になりにくい。 ■「苦痛を忘れさせてくれる」行為にも、脳内のドーパミン回路を活性化する働きがある。 ■規律違反を犯した人を罰することで脳内報酬系回路は活性化する。つまり人間には「よくないことをした人を罰したい」という欲求が脳のメカニズムとして備わっている。 ■パワハラは会社の未来を潰す。パワハラは「叱る依存」で繰り返される。最悪の場合、職場内にパワハラが感染していく。 ■怒られたり暴言や暴力などを浴びせられたりすると強いネガティブ感情が湧く。この危機的状況を回避しようと脳は「防御モード」に入る。身を守るためには叩くにしても逃げるにしても瞬時に行動しなくてはいけない。だから脳が防御モードになると行動が早くなる。そころが、叱る側はそれを「叱ることは効果的だ即効性がある」と誤解してしまう。実際には身の危険を感じて反応しているだけで本質的に変わったり成長したりしているわけではない。
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著者の「叱る依存」を悪とした主張に完全な同意はできないが、色々な気づきを与えてくれる内容だった。対談のどれもが趣深いが、最後の佐渡島庸平氏が印象的だった。前さばき、後さばきの概念があり、前さばきの上手い人つまり「予測力」の能力がある人は叱る原因を前もって回避しているという。これに...
著者の「叱る依存」を悪とした主張に完全な同意はできないが、色々な気づきを与えてくれる内容だった。対談のどれもが趣深いが、最後の佐渡島庸平氏が印象的だった。前さばき、後さばきの概念があり、前さばきの上手い人つまり「予測力」の能力がある人は叱る原因を前もって回避しているという。これには納得した。事が起こってしまった後のさばきが上手い人は、仕事上では誰もが「できる人」認定してしまう節があるが、前さばきが上手い人は、そもそも問題が発生することがないのでその能力に周りは気づかなく、能力を軽視されてしまう。「叱る」の趣旨とは外れるが、この部分のやり取りは大変、会社員として働くうえでは貴重は知見であった。
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教育界、スポーツ界、ビジネスの現場、そして家庭で”叱る”という行為と結果について、疑念を抱いた人と著者との対談集。 だいたい納得いくし、叱らないという行為を選ぶことには偉いなと感心するし、本人の自己決定意思がない限り、叱る行為に意味がない、ということも同意する 叱っても意味が...
教育界、スポーツ界、ビジネスの現場、そして家庭で”叱る”という行為と結果について、疑念を抱いた人と著者との対談集。 だいたい納得いくし、叱らないという行為を選ぶことには偉いなと感心するし、本人の自己決定意思がない限り、叱る行為に意味がない、ということも同意する 叱っても意味がないから叱らない、本人の自己決定意欲を引き出す。教育、スポーツ、ビジネスにおいて、結局他人の人生に責任を持たない立場になれれば、叱らずとも問題は発生しない。事前の対話が大事、フィードバックが大事という方向で解決を目指すのであろう。 スポーツ界は怪しいが、教育、ビジネス界も叱るという行為に関しては、かなり否定的になっているので、環境改善のための理論武装の一旦となりうる。 ただ、親子関係のように、単純に見切ることができない相手で、対話が成り立たない状態のときに、叱らずに済ませられる聖人がいるのだろうか。 コルク者佐渡島氏のように、子供が不登校だからといって、本人が気づくのをただ待てるほど、人は強くない。親もただの人間。
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