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コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 柏書房 |
| 発売年月日 | 2024/05/27 |
| JAN | 9784760155651 |

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商品レビュー
3.6
14件のお客様レビュー
文化人類学者(のサブジャンルである「医療人類学者」)である著者が、コロナ禍を分析する本。本書が主に採りあげるのは、3年経って理解が進んでも撤去がままならなかった「アクリル板」、ウイルスが行政区画を意識するわけでないのに想定された「県外リスク」、現代の医療の専門家までも懸念事項とし...
文化人類学者(のサブジャンルである「医療人類学者」)である著者が、コロナ禍を分析する本。本書が主に採りあげるのは、3年経って理解が進んでも撤去がままならなかった「アクリル板」、ウイルスが行政区画を意識するわけでないのに想定された「県外リスク」、現代の医療の専門家までも懸念事項として挙げた(緊急事態宣言解除後の)「気の緩み」。これを第5章で総括するにあたり「ハビトゥス」という概念で説明する。ハビトゥスとは、「社会化の過程で個々人の身体に埋め込まれた、言葉や振る舞い、さらには趣味のような心的傾向を生み出す装置」(p.170)。 また、本書補論4として「緊急事態宣言」を「雨乞い」と結びつけ、コロナ禍の「禍」に言及する文章がある。“人流の抑制”とか“夜の街”とか“メリットがデメリットを上回る”とか…、それまで普段使っていなかった言葉でもって人々を誘導しようとする感じは、私は感覚的に「何だか嫌な感じ」くらいにしか捉えていなかったが、これらの耳に馴染みのない言葉こそが、心に訴える呪文、すなわち「ハビトゥス」だったか。 思えば、この手の呪詛は私にも効きすぎるほどに効いていて、中でもスーパーコンピュータ「富岳」の飛沫拡散計算は、効果テキメンだった。個包装せずに棚に並べるパン屋や、威勢の良いラーメン屋(注文を受けたら「〇〇入りましたー!」と店員が声を張り上げる)には、私は未だに入れない。「頭」でなく「身体」に訴えるものだけに、これは長引くのだな。
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配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。 https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01443225
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すっかり日常を取り戻し、コロナ禍のことは既に遠い記憶となりつつある今日この頃。あらためて思い出してみると、色々と奇妙なことが起こっていたように思う。この本は、文化人類学というツールを使いながら、あのとき何が起きていたかを丁寧に検証し、同じ過ちを繰り返さないようにと警鐘を鳴らす大変...
すっかり日常を取り戻し、コロナ禍のことは既に遠い記憶となりつつある今日この頃。あらためて思い出してみると、色々と奇妙なことが起こっていたように思う。この本は、文化人類学というツールを使いながら、あのとき何が起きていたかを丁寧に検証し、同じ過ちを繰り返さないようにと警鐘を鳴らす大変有意義な本だ。ただ正直なところ、またパンデミックが起きたら日本人は同じことを繰り返すんだろうなという落胆も禁じ得ない。 たびたび発せられる「気の緩み」という言葉に着目したり、専門家=医療従事者の目線だけで「不要不急」が決められていることに疑問を持ったり、文化人類学という視点は非常に面白い。県境を跨いだ移動にあれほどまでに目くじらを立てていた奇妙さを、個人的身体・社会的身体・政治的身体の視点から読み解くと、私たちが県境を跨ぐ人に対して「道徳を欠いた人」と感じていたのは、我々が自然にそう感じたのではなく、政治や社会によってそう「思わされて」いたかもしれないということが浮かび上がってくる。これは私にとっては非常に恐ろしいことだった。 「疾病」「病い」「病気」といった概念を使った解説もとても興味深い。「疾病」は病気の生物学的な理解のこと。私は今まで、「病気」=「疾病」と信じて疑っていなかったが、「火垂るの墓」を例にあげて、同じ疾病であっても、時代や社会によって病気と扱われたり扱われなかったりすることを指摘されて、目から鱗が落ちた。さらに筆者は、病気を疾病と同一視することの問題点は、疾病の専門家(すなわち医師など)が社会にとって良い選択をできると勘違いしがちであることだと指摘しており、これはまさにコロナ禍で日本に起きていた問題だと感じた。 家族を看取りたい、故人を見送りたいなどといった、人間としての当たり前の感情や営みが、「不要不急」のものとして軽視され、「何を差し置いても感染対策」が優先される世の中は、今思うと異常だったのに、「仕方がない」と諦め「させられて」いた。最終章では、そうした世の中の風潮に抗い、独自の感染対策を行いながら、普段通りのケアを実現した介護施設「いろ葉」の取り組みが紹介されている。 「何かあったら責任が取れないから」と、多くのことが制限されたコロナ禍において、「「責任を取る」とはなぜ自分がそれをやったか説明できることだと思う」と言い切った、いろ葉代表の中迎聡子さんには敬意を表したい。たまたま最近出会った「ディグニティ -旅行医の処方箋-」という漫画も似たテーマで終末期医療の矛盾と葛藤を描いており、本書を読んでいたことでより深く考えさせられた。 また、コロナ後遺症に関連して、不調に名前がつくことについて論じた章も非常に考えさせられる。病名はつかないけれど、心身ともに仕事に支障をきたす程度の不調に悩まされることは、私にもよくあった。そうした名もなき不調に「コロナ後遺症」と名前がつくことで、周囲の反応が一変する。「火垂るの墓」の節子ではないけれど、同じ程度の症状なのに、心身の不調が社会の課程を経ているか否かで、周囲からの扱われ方や本人の感じ方すらもガラリと変わる。名前のついた不調と、名前のつかない不調。どちらが大変かといった問いは不毛だし、名前がついた方が良いのかというと、それもどちらでもないだろう。 ただ、引用元の生湯葉シホさんのエッセイも読んでみた感想としては、たしかにそこに存在する「不調」というものに、もう少し目を向けても良いのかもしれないと思った。名前がついていようが、ついていなかろうが。肉体の問題が、精神の問題に劣るかというとそんなことは決してない。“嫉妬も、坐骨神経痛の痛みの前には退陣してもらわねばならない”というヴァージニア・ウルフの言葉はとても痛快だ。 本書を通じて、さまざまなことを考えさせられた。先だってのコロナ禍のことをしっかりと検証し反省することは必須だと思いつつ、冒頭にも述べたようにまた同じことが起こるのだろうなという諦めの気持ちが強い。願わくば私の生きているうちに再びパンデミックが起こらないことを祈るばかりだ。
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