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他者といる技法 コミュニケーションの社会学 ちくま学芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2024/02/13 |
JAN | 9784480512222 |
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他者といる技法
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他者といる技法
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商品レビュー
3.2
12件のお客様レビュー
文章が合わず、読了にかなりの時間を要した…また、どうすれば他人と一緒いられるかを知りたくて手に取った本だが、そういったことをなにか実践的にまとめた本ではなかった。 ただ最後の章の内容は自分の思いに近く、その「わからない」ままでいられる技法を知りたいよ〜〜〜と思った。やっぱりそんな...
文章が合わず、読了にかなりの時間を要した…また、どうすれば他人と一緒いられるかを知りたくて手に取った本だが、そういったことをなにか実践的にまとめた本ではなかった。 ただ最後の章の内容は自分の思いに近く、その「わからない」ままでいられる技法を知りたいよ〜〜〜と思った。やっぱりそんな簡単なものじゃないんだよな。 どの技法も、2023年になったって成熟していないし、結局全員が心地よくいられる社会なんてあり得ないのかなという気持ちになってしまった。
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「支配階級」は、「いまある私」こそ「あるべき私」だと確言する。「庶民階級」は、「いまある私」にあったやり方を選択する。いずれも「いまの私でよい」と感じるわけだ。これに対して、「いまある」と「あるべき」がずれる「中間」にいる人々だけが「いまの私ではよくない」と感じることになる。 ...
「支配階級」は、「いまある私」こそ「あるべき私」だと確言する。「庶民階級」は、「いまある私」にあったやり方を選択する。いずれも「いまの私でよい」と感じるわけだ。これに対して、「いまある」と「あるべき」がずれる「中間」にいる人々だけが「いまの私ではよくない」と感じることになる。 他者の「リスペクタブルな他者」の1「客観化する視線」の力をいつも感じる。「ゆとり」のようにそれを「骨抜き」にして逆に他者をまなざし返すのでも、「無視」のようにその視線と関係なく自分たちの世界を作るのでもなく、他者の視線の力にさらされ、射すくめられ、釘付けにされてしまう。この他者の視線こそ、「あるべき私」がなんであるかを示すものだ。だから、さらに彼らは、その他者の目を自分のなかに移植して、自らを「他人の目で観察」し始める。私は仙者を見るよりも他者に見られる。他者が私を見ていること、見ていなくても私自身が他者の目で私を見ること、このことから彼らは抜け出すことができないのだ。 彼は意志によって「努力」してしまっているのだ。この決定的な相違を彼らはおそらくいつもどこかで気づいている(それが「気後れ」である)。その相違を必死の努力で埋めようとする。しかし「努力した」という事実に(ときに「修正の行き過ぎ」を生むほどの!)いつも裏切られてしまい、もともと「努力」なく身につけている人との違いを経験してしまう。 、救いを確証するために努力を繰り返すが、どんな成果をあげても百パーセントの救いの確証は得られず、不安のなかでさらなる努力に駆り立てられる。「中間階級」は、「いまいる私」と「あるべき私」を一致させるように努力を繰り返すが、いつもそれを一致させえず、不断に努力をつづけていく。 「リスペクタビリティ」は、こうして、「中間」にいる人々を無限の努力の循環に巻き込んでいくことになる。彼らはこの努力の過程で、当然ながら「いまいる私」を価値のあるものとみなすことはできないだろう。 「未来」の私こそ価値があるのであって、いまいる位置は「揺れ動く通過地点」にすぎない。「いまいる私」と「あるべき私」の相違。他者の視線への敏感さ。そして、努力の無限の循環。もし、これがどこまでもつづくとすれば、それは「病」と呼んでもよい出口なしのものになる。
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他者とコミュニケーションが取りたいという思いは,私の存在を他者から承認されたいという欲求からくる。また,コミュニケーションにおいて,他者に主体を取られたくない。そのため,一般にコミュニケーションとは礼節やマナーなどの交換にとどまり,それぞれの個としての理解には及ばない。 さらに...
他者とコミュニケーションが取りたいという思いは,私の存在を他者から承認されたいという欲求からくる。また,コミュニケーションにおいて,他者に主体を取られたくない。そのため,一般にコミュニケーションとは礼節やマナーなどの交換にとどまり,それぞれの個としての理解には及ばない。 さらに,他者は完全には理解できないのに,他者を完全に理解したとする自己完結や,理解できないことがわかったことによる排除・差別などが起こってしまう。 他者といる技法とは,完全には理解できない他者に対して,適切な程度でわかろうとする態度をとることで,ともにいられる状態を維持し続けることである。
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