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一冊でわかるオランダ史 世界と日本がわかる国ぐにの歴史
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2023/08/10 |
JAN | 9784309811178 |
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一冊でわかるオランダ史
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オランダは西洋諸国の中でも日本との交流が最も長く、ガラスやコップ、ランドセル、ポン酢などの言葉や文物のオランダ由来、チョコレートやビリヤードはオランダ経由で伝わったとされる。国家としての名称はネーデルラント王国、呼称を2020年より「ネーデルラント」と各国へ要請、日本は定着が久し...
オランダは西洋諸国の中でも日本との交流が最も長く、ガラスやコップ、ランドセル、ポン酢などの言葉や文物のオランダ由来、チョコレートやビリヤードはオランダ経由で伝わったとされる。国家としての名称はネーデルラント王国、呼称を2020年より「ネーデルラント」と各国へ要請、日本は定着が久しいということでオランダの継承使用を認めているとのこと。 八重洲はオランダ人がルーツ、アイセル湖は人工的な淡水湖、アムステルダムは憲法上の首都だが、政府機関がある事実上の首都ハーグが国政上の中心、ハウステンボスはオランダ王室から許可を得てハウステンボス宮殿を再現。 国土のほとんどは海抜200メートル以下、国土の4割以上が農地、北海道より北方の位置だが1月でも氷点下を下回らず暑い7月でも20℃超えるくらいと過ごしやすい気候。 国旗は上から赤(国のために戦った人々の勇気)白(神の祝福を願う信仰心)青(祖国への忠誠心)ルクセンブルクとロシアに類似。 以下覚書 オランダの黄金期 アジア、アメリカ、アフリカなどの市場開拓 海上貿易の主導権握った。風力が高めた国際競争力、オランダ東インド会社設立1602年VOC。 絶対王政で中央主権的な国家運営を行う他の欧州に対し、オランダは共和制及び連邦制を採用。ネーデルランド王国1813年誕生、君主制。 以下覚書 オランダの偉人 スピノザ 光と影の魔術師レンブラント1606年生まれ 夜警 集団肖像画 光の魔術師フェルメール 1632年生まれ 市井の女性の日常描く 望遠鏡 オランダの眼鏡職人の発明 ココアパウダーの製造成功したバンホーデン シーボルト事件 重要機密の日本地図の写しを手に入れていたことが発覚 水辺のインフラ設置に関してはオランダ人が担う 野蒜港(宮城)、三国港(福井)、三角西港(熊本) ビールメーカーのハイネケン、製造会社のフィリップス アンネ・フランクとオードリー・ヘプバーンは1929年同い年同時期にオランダ在住 オランダ人の平均身長は男女とも世界で一番高い ピーター・アーツ アーネスト・ホースト
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現在のオランダだけでなくベルギー、ルクセンブルクを含めた現在のベネルクス、ネーデルラントの歴史を著した内容。 ・オランダ=ホラント(オランダ国内の州) ・面積は九州とほぼ同じ ・実質的な国政の中心はハーグ ・ほとんどが海抜200m以下。最も標高の高い場所は海抜323mのファール...
現在のオランダだけでなくベルギー、ルクセンブルクを含めた現在のベネルクス、ネーデルラントの歴史を著した内容。 ・オランダ=ホラント(オランダ国内の州) ・面積は九州とほぼ同じ ・実質的な国政の中心はハーグ ・ほとんどが海抜200m以下。最も標高の高い場所は海抜323mのファールゼルベルク。つまりオランダには高い山は存在しない。 地盤沈下によって自然排水が困難になったことから導入されたのが、13世紀ごろに神聖ローマ帝国から伝わった風車です。もとは小麦の製粉などに使われていたが、これを排水(水を汲み上げるため)の動力として利用しようと考えられた。 アムステルダムという名は、「アムステル川に築かれたダム」が由来。 ロッテルダムも「ロッテ川のダム」が由来。 1609年からオランダと日本の朱印船貿易が始まる。日本のオランダ商館は平戸に置かれた。徳川家康は海外の文物に多大な関心を寄せ、西洋との交易にも積極的だったが、幕藩体制を揺るがす恐れのあるキリスト教が日本に広まることは危惧していた。また、当時の朱印船貿易は各地の大名も行っており、幕府は大名の力を削ぐために貿易にも制限を加えるようになる。イギリス、スペイン、ポルトガルの来航が相次ぎ禁止され、鎖国体制が完成。しかし、オランダ、中国、朝鮮、琉球王国、アイヌ民族との交流は維持している。なぜ、イギリス、スペイン、ポルトガルが追放され、オランダとの貿易が許可されたかというと、オランダはプロテスタントの国民が多数を占め、布教や植民地開発よりも通商を重視する国だったから。 オランダ東インド会社のタスマンは、現在のタスマニア島とニュージーランドに上陸。ニュージーランドはオランダのゼーラント州にちなむ。 1600年代中頃、ニューアムステルダムはニューヨークに改名された。ウォール街の名称は、ニューアムステルダム時代にイギリスやネイティブアメリカンからの攻撃を防ぐ目的で築かれた壁に由来する。 オランダとベルギーの軋轢を生んだ背景として、宗教・民族・言語の違いがある。オランダ人の多くはプロテスタントで、ベルギー人の大半はカトリック。ベルギーには、オランダ語を日常語とするフランデレンの人々のほかに、フランス語を日常語とするワロン人も数多く住んでおり、オランダ語公用語化に不満を抱いていた。
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